【 ニコラ アネルカ 】 184/84 1979-3-14  FW



シーズン 所属チーム リーグ 試合 ゴール
95 / 96 パリSG Fra1 2 0
96 / 97 パリSG Fra1 8 1
アーセナル Eng1 4 0
97 / 98 アーセナル Eng1 26 6
98 / 99 アーセナル Eng1 35 17
99 / 00 レアル・マドリード Spa1 19 2
00 / 01 パリSG Fra1 27 9
01 / 02 パリSG Fra1 12 1
リヴァプール Eng1 20 6
02 / 03 マンチェスター・C Eng1 38 14
03 / 04 マンチェスター・C Eng1 32 17
04 / 05 マンチェスター・C Eng1 19 7
フェネルバチェフ Tur1 14 4
05 / 06 フェネルバチェフ Tur1 25 10
06 / 07 ボルトン・W Eng1 34 11
  計 315 105

「キング・カントナ」に並ぶフランスが生んだ最強の問題児がこのアネルカである。
問題児と言ってもカントナとは違い、気性が荒いわけではない。まわりの人とコミュニケーションがうまくとれないタイプである。
(彼の代理人である兄の影響もあると言われている。)

驚異的なフィジカルの強さを持ち、抜群のスピードも兼ね備えている。
テクニックも非凡なものを持っており、ヘディングも強く、ストライカーとしては、はっきり言って穴というものがない。
アンリとトレゼゲを足して2で割ったようなタイプを言われている。

スピード、パワー、バランス、テクニック全てに秀でた選手であったアネルカは、若い頃から注目され、17歳でプロデビューを飾った。
パリSGでは1ゴールしかあげることはできなかったが、その才能に惚れこんだアーセナルのベンゲル監督が彼を獲得した。

アーセナルの2シーズン目にはベルカンプとのコンビでゴールを量産。17ゴールを挙げ、リーグ、FAカップの2冠に大きく貢献。
この頃のアネルカの評価は、当時インテルで全盛期を迎えていたロナウド以上とも言われていた。

そして翌シーズン、移籍金約53億円でレアル・マドリードに引き抜かれたのである。
しかしアーセナルで活躍した彼の姿はそこにはなく。結果を出せず、チーム内で孤立し、ファンから容赦ないブーイングが浴びせられた。
チャンピオンズリーグの準決勝では活躍し優勝に貢献したが、即放出となった。

00/01シーズン古巣パリSGに復帰するも、以前のような輝きを取り戻すことはできず、
翌01/02シーズン途中に、前線に故障者続出のリヴァプールに移籍する。
するとアーセナル時代のようなダイナミックな動きを取り戻す。(イングランドサッカーとの相性が非常にいいのだと思う)

02/03シーズンにはマンチェスター・Cに移籍し、ここで「良き理解者」キーガン監督と出会い完全に復調する。
不動のエースとしてゴールを量産した。
チームが強くないためタイトルこそ恵まれなかったものの、一番充実していた時期だった。

しかし04/05シーズン途中に恩師であるキーガン監督と対立し、トルコのフェネルバフチェに移籍。

トルコではウイングのポジションを与えられプレー。
本人はCFでのプレーを望んでいたようだが、与えられた役割をこなしプレーの幅を広げた。

06/07シーズンには、再びイングランドに舞い戻る。
ボルドンに活躍の場を移したアネルカは、水を得た魚のように驚異的な活躍を見せる。
ほとんどサポートの居ない前線で、1人で暴れまわり11ゴールを挙げる大活躍を見せた。

その活躍が評価され、シーズンオフにはマンチェスター・Uへの移籍話が浮上。
本人もこの移籍に大いに乗り気であったが、マンチェスター・Uはアネルカではなくテベスを選んだ。


代表では、その性格からなかなか定着とはいかない。
レギュラーとして唯一参加した2000年の欧州選手権では、アンリのパートナーとして、ゴールこそなかったが優勝に貢献した。


その後も監督とはうまく関係を築くことはできす。ワールドカップには出場したこともない。
監督はいつも歩みよろうとしているが、、、、

ちなみにアネルカはアンリとは仲が良く、アンリは常に「彼を代表に呼ぶべき」と言っている。


もし彼が優等生だったとしたら、フランス史上最高のストライカーになっていたかもしれないな〜って思うのは私だけかな。