【 リバウド 】 186/75 1972-4-19  FW/MF



シーズン 所属 リーグ 試合 ゴール
89 Paulista - - -
90 Paulista - - -
91 Santa Cruz Bra2 - -
92 Mogi-Mirim Bra1 27 9
93 コリンチャンス Bra1 19 11
94 コリンチャンス Bra1 22 6
パルメイラス Bra1 29 13
95 パルメイラス Bra1 45 17
96 パルメイラス Bra1 30 23
96 / 97 ディポルティボ・ラ・コルーニャ Spa1 41 21
97 / 98 FCバルセロナ Spa1 34 19
98 / 99 FCバルセロナ Spa1 37 24
99 / 00 FCバルセロナ Spa1 31 12
00 / 01 FCバルセロナ Spa1 35 23
01 / 02 FCバルセロナ Spa1 20 8
02 / 03 ACミラン Spa1 22 5
03 / 04 ACミラン Spa1 0 0
04 クルゼイロ Bra1 11 3
04 / 05 オリンピアコス Gre1 23 12
05 / 06 オリンピアコス Gre1 22 7
06 / 07 オリンピアコス Gre1 25 17
07 / 08 AEKアテネ Gre1 29 8
502 238


90年代後半から00年代前半にサッカー界の頂点に君臨した左利きの天才。
圧倒的な技術を持ち、その左足から繰り出されるドリブルは切れ味抜群。シュートは強烈かつ正確で、チームに多くの栄光をもたらした。
凄まじい得点能力を持ち、ロングシュート、ドリブルからのシュート、FKなどで華麗にゴールを奪ったかと思えば、
非常に泥臭いゴールまで決めてしまう嗅覚をも持ち合わせていた。


またアシスト能力も素晴らしく、多くのゴールを演出した。

エゴイストな一面を持っており、強引過ぎる突破やシュートがよく見られたが、それで決めてしまうのだから誰も文句など言えなかった。


89シーズンにPaulistaというクラブでプロ生活を始める。
92シーズンに1部に所属する地元のMogi-Mirimというクラブに活躍の場を移すとその能力が開花する。
93シーズンには名門コリンチャンスに引き抜かれることになる。

コリンチャンスでは、P・セルジオ、ヴィオラ、マルセリーニョ・カリオカなどの好タレントに囲まれ、その才能をいかんなく発揮。
94シーズンの途中には、当時ブラジル最強のタレント集団であったパルメイラスにエースとして迎えられる。
そのシーズンいきなり全国選手権で優勝、96年には州選手権優勝を果たし、エースであったリバウドは国内最高のタレントとしての評価を得るようになった。

96/97シーズンにスペインのディポルティボ・ラ・コルーニャに、偉大なる先駆者ベベットの後釜として迎えられる。
ここでリバウドは神がかり的なプレーを連発する。
非常にディフェンシブなチームであったにも関わらず21ゴールを挙げる。
そのゴールはどれも素晴らしいものばかりで、非常に高い評価を得ることになった。

ロナウドがFCバルセロナで34ゴールを挙げ得点王になったにも関わらず、シーズン最優秀選手に選ばれたのはリバウドであった。

97/98シーズン、FCバルセロナはロナウドがインテルに去ってしまったのを穴埋めするために、高額な移籍金でリバウドを引き抜く。
リバウドはこのシーズンに就任したファン・ハール監督の起用方法や戦術に不満を持ちながらも、素晴らしい活躍を見せる。
「ロナウドの後釜が務められるのか?」と疑念を持っていたサポーター達も、その活躍ぶりに歓声を上げた。
このシーズン、リバウドはトップや左ウイング、トップ下など様々なポジションで起用されながらも、
19ゴールを挙げ、エースの役割を果たし、リーグ優勝と国内カップの2冠達成に大きく貢献した。


98/99シーズンには、クライファートというポストプレーヤーが移籍してきたことによって、プレーの幅が広がる。
このシーズン、ファン・ファール監督はリバウドを左ウイングに固定する。(今のロナウジーニョと同じ役割)
リバウドはトップ下でのプレーを希望していため、かなり不満を持っていたようだが、左ウイングへの固定は成功する。
(結局ファン・ハールが思い描く、ウイングとしてのプレーはあまりしなかったと思うが、3トップの左に置くことによって、スペースをうまく利用することができた)

このシーズン、FCバルセロナはシーズン序盤低空飛行続けていたが、グラウディオラが怪我から復帰すると、クライファート、フィーゴ、リバウドの3トップが爆発する。
結局前半戦の不振がうそのように、後半戦は無敵の強さを誇り、2位のレアル・マドリードに大差をつけ優勝する。

99/00シーズンからFCバルセロナは迷走を始めることになる。
ファン・ハール監督の「オランダ化計画」により、チームはバランスを失う。
リバウドは孤軍奮闘を見せるが、リーグ優勝を逃し、CLでは準々決勝でヴァレンシアに完敗する。

00/01シーズンはファン・ハールがチームを離れたが、狂った歯車はかみ合わずチームは低迷する。
特に3トップの一角であったフィーゴがレアル・マドリードに移籍してしまった穴は大きかった。
しかし、リバウドはこのシーズン見事なプレーを見せ、まったく機能しないチームを1人で引っ張る。

リーグ最終戦のヴァレンシア戦は、負ければ翌シーズンのCLの出場権を失うという大事な試合であった。
その試合、ヴァレンシアの先制で始まるが、すぐにリバウドのゴールで追いつく。その後再びヴァレンシアのゴールを許し、バルセロナは瀬戸際に立たされた。
しかし、またもやリバウドのゴールで追いつく。
そして、終了間際にリバウドはペナルティエリア付近で胸でワントラップすると、そこからオーバーヘッドシュートを決めハットトリックを達成する。
リバウドはこの大事な試合をたった一人でものにしてしまったのである。
この試合での活躍はバルセロナの伝説になっている。

01/02シーズン、FCバルセロナはアルゼンチンの怪童サビオラを獲得。
3トップに期待が寄せられたが、このシーズンの開幕からリバウドの動きにキレは無かった。
いままで自慢の個人技でどんどん切り込んでいたが、それが通用しない。
それでも8ゴールを挙げ、チームを引っ張ったが、昨シーズンのリバウドの姿はそこにはなかった。

02/03シーズンには天敵ファン・ハールがFCバルセロナの監督に復帰することになる。
リバウドはその話を聞くと、すぐに移籍を希望する。
以前からリバウド獲得を熱望していたACミランのベルルスコーニ会長は、すぐにリバウドを獲得する。
しかし、シーズンが始まるとアンチェロッティ監督はボールを持ちすぎるリバウドを使おうとはしなかった。
シーズン通してレギュラーとして活躍することはできす。
わずか5ゴールでシーズンを終えた。

03/04シーズンも開幕時はACミランに所属するが出場機会が無いと悟り、ブラジルのクルゼイロに移籍する。
しかし、クルゼイロで監督と対立し、すぐにギリシャのオリンピアコスに移籍する。
ここではチームに馴染むにつれて本領を発揮し始める。(リーグのレベルが低いということもあるが)
2シーズン連続のリーグ、国内カップの2冠達成に大きく貢献した。

06/07シーズンの開幕前には「ヨーロッパでの最後のシーズンとなる」と発言。
リバウドはギリシャで最高のパフォーマンスを見せる。
1試合で4ゴールを挙げるなど、神掛かった活躍を見せチームを3連覇に導くと、ギリシャでのプレー続行を意志を示す。
しかしオリンピアコスとの交渉が決裂し、なんとライバルチームであるAEKアテネに移籍することとなった。
07/08シーズン、新チームでどのような活躍を見せるのか注目されている。

代表では74試合で34ゴールという成績を残している。
96年のアトランタオリンピックには、オーバーエイジ枠の1人として国民の期待を背負い出場する。
しかし、ご存知の通りブラジルは日本にも敗れ、決勝トーナメントに出場するが準決勝でナイジェリアに敗れる。
完全に精彩をかいたリバウドは、厳しく非難される。

98年のワールドカップでは司令塔としてプレー。
大会と通して素晴らしいプレーを見せ、3ゴールを挙げる活躍で、精彩を欠くブラジルを引っ張ったが、決勝でフランスに敗れた。
大会後、なぜかブラジル国民は優勝できなかった原因をロナウドとリバウドに押し付け、非難を繰り返した。

99年の南米選手権では、5得点を挙げ得点王に輝くと共にブラジルを優勝に導く。
そして、2002年のW杯ではロナウドと最強2トップを組み活躍。
すでに全盛期のほどのキレはなかったが、それでも5試合連続ゴールという離れ技と見せ、優勝に大きく貢献した。


現在ロナウジーニョは世界最高選手として崇められていますが、バルセロナでの全盛期のリバウドはその上をいくのではなでしょうか。
スター性はあまりなく、契約スポンサーが「ミズノ」ということもあり、メディアでそれほど派手に扱われなかったため、
ロナウジーニョのような「スーパースター」という感じではありませんでしたが、とにかく素晴らしい選手でした。


リバウドとロナウジーニョのキャラクターは「陰」と「陽」という漢字で表せると思います。
「ブルース・リー」と「ジャッキー・チェン」ってとこですかね。

そのキャラクターのためか、オリンピックやW杯でブラジルが不調に終わると、すぐに批判の対象とされていたかわいそうでした。

ちなみに幼少時代の栄養失調が原因で、歯は総入れ歯です。
とにかく苦労人です。