【 ウラディミール ユーゴビッチ 】 178/76 1969-6-30  MF



シーズン 所属チーム リーグ 試合 ゴール
89 / 90 レッドスター Yug1 1 0
Rad Beograd Yug1 16 7
90 / 91 レッドスター Yug1 32 7
91 / 92 レッドスター Yug1 28 4
92 / 93 サンプドリア Ita1 33 9
93 / 94 サンプドリア Ita1 26 6
94 / 95 サンプドリア Ita1 21 3
95 / 96 ユベントス Ita1 26 2
96 / 97 ユベントス Ita1 30 6
97 / 98 ラツィオ Ita1 27 2
98 / 99 アトレティコ・マドリード Spa1 17 3
99 / 00 インテル Ita1 17 2
00 / 01 インテル Ita1 21 1
01 / 02 ASモナコ Fra1 19 0
02 / 03 ASモナコ Fra1 0 0
03 / 04 Admira W. Aus1 25 3
04 / 05 LRアーヘン Dui2 19 2
358 57

最高の技術と最高の戦術眼を持つ、中盤のスペシャリスト。
本来のポジションはボランチ、センターハーフであるが、サイドハーフ、トップ下としてもプレーすることができる。
安定感が抜群で、運動量が多く、高い得点能力も持ち合わせており、指揮官からすればこれほど頼りになる選手はいないだろう。

88/89シーズンに、名門レッドスターでトップデビューを果たすが、すぐにRad Beogradというチームにレンタル移籍する。
ここで、シーズン途中からレギュラーの座を掴み、素晴らしい活躍を見せ、翌シーズンにはレッドスターに戻る。

当時のレッドスターは、サビチェビッチ、パンチェフ、ミハイロビッチ、プロシネツキなどが在籍するヨーロッパ屈指のタレント集団であった。
90/91シーズン、ユーゴビッチはレッドスターでもレギュラーとして活躍。
このシーズン、圧倒的な強さで国内リーグを制すると、チャンピオンズカップでも強豪を次々と退け、決勝進出を果たす。
決勝ではスター軍団、オリンピック・マルセイユと対戦。
延長の末、PK戦で勝利し、ヨーロッパの頂点に立つ。

91/92シーズン、パンチェフ、プロシネツキという中心選手は海外移籍することになったが、ユーゴビッチはチームに残り中心選手として活躍、リーグ連覇を果たす。
トヨタカップではチリのコロコロと対戦。
ユーゴビッチは2ゴールを挙げる大活躍を見せ、チームを世界1に導き、MVPにも選ばれた。

92/93シーズンには、イタリアのサンプドリアに移籍。
すぐにイタリアのサッカーに順応すると、エリクソン監督の元、9ゴールを挙げる活躍を見せる。

93/94シーズンには、チームをリーグ3位の好成績に導き、さらに国内カップでは優勝を果たす。

しかし、翌94/95シーズンからは、エリクソン監督がグーリット、プラット、ミハイロビッチという外国人選手を優先的に使ったため出場機会が減ってしまい、思うような活躍はできなかった。

95/96シーズン、活躍の場を求めていたユーゴビッチは名門ユベントスに移籍する。
サンプドリアであまり活躍の場を与えられていなかったユーゴビッチであるが、ユベントスはその能力を非常に高く評価していた。
ユベントスに加入すると、デシャン、パウロ・ソウザ、ディ・リービオ、タッキナルディ、コンテらと共に、強力な中盤を形成。

序盤での出遅れが響き、リーグ優勝は逃したが、CLでは決勝進出を果たす。
アヤックスとの決勝戦では途中出場し、試合の流れを変えるプレーを見せる。
試合はPK戦の末、ユベントスが勝利。
自身2度目のヨーロッパチャンピオンとなった。

96/97シーズン、パウロ・ソウザがチームを去ったため、レギュラーとして定着。
大きくメンバーの変わったチームで、攻守の要として大活躍した。
チームは抜群に安定した戦いぶりで、2位に大きく差をつけ優勝。

チャンピオンズリーグでも2シーズン連続で決勝進出を果たす。
決勝ではボルシア・ドルトムントに敗れ、シーズンを完璧に終えることはできなかった。
このシーズンのユーゴビッチの活躍は素晴らしく、世界屈指のMFとして認識されるまでになった。
しかし、このシーズン終了後、ユベントスを後にする。
(退団の理由は、ユベントスの過酷なフィジカルトレーニングに耐えられなくなったからと言われている。)

97/98シーズンからは、ラツィオに移籍し再びエリクソンの元でプレーすることになる。
ここでは、エリクソンのサッカーを忠実に体現し、新しく生まれ変わったチームの中心として活躍し、国内カップ獲得に大きく貢献する。

98/99シーズンからは、スペインに活躍の場を移す。
アトレティコ・マドリードに移籍したユーゴビッチは、新しく就任したサッキ監督のゾーンプレスのキーマンとして期待されていた。
しかし、このシーズン、故障が重なりわずか17試合しか出場することはできなかった。
チームは低迷し、サッキ監督はシーズン途中で辞任する。

99/00シーズンには、再びイタリアに戻りインテルでプレー。
インテルに新しく就任した、ユベントス時代の恩師リッピの下で活躍が期待されたが、ユベントス時代のようなフォームを取り戻すことはできなかった。
2シーズン所属するが、あまり活躍することはできなかった。

その後、フランスのモナコ、オーストリアと渡り歩き、04/05シーズンにはドイツの2部のLRアーヘンでプレーし現役を引退した。


代表では41試合に出場し、3ゴールを挙げている。
ユーゴスラビア紛争により、長い間国際舞台に出場することはできなかった。
98年のW杯に念願のメジャー大会に出場し、チームの決勝トーナメント進出に大きく貢献。
00年の欧州選手権でもベスト16の成績を残している。


個性的な性格の持ち主が多い、旧ユーゴスラビアの選手の中で、数少ない穏健なタイプ。
かなりの老け顔ということも手伝って、若い頃からベテランの雰囲気をかもし出していました。
所属したチームでは、他にFKの名手が居たため、ほとんど蹴る事はなかったが、実はかなりフリーキックがうまい。