ミスター・トータルフットボール、ヨハン・クライフの息子。
偉大なるプレイヤーの子供であるが、親の七光りだけではなく、実力を兼ね備えている。
父親譲りの柔軟なテクニックを持ち、FWとしてもMFとしても活躍することができる。
FCバルセロナのユースで技術を磨き、Bチームで結果を残し、親のコネではなく実力で94/95シーズンにトップデビューを果たす。
その容貌、プレースタイルから、偉大なる父親と比較され、過度の期待を掛けられることになる。
そして、9ゴールを挙げ周囲の期待に見事に応える。
しかし、個人の成績とは反対に、FCバルセロナは5連覇を達成できず、ドリームチームと言われたチームは崩壊する。
翌95/96シーズンもレギュラーとして活躍を期待されたが、コドロという新しいストライカーが加入したため出場機会が激減。
さらにシーズン終了後にはクライフ監督が解任されたためバルセロナを後にする。
96/97シーズンにはマンチェスター・Uに移籍する。
開幕らか、いきなり2試合連続ゴールを挙げ注目されるが、その後失速。
怪我もあり、レギュラー争いに敗れ交代要員になってします。
結局99/00シーズンまで在籍するが、怪我やスランプで活躍できないまま、イングランドを後にする。
00/01シーズンからは、スペインのアラベスに在籍する。
そこで、再び輝きを取り戻し、バルセロナ時代のような活躍を見せる。
UEFAカップでは、各リーグの強豪を破り、見事決勝進出を果たす。
結局、決勝では5対4でリヴァプールに敗れるも、素晴らしいプレーを見せる。
しかし、その後のシーズンはチームの不調により思うような活躍を見せることはできなかった。
03/04シーズンには、エスパニョールに移籍してプレーするも、そのシーズン終了後に退団する。
その後、2年間無所属で過ごすが、06/07シーズンからはウクライナのクラブでプレーしているらしい。
オランダとスペインの国籍を持つが、オランダ代表としての道を選ぶ。
9試合で1ゴールという結果を残している。
96年の欧州選手権に出場し、そこで代表唯一のゴールを挙げている。
しかし、その後は代表に召集されることはなかった。
非常に将来を嘱望された選手なんですけど、親が親だけに、そのプレッシャーに潰されたという印象があります。
もし、クライフの息子という重圧がなければ、もっと活躍できる実力はあったと思います。
96年の欧州選手権では、チームに馴染んでいなかったようで、露骨にパスを回してもらえてなかったのを覚えています。
アラベス時代は代表に呼ばれてもおかしくない活躍をしますが、ファン・ハールがクライフの息子を呼ぶわけないよな・・・・
父親はハゲていませんが、息子は若ハゲでした。