【 フィリップ コク 】 182/76 1970-10-29
FW/MF/DF
| シーズン |
所属チーム |
リーグ |
試合 |
ゴール |
| 88〜89 |
AZ |
Net2 |
15 |
4 |
| 89〜90 |
AZ |
Net2 |
35 |
4 |
| 90〜91 |
フィテッセ |
Net1 |
8 |
0 |
| 91〜92 |
フィテッセ |
Net1 |
33 |
3 |
| 92〜93 |
フィテッセ |
Net1 |
34 |
6 |
| 93〜94 |
フィテッセ |
Net1 |
33 |
11 |
| 94〜95 |
フィテッセ |
Net1 |
29 |
5 |
| 95〜96 |
PSV |
Net1 |
29 |
11 |
| 96〜97 |
PSV |
Net1 |
37 |
8 |
| 97〜98 |
PSV |
Net1 |
34 |
12 |
| 98〜99 |
FCバルセロナ |
Spa1 |
36 |
11 |
| 99〜00 |
FCバルセロナ |
Spa1 |
35 |
5 |
| 00〜01 |
FCバルセロナ |
Spa1 |
35 |
3 |
| 01〜02 |
FCバルセロナ |
Spa1 |
34 |
2 |
| 02〜03 |
FCバルセロナ |
Spa1 |
29 |
3 |
| 03〜04 |
FCバルセロナ |
Spa1 |
36 |
5 |
| 04〜05 |
PSV |
Net1 |
29 |
6 |
| 05〜06 |
PSV |
Net1 |
33 |
9 |
| 06〜07 |
PSV |
Net1 |
|
|
| 計 |
|
|
554 |
108 |
センターフォワード、セカンドトップ、トップ下、サイドハーフ、センターハーフ、サイドバック、センターバック。
これはコクが今までこなしてきたポジションである。
さらに驚くのは、その全てのポジションでレベルの高いプレーをし、チームの中心として活躍してきたということである。
オランダは多くのユーティニティプレイヤー生み出してきたが、その中でも最高傑作の1人と言える。
88/89シーズンに2部のAZでデビューをする。
デビュー当時はサイドバックでおもにプレーしていた。
90/91シーズンには1部のフィテッセに移籍。
ここではセンターハーフとしてプレーをするが、チーム事情に合わせあらゆるポジションをこなしていた。
93/94シーズンにはFWとして多く使われ、11ゴールを挙げ起用に応えている。
その活躍が評価され、95/96シーズン、名門PSVに引き抜かれることになる。
1シーズン目からチームの主力として活躍。
当時PSVはニリスとロナウドの2トップであったが、故障がちなロナウドに代わってニリスのパートナーを務めることも少なくなかった。
96/97シーズンにはチームの大黒柱として活躍し、自身初のリーグ優勝を果たす。
翌97/98シーズンも主にセンターハーフのポジションをこなしながらも、FWとしても活躍、12ゴールを挙げる活躍を見せた。
98/99シーズンには、ファン・ハール監督に引き抜かれ、FCバルセロナに活躍の場を移す。
そして、そのシーズンからレギュラーとして活躍する。
FCバルセロナでは、センターハーフのポジションで専属でプレーすることになる。
センターハーフでありながら、いきなり12ゴールを挙げ攻守に活躍、リーグ優勝に大きく貢献する。
コクはこのシーズンを含め6シーズン、バルセロナでプレーをするが、チーム低迷したためリーグ優勝はこの1回しかできなかった。
しかし、コクのパフォーマンスは毎シーズン素晴らしく、当時オランダ人を毛嫌いしていたサポーターにも愛されるという存在となっていた。
FCバルセロナで最後のシーズンになった03/04シーズンには、
新しく就任したライカールト監督のサッカーを忠実に実践し、その後の黄金期の礎を築いた。
このシーズンを最後に、チームからもサポーターにも惜しまれながらFCバルセロナを退団、古巣PSVに復帰する。
復帰した04/05シーズン、チームはリーグ優勝果たし、CLでも快進撃を見せる。
ヨーロッパの強豪を次々と倒し、準決勝ではACミランを後一歩というところまで追い詰める。
この快進撃の原動力となったのはコクである。
当時監督を務めていた名称ヒディングも「我々のチームの最も強力な武器はコク」とも言っている。
翌05/06シーズンもリーグ連覇を果たす。
そしてCLでも再び決勝トーナメントに進出果たした。
このシーズン終了後のW杯をもって現役引退という話も聞かれたが、06/07シーズンも元気にピッチに立っている。
代表では101試合で10ゴールの成績を残している。
クラブチームを同じく、代表でもあらゆるポジションをこなし、司令塔としてもプレーしている。
98年のW杯ではセンターハーフとして出場していたが、
FWのクライファートが暴力行為で出場停止になっている間、FWとしてレギュラーを務めた。
ハッセルバイングやファン・ホーイドンクという実力者を押しのけてFWとして出場し、2ゴールを挙げたのだから、すごいとしか言いようがない。
その後も、2000、2004年の欧州選手権、2006年のW杯に出場。
常にチームの大黒柱として活躍した。
2006年のW杯を最後に代表を引退した。
本当に素晴らしい選手で、彼がいなければバルセロナの迷走時代はもっとひどいことになっていたでしょう。
私が見た中で、一番完成されたユーティニティプレイヤーでした。
オランダではまだまだ素晴らしい活躍をしているみたいですし、もう4,5年は現役で頑張ってほしいものです。

