
【 デヤン ペトコビッチ 】 175/73 1972-9-10
FW/MF
| シーズン | 所属チーム | リーグ | 試合 | ゴール |
| 89 / 91 | Radnicki Nis | Yug1 | - | - |
| 90 / 92 | Radnicki Nis | Yug1 | - | - |
| 90 / 91 | Radnicki Nis | Yug1 | 17 | 0 |
| 91 / 92 | レッドスター | Yug1 | 23 | 10 |
| 92 / 93 | レッドスター | Yug1 | 26 | 5 |
| 93 / 94 | レッドスター | Yug1 | 29 | 10 |
| 94 / 95 | レッドスター | Yug1 | 26 | 8 |
| 95 / 96 | レッドスター | Yug1 | 14 | 5 |
| レアル・マドリード | Spa1 | 3 | 0 | |
| セビージャ | Spa1 | 8 | 1 | |
| 96 / 97 | レアル・マドリード | Spa1 | 2 | 0 |
| ラシン・サンタンデール | Spa1 | 9 | 3 | |
| 97 | ヴィトーリア | Bra1 | 8 | 2 |
| 98 | ヴィトーリア | Bra1 | 21 | 14 |
| 99 / 00 | ヴェネチア | Ita1 | 13 | 1 |
| 00 | フルミネンゼ | Bra1 | 23 | 14 |
| 01 | フルミネンゼ | Bra1 | 21 | 4 |
| 02 | ヴァスコ・ダ・ガマ | Bra1 | 19 | 2 |
| 03 | 上海 | Cha1 | 16 | 7 |
| 04 | ヴァスコ・ダ・ガマ | Bra1 | 36 | 18 |
| 04 / 05 | Al Ittihad | Sa.A1 | - | 7 |
| 05 | フルミネンゼ | Bra1 | 18 | 6 |
| 06 | フルミネンゼ | Bra1 | 19 | 5 |
| 07 | ||||
| 計 | 351 | 122 |
典型的なボールを持ちすぎる選手。フィジカルが弱く、接触を嫌う。
FWが本職であるが攻撃的MFとしてもプレーすることができる。
かなりのテクニシャンで、そのテクニックを駆使した強引なドリブル突破が魅力であるが、ボールの持ちすぎで攻撃を低迷させてしまうことも多い。
ヨーロッパでは成功しなかったが、ブラジルの地で大成した異色の選手である。
89/90シーズンにRadnicki Nisというクラブでデビュー。
91/92シーズンから、名門レッドスターに移籍するとパンチェフ、プロシネツキらが去った後の攻撃のキーマンとして活躍。
いきなり10ゴールを挙げ、リーグ優勝に貢献。
その後もチームの中心として活躍。
94/95シーズンにもチームを優勝をもたらすと、翌95/96シーズンの途中に、その才能を評価したレアル・マドリードによって引き抜かれる。
レアル・マドリードに加入したものの、外国人枠の関係でほとんど試合に出場することもなく、セビージャにレンタルされるがそこでも活躍することはできなかった。
96/97シーズンには、レアル・マドリードに復帰。
しかし、このシーズン、監督に就任したカペッロが、こういうタイプの選手を使うわけもなく、ほとんど活躍の場もないまま、再びレンタルでチームから出される。
ラシン・サンタンデールではまずまずの活躍を見せたが、スペインのサッカーが自分に合っていないと思ったのか、このシーズンを最後にスペインを去る。
次の活躍の場として選んだ地はなんとブラジル。
ヨーロッパの選手がブラジルでプレーすることなど、他に聞いたことは無いが、ブラジルサッカーこそ自分の理想とするサッカーと信じ海を渡った。
97シーズンからヴィトーリアでプレー。
当初サポーターは、ヨーロッパからやってきたこの選手に対して懐疑の目を持っていた。
しかし、その見事なテクニックは目の肥えたブラジル人さえ唸らせるものであった。
ペトコビッチのプレースタイルはよほどブラジルサッカーに合っていたようで、スペインで苦しんだのがうそのように素晴らしい活躍を見せる。
98シーズンには全国選手権で14ゴールを挙げ、サッカー大国ブラジルにその名の知らしめた。
99/00シーズンには、再びヨーロッパに戻ってくる。
移籍先はイタリアのヴェネチア。(名波と共にプレー)
しかし、スペインなどよりずっとプレッシャーの強いイタリアで、そのプレースタイルが通用するわけもなく、全く活躍できず退団。
00シーズンからは再びブラジルに渡り、名門フルミネンセでプレーする。
そしてここでも見事な活躍を見せる。
主に攻撃的MFのポジションでプレー。
得意のドリブルは冴えに冴え、ブラジルサッカーを代表する選手として認知されるようになる。
02シーズン、ヴァスコ・ダ・ガマに移籍したが、翌03シーズンは中国リーグに出稼ぎに行ってしまう。
04シーズンにヴァスコ・ダ・ガマに戻ってくると、チームは低迷するが、ペトコビッチはおもしろいようにゴールを挙げ大活躍を見せた。
04シーズンと05シーズンの間には、再び出稼ぎのため今度はサウジアラビアに渡る。
その後、フルミネンセに復帰。
このシーズン、フルミネンセは全国選手権で上位に食い込み、その躍進の立役者となったペトコビッチはシーズンベスト11にも選ばれている。
代表には6試合に出場し1ゴールを挙げている。
06年のW杯前には、久々に代表に招集されたが、召集を拒否している。
ヨーロッパではまったく活躍できず、ブラジルでスターにまで登りつめた選手です。
練習に遅刻したり、いろいろ問題のある選手ですが、そういう面もブラジルに合っているのでしょうね。
果敢なプレースタイルで、ブラジルでは「ランボー」というニックネームで親しまれています。
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