
【 ロベルト ヤルニ 】 180/77 1968-10-16
MF/DF
| シーズン | 所属 | リーグ | 試合 | ゴール |
| 86 / 87 | ハイシデュク・スプリト | Yug1 | 21 | 0 |
| 87 / 88 | ハイシデュク・スプリト | Yug1 | 15 | 0 |
| 88 / 89 | ハイシデュク・スプリト | Yug1 | 31 | 6 |
| 89 / 90 | ハイシデュク・スプリト | Yug1 | 31 | 2 |
| 90 / 91 | ハイシデュク・スプリト | Cro1 | 30 | 9 |
| 91 / 92 | バリ | Ita1 | 24 | 0 |
| 92 / 93 | バリ | Ita2 | 28 | 3 |
| 93 / 94 | トリノ | Ita1 | 23 | 0 |
| 94 / 95 | ユベントス | Ita1 | 15 | 1 |
| 95 / 96 | ベティス | Spa1 | 34 | 8 |
| 96 / 97 | ベティス | Spa1 | 36 | 6 |
| 97 / 98 | ベティス | Spa1 | 28 | 6 |
| 98 / 99 | レアル・マドリード | Spa1 | 27 | 1 |
| 99 / 00 | ラス・パルマス | Spa2 | 17 | 4 |
| 00 / 01 | ラス・パルマス | Spa1 | 25 | 2 |
| 01 / 02 | ラス・パルマス | Spa2 | 0 | 0 |
| パナシナイコス | Gre1 | 5 | 0 | |
| 計 | 390 | 48 |
凄まじいスピードを誇る、左サイドのスペシャリスト。
本業はサイドバックであるが、サイドハーフとしてもプレーすることができる。
高精度のクロスにより多くのアシストを記録すると共に、得点力も高く、大事な場面でのゴールが多い。
抜群のスタミナを持ち、オーバーラップした後すぐに守備に戻り、攻守に貢献度の高いプレーを見せた。
86/87シーズン、国内有数の強豪ハイデュク・スプリトでデビューを果たすと、すぐにレギュラーに定着。
アサノビッチ、ボクシッチらと共に活躍、才能を開花する。
91/92シーズンにイタリアのバリに移籍。
ここではボバンと共にプレーするが、チームは2部に降格。
翌92/93シーズン、ボバンはチームを去るがヤルニは残留し、このシーズン、2部で素晴らしい活躍を見せる。
93/94シーズンからは、トリノで活躍すると、その才能に目を付けたユベントスに引き抜かれることになる。
94/95シーズン、名門ユベントスに移籍したものの、デシャン、パウロ・ソウザ、コーラーという不動の外国人枠のレギュラーがいたため、序盤はほとんど活躍の場はなかった。
しかし、徐々にプレーの機会を与えられると、その素晴らしいスピードを生かしたオーバーラップで素晴らしいプレーを披露し高評価を得る。
レギュラーに定着はできなかったものの、優勝を決めるパルマ戦ではスタメンで出場し、優勝に貢献した。
95/96シーズンからは、出場機会を求め、スペインのベティスに移籍。
ベティスでは主にサイドハーフとして活躍する。
翌96/97シーズン、フィニディ・ジョージが加入すると、リーグ最強の両翼を得たベティスは旋風を起こす。
ヤルニとフィニディ・ジョージの強烈なサイドアタックはアルフォンソのゴール量産に繋がり、また自らも多くのゴールを挙げた。
チームはシーズン3位の好成績を残す。
その後2シーズン、ベティスでプレーを続け、ロベルト・カルロスに並ぶリーグ最強の左サイドとしての評価を確立した。
98/99シーズン、ヤルニはベティスを離れ、新しいチームに移るのであるが、そのチームはなんとレアル・マドリード。
ヤルニはレアル・マドリードの一員に相応しい実力の持ち主であったが、このチームにはロベルト・カルロスという絶対的な存在があった。
(確かに、リーグ戦、国内カップ、チャンピオンズリーグの掛け持ちは厳しいものがあるが、この補強は疑問を感じる人は多かったと思う。)
リーグ戦では途中出場が多く、主にカップ戦要員として扱われた。
しかし、限られた出場機会でも素晴らしいパフォーマンスを見せ、自らの実力をアピールした。
このシーズン、レアル・マドリードはリーグ優勝は逃したが、CLでは見事優勝を果たし、ヤルニも少なからず優勝に貢献した。
翌99/00シーズンからは、2部のラス・パルマスに活躍の場を移す。
そこでチームリーダーとして活躍、怪我の影響もありフル回転はできなかったが、チームの1部昇格に貢献。
00/01シーズンは再び1部の舞台で活躍するが、翌01/02シーズン、チームとの契約がこじれギリシャのパナシナイコスに移籍する。
しかし、サッカーへの情熱が薄れてしまったのであろうか、あまりプレーすることもなく、このシーズンを最後に現役を引退した。
代表としては、分離前のユーゴスラビア代表として7試合、クロアチア代表として81試合に出場し、共に1ゴールずつ挙げている。
代表では4-4-2のシステムでプレーすることが多く、得点は少ない。
90年のW杯に出場したが、その後は紛争の影響で出場の機会を断たれる。
96年の欧州選手権にはクロアチアとして国際舞台に復帰。ベスト8の好成績を残す。
98年のW杯では、シュケル、ボバン、スタニッチ、プロシネツキらの錚々たるメンバーと共に快進撃を見せる。
準々決勝では96年欧州選手権で敗れたドイツと対戦。
ヤルニはドイツを破るミドルシュートを突き刺した。その後も素晴らしい守備を見せ、歴史的快挙の立役者となった。
クロアチアは準決勝でフランスに敗れたが、3位決定戦でオランダに勝利し、3位という素晴らしい成績を残した。
02年のW杯ではグループリーグ全試合に出場したが、エクアドル戦を取りこぼし、決勝トーナメントには進めなかった。
ロベルト・カルロスと並びその才能は評価されましたが、守備能力はヤルニの方がはるかに高く、
ベティス時代は間違いなくリーグNo.1の左サイドだったと思います。
パナシナイコスでもう一花咲かしてくれると思っていたら、あっさり辞めちゃいました。
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