
【 ダヴィド ジノラ 】 180/78 1967-1-25
FW/MF
| シーズン | 所属チーム | リーグ | 試合 | ゴール |
| 85 / 86 | トゥールーズ | Fra1 | 14 | 0 |
| 86 / 87 | トゥールーズ | Fra1 | 35 | 0 |
| 87 / 88 | トゥールーズ | Fra1 | 33 | 4 |
| 88 / 89 | RCパリ | Fra1 | 29 | 7 |
| 89 / 90 | RCパリ | Fra1 | 32 | 1 |
| 90 / 91 | ブレスト | Fra1 | 33 | 6 |
| 91 / 92 | ブレスト | Fra2 | 17 | 8 |
| パリSG | Fra1 | 15 | 3 | |
| 92 / 93 | パリSG | Fra1 | 34 | 6 |
| 93 / 94 | パリSG | Fra1 | 38 | 13 |
| 94 / 95 | パリSG | Fra1 | 28 | 11 |
| 95 / 96 | ニューカッスル・U | Eng1 | 34 | 5 |
| 96 / 97 | ニューカッスル・U | Eng1 | 24 | 1 |
| 97 / 98 | トットナ・H | Eng1 | 34 | 6 |
| 98 / 99 | トットナ・H | Eng1 | 30 | 3 |
| 99 / 00 | トットナ・H | Eng1 | 36 | 3 |
| 00 / 01 | アストン・ヴィラ | Eng1 | 27 | 3 |
| 01 / 02 | アストン・ヴィラ | Eng1 | 5 | 0 |
| エヴァートン | Eng1 | 5 | 0 | |
| 計 | 503 | 80 |
フランスの生んだ天才ドリブラー。
抜群のテクニックとスピードを兼ね備え、そのドリブルは観る者を魅了する。
主な戦場は左サイドであるが、右左関係なくプレーすることができ、パスの精度も非常に高く、強烈なシュートも持っている。
俳優かと思わせるようなルックスを持ち、熱狂的な女性ファンが多い。
85/86シーズン、18歳でトップデビューを果たす。
翌86/87シーズンからはレギュラーとして活躍するようになった。
その後RCパリに移籍し、90/91シーズンにはブレストに移籍する。
すでに得意のドリブルでフランスでも有名な存在になっていたジノラは、ブレストでさらに見事なパフォーマンスを披露する。
チームは低迷するが、ジノラのドリブルは冴えに冴え、このシーズンの途中には代表デビューを果たす。
しかし、チームはこのシーズン1部残留することはできなかった。
ジノラはすぐには移籍せずに、半シーズン2部でプレーしたのち、名門パリSGに引き抜かれることになる。
パリSGに移籍しても臆することなくプレー、すぐにチームの中心として活躍するようになる。
翌92/93シーズン、パリSGにはウェアやゲランという有能なタレントが加入し、その恵まれた環境の中で才能を伸ばす。
93/94シーズンには、本来のウイングやサイドハーフのポジションではなく、FWに近い位置でプレー。
シーズンが始まると、その起用に応えウェアとのコンビで圧倒的なパフォーマンスを見せ、チームは8シーズンぶりの優勝を果たす。
優勝の原動力となったジノラは、このシーズンに最優秀選手にも選ばれ、フランスを代表するタレントとなった。
順風満帆に見えたジノラのサッカー人生だが、94年のW杯予選に落とし穴があった。
ヨーロッパ予選の最終戦、ホームのパリにブルガリアを迎えて、引き分け以上の条件でW杯出場が決まっていた。
フランスは先制するが、すぐにブルガリアに追いつかれる。
しかし、引き分けでもいいフランスにそれほど焦りはなかった。
そのまま時間は経ち、試合終了間際の89分、ジノラはドリブルで攻め上がり、時間稼ぎをすればいい状況であったが、センタリングを上げてしまう。
このボールを奪ったブルガリアは電光石火のカウンターでコスタディノフにボールを渡し、豪快に放ったシュートはフランスのゴールネットを揺らしたのである。
W杯出場が目の前にあったフランスは、この「パリの悲劇」によって2大会連続で本戦出場を逃したのである。
フランス国民はジノラを犯罪者のように批判した。
94/95シーズンは、ナントの驚異的な強さでリーグ優勝は逃したが、CLでは準決勝まで勝ち進む、しかし王者ACミランの前に惜しくも敗れた。
このシーズンも素晴らしいプレーを見せたが、94年W杯予選の件で、フランスに自分の居場所がないと悟ったジノラは海外移籍を決意する。
FCバルセロナへの噂もあったが、イングランドのニューカッスル・Uへ移籍することになった。
95/96シーズン、イングランドの地に降り立った天才は、その才能を存分に発揮する。
ドリブルで次々とDFを抜き去り、ファーディナンドのゴールラッシュを演出し、すぐにプレミアリーグ屈指の選手となった。
96/97シーズンには、シアラーが加入。
サイドからの崩しで、シアラー、ファーディナンドの2トップを支え、チームの2位という好成績に大きく貢献した。
97/98シーズンには、トットナムに移籍する。
翌98/99シーズンには、おそらくサッカー人生で最高であろうパフォーマンスを見せる。
開幕から絶好調、とにかくドリブルはキレまくり、DFを簡単にひっくり返してしまう。
チームの成績は全くであったが、そのジノラの華麗なるドリブルはイングランド中のサッカーファンを釘付けにした。
このシーズン、マンチェスター・Uが伝説の3冠を達成している。
コール、ヨーク、ベッカム、キーンなどが凄まじい活躍を見せたにも関わらず、このシーズンの最優秀選手に選ばれたのは、
リーグの優勝争いに絡む事すらなかったトットナムのジノラであった。
その後も華麗なるプレーを見せたが、何故かビッククラブでプレーすることはなかった。
01/02シーズン、エバートンでのプレーを最後にピッチを去った。
代表では17試合で3ゴールの成績を残している。
ブレスト時代に初代表となりましたが、その後のチームの2部降格により、一時期代表から外れてしまい、その影響で92年の欧州選手権には出場できませんでした。
その後代表に復帰するも、「パリの悲劇」の戦犯となってしまったため、代表から排除されるという悲惨な目にあう。
見た目も、プレーもまさにエレガントな選手でした。
引退後はそのルックスを生かし、俳優として活躍しているそうです。