
【 マルク ヴィルモッツ 】 184/86 1969-2-22
FW/MF
| シーズン | 所属 | リーグ | 試合 | ゴール |
| 85 / 86 | シン・トルイデン | Bel1 | - | - |
| 86 / 87 | シン・トルイデン | Bel1 | - | - |
| 87 / 88 | シン・トルイデン | Bel1 | 30 | 9 |
| 88 / 89 | KVメヒェレン | Bel1 | 29 | 4 |
| 89 / 90 | KVメヒェレン | Bel1 | 26 | 10 |
| 90 / 91 | KVメヒェレン | Bel1 | 32 | 8 |
| 91 / 92 | スタンダード・リエージュ | Bel1 | 33 | 10 |
| 92 / 93 | スタンダード・リエージュ | Bel1 | 25 | 22 |
| 93 / 94 | スタンダード・リエージュ | Bel1 | 28 | 11 |
| 94 / 95 | スタンダード・リエージュ | Bel1 | 23 | 10 |
| 95 / 96 | スタンダード・リエージュ | Bel1 | 26 | 14 |
| 96 / 97 | シャルケ04 | Dui1 | 29 | 6 |
| 97 / 98 | シャルケ04 | Dui1 | 31 | 7 |
| 98 / 99 | シャルケ04 | Dui1 | 12 | 1 |
| 99 / 00 | シャルケ04 | Dui1 | 37 | 7 |
| 00 / 01 | ボルドー | Fra1 | 30 | 8 |
| 01 / 02 | シャルケ04 | Dui1 | 24 | 6 |
| 02 / 03 | シャルケ04 | Dui1 | 10 | 0 |
ベルギーサッカー史上最高の選手として評される天才エンツォ・シーフォの後を継ぎ、司令塔として活躍した選手。
とは言っても、プレースタイルはシーフォとは全く異なり、テクニック、創造性を売りにした天才肌の選手ではなく、
フィジカルの強さ、運動量、そして闘争心をむき出しにして戦うファイターである。
85/86シーズンにシン・トルイデンというチームでプロデビューを果たすと、着実に成長を遂げる。
87/88シーズンには9ゴールを挙げる活躍を見せ、当時、積極的な補強策を進め、成功を収めていたKVメヒェレンに引き抜かれる。
KVメヒェレンでは、オランダ人のヨン・ボスマンやエルウィン・クーマンと共に活躍。
89/90シーズンには、実に41年ぶりの優勝を果たし、ヴィルモッツもベルギー国内有数のプレイヤーとして認められる。
91/92シーズンからは、名門スタンダード・リエージュに活躍の場を移すと、さらに大きく飛躍する。
92/93シーズンには22ゴールを挙げるなど、在籍した5シーズン全てで二桁ゴールを挙げた。
ベルギーでの活躍が大きく評価され、96/97シーズンにはドイツのシャルケ04に移籍する。
シャルケは当時、ヴィルモッツの他にトーン、ネメチ、ムルダー、マックス、デ・コック、ラタル等の仕事人が在籍する超いぶし銀集団であった。
このシーズン、国内リーグでは16位と振るわなかったが、UEFAカップでは強豪を次々倒し決勝進出を果たす。
決勝の相手はスター軍団のインテルであった。
スター軍団と仕事人軍団との対戦という異色の決勝カードは、下馬評はインテルの圧倒的有利であった。
しかし、ヴィルモッツを中心としたシャルケは、見事なサッカーでインテルを下し、チームに栄冠をもたらした。
その後、シャルケの「顔」として君臨。
そのプレースタイルは労働者の町であるルール地方の人々にこよなく愛されたが、残念ながらチームの成績は振るわなかった。
00/01シーズン、シャルケのフロントは一つの決断を下す。
チームの顔であるヴィルモッツを放出し、ルール地方のライバル、ボルシア・ドルトムントのスターであるメラーを獲得した。
シャルケとドルトムントのライバル意識は凄まじく、ヴィルモッツを放出し、メラーというライバルチームのエースを獲得することに、サポーターは大きく抗議した。
しかしこのシーズン、皮肉にもシャルケはメラーを中心に躍進を遂げる。
バイエルンに優勝はさらわれたが、シーズン2位という好成績を収めた。
一方、ヴィルモッツはボルドーでもその果敢なプレーで人気を博す。
8ゴールを挙げると共に、パウレタの得点王獲得に大きく貢献。
チームも4位という好成績を収めた。
フランスでも成功を収めたヴィルモッツであったが、翌01/02シーズンには、フロントがサポーターの声を聞き入れる形でシャルケに復帰することとなった。
その後2シーズンシャルケでプレー。
02/03シーズンの終盤にはプレーイングマネージャーも務めたが、このシーズンの終了後にサッカー界から引退をした。
ベルギー代表としては、70試合で25ゴールを挙げている。
90年に代表デビューし、イタリアW杯のメンバーにも選ばれたが、同じポジションにシーフォという絶対的な存在が居たため、出場機会は無かった。
94年のアメリカW杯でも、シーフォの存在があり、わずか1試合の出場に留まっている。
この大会を最後にシーフォが代表から去ると、ヴィルモッツが後を継ぐことになる。
98年のフランスW杯ではレギュラーとして出場。
グループリーグのメキシコ戦では2ゴールを挙げる活躍を見せるが、最終戦の韓国戦で引き分けとなり、決勝トーナメント進出を逃す。
82年から続いていたグループリーグ突破を逃したため、エースであるヴィルモッツは批判を受けることとなった。
00年の地元ベルギーで開かれた欧州選手権では、グループリーグ突破を義務付けられていたにも関わらず、グループリーグ敗退となり、再び批判をされることとなった。
02年の日韓W杯の欧州予選では、チーム最多得点を挙げ、本大会出場に大きく貢献。
本大会では、FW不足であったためトップに近い位置でプレーする。
グループリーグの初戦の日本戦ではオーバーヘッドシュートを決め、第2戦のチュニジア戦ではチーム唯一のゴールを決め引き分けに持ち込んでいる。
グループリーグ突破をかけたロシアとの対戦では、結果的に決勝点となるゴールを挙げ、3試合連続得点でチームを決勝トーナメントに導いた。
決勝トーナメント1回戦ではブラジルと対戦。
先制となる見事なヘディングゴールを挙げたが、何故かファールをとられゴールを取り消されている。
(ヴィルモッツは相手DFに触れてもいなかったため、ファールをとってもらったDFですら驚いていた。)
結局ブラジルに2ゴールを奪われ敗れたが、ベルギーの内容が非常に良かったため、誤審が無ければ結果はどうなっていたか分らない。
選手時代のニックネームは「イボイノシシ」「ミスター1000%」でした。
まさしくその名の通り、激しいく熱い選手でした。
ベルギー代表は、欧州選手権、W杯の常連国でしたが、ヴィルモッツが引退してから全て本大会の出場を逃しています。
ヴィルモッツは紹介されるたびに、テクニックの無い選手のように言われますが、決して雑な選手ではなく、実はテクニックもなかなかのものでした。(シーフォと比べるともちろん数段落ちますが・・・)
ただ、あまりにも猛烈なプレースタイルの印象が強いためそう思われているのだと思います。
02年W杯のブラジル戦の後のインタビューで誤審について聞かれると「サッカーというのは審判のジャッジを含めてサッカーだからね、何も気にしてないよ」と発言。
さらに男を上げました。