
【 ジョゼップ グアウディオーラ 】 180/73 1971-1-18
MF
| シーズン | 所属チーム | リーグ | 試合 | ゴール |
| 90〜91 | FCバルセロナ | Spa1 | 4 | 0 |
| 91〜92 | FCバルセロナ | Spa1 | 26 | 0 |
| 92〜93 | FCバルセロナ | Spa1 | 28 | 0 |
| 93〜94 | FCバルセロナ | Spa1 | 34 | 0 |
| 94〜95 | FCバルセロナ | Spa1 | 24 | 2 |
| 95〜96 | FCバルセロナ | Spa1 | 32 | 1 |
| 96〜97 | FCバルセロナ | Spa1 | 38 | 0 |
| 97〜98 | FCバルセロナ | Spa1 | 6 | 0 |
| 98〜99 | FCバルセロナ | Spa1 | 22 | 1 |
| 99〜00 | FCバルセロナ | Spa1 | 25 | 0 |
| 00〜01 | FCバルセロナ | Spa1 | 24 | 2 |
| 01〜02 | ブレッシア | Ita1 | 11 | 2 |
| 02〜03 | ASローマ | Ita1 | 4 | 0 |
| ブレッシア | Ita1 | 13 | 1 | |
| 03〜04 | Al-Ahli | Qat1 | - | - |
| 04〜05 | Al-Ahli | Qat1 | - | - |
| 05〜06 | Dorados Sinaloa | Mex1 | 10 | 1 |
| 06〜07 | Dorados Sinaloa | Mex1 | ||
| 計 | 301 | 10 |
90年代のバルセロナを支えた司令塔。カタルーニャの伝説の英雄。
司令塔とは言っても、プラティニやハジのような個人技で得点を奪い、トップ下で2トップをコントロールするというタイプではない。
テクニックはずば抜けていたものを持っていたとは言えない。身体能力もそれほど高いわけでもない。
では何が素晴らしいのかと言えば、そのパスセンスである。
卓越した戦術眼でピッチを見晴らし、中盤の底からダイレクト、ツータッチのパスでチームを動かすのである。
グアルディオーラから放たれる中長距離のパスは正確無比で、フリーの選手を見つけてはパスを回し、試合を自らのリズムにしてしまう。
FCバルセロナではほとんどの監督が3トップを採用しており、その3トップの扇の要となっていたのがグアルディオーラである。
クライフのドリームチームも彼無しには考えられなかった。
FCバルセロナの下部組織で育ったグアルディオーラは、クライフの助言により中盤の底のポジションと務めるようになり才能が開花。
そして90/91シーズンにはトップデビューを果たす。
91/92シーズンには、クライフは21歳の若者に、後にドリームチームと言われるようになるスター軍団の舵取り役を任せるようになる。
グアルディオーラが司令塔になったことにより、チームが一気に活性化。
チームは無敵の強さでリーグ優勝を果たすと、チャンピオンズカップも勝ち進み、決勝でヴィアリ、マンチーニ擁するサンプドリアと対戦。
接戦を制しFCバルセロナの歴史で初めてビッグイヤーを掲げる。
チームは93/94シーズンまでリーグ4連覇を果たし黄金期を迎える。
93/94のチャンピオンズカップでも決勝に進むが、ACミランに敗れた。
しかし、グアルディオーラを中心とした攻撃サッカーはヨーロッパを席巻した。
その後、ドリームチームは崩壊し、クライフもチームを去るが、チームの中心にはいつもグアルディオーラがいた。
97/98シーズンにはクライフの天敵、ファン・ハールが監督に就任すると、オランダ人を一斉に獲得し、カタルーニャ人をチームから排除する。
しかし、そのファン・ハールもグアルディオーラの実力は認めており、チームの中心に据えようとしたが、筋肉の故障により長期離脱を余儀なくされる。
98/99シーズン、ファン・ハール監督のFCバルセロナは開幕から不振を極め、監督の解任まで噂にあがっていた。
ちょうどその時期にグアルディオーラがチームに復帰する。
チームは前半戦の不振が嘘のように快進撃を始める。
グアルディオーラは両ウイング、リバウドとフィーゴを自由自在に操り、攻撃陣をリードした。
結局、2位に大きく差をつけて圧倒的な強さで優勝し、改めてその存在感を世界にアピールした。
しかしその後、ファン・ハールの極端なオランダ化によりチームは低迷する。
ファン・ハールがチームを去った後も、チームの不振は続いた。
そして00/01シーズン途中に、シーズン終了後チームを去ることを表明する。
これは誰も予想していなかったことで、多くのバルセロナサポーターに驚き与えた。
バルセロナで最後となった試合では今までの功績を称え、去って行く選手に対して厳しいサポーターにスタンディング・オベーションで見送られた。
01/02シーズンからは、R・バッジオとプレーをしたいという希望から、イタリアのブレッシアでプレーをする。
しかし、シーズン途中にドーピング検査で陽性反応が出たため、出場停止になってしまう。
(彼のプレースタイルからして、ドーピングをして身体能力を高めようとする必要はないと思う。おそらく故意に使用したのもではないと思う。)
02/03シーズンにはASローマに移籍するが、出場機会はほとんどなく、シーズン途中にブレッシアに復帰する。
ブレッシアに復帰してからは、自らのプレーを取り戻し活躍を見せる。
しかし、シーズン終了後、クエートのチームへと去ってしまう。
その後、メキシコにチーム移りプレーしているようだが、06/07シーズンを最後に、現役を引退するというニュースが入った。
代表では47試合で5ゴールの記録を残している。
地元で開かれたバルセロナオリンピックで、司令塔としてチームを牽引。見事金メダルに輝いている。
しかしフル代表ではそれほどの成績は残せていない。
94年のW杯では期待されながらも力を発揮できなかった。
98年は怪我のため参加できなかった。もし彼がいたらスペインはあのような悲惨な結果にはならなかっただろう。
欧州選手権も92年は予選敗退。
96年は怪我のためメンバー入りせず。
00年は出場するも、チームに貢献したとは言い難い。
カタルーニャで育ちで、カタルーニャの英雄となった偉大な選手です。
この人がいるといないでは、チームが全然違ってしまうほど素晴らしい選手でした。
フィジカル重視の現在サッカーの中盤で、こういうプレイヤーはもうなかなか現れないでしょう。
シャビ、イニエスタとそのポジションはバルセロナではカタルーニャの血を引くものによって継がれていますが、タイプは違います。
引退前に少しでもいいから、バルセロナに戻ってきてプレーして欲しいな・・・・・