ゴラン ブラオビッチ 】 177/73 1972-8-7  FW



シーズン 所属 リーグ 試合 ゴール
89〜90 オシエク Cro1 1 0
90〜91 オシエク Cro1 23 11
91〜92 H・グラダンスキ Cro1 22 9
92〜93 D・ザグレブ Cro1 29 23
93〜94 D・ザグレブ Cro1 29 29
94〜95 パドヴァ Ita1 27 5
95〜96 パドヴァ Ita1 23 13
96〜97 ヴァレンシア Spa1 24 8
97〜98 ヴァレンシア Spa1 26 7
98〜99 ヴァレンシア Spa1 19 2
99〜00 ヴァレンシア Spa1 4 0
00〜01 パナシナイコス Gre1 22 12
01〜02 パナシナイコス Gre1 21 13
02〜03 パナシナイコス Gre1 13 2
03〜04 パナシナイコス Gre1 8 2
291 136

スピードとパワーを兼ね備えたストライカー。
強引なドリブル突破や、強烈なミドルシュートを武器としたクロアチアの点取屋である。

89/90シーズン、オシエクというクラブでデビューすると、翌90/91シーズンにはレギュラーに定着。
92/93シーズンには、その才能を買われ名門ディナモ・ザグレブに加入する。
そこで、スタニッチらチームメイトのアシストにも恵まれ、ゴールを量産する。
このシーズン23ゴールを挙げ、チームをリーグ優勝に導くと共に、21歳の若さで得点王のタイトルを獲得。
93/94シーズンにも29ゴールを挙げ得点王に輝き、その実力はヨーロッパで注目されるようになる。

94/95シーズンにはイタリアのパドヴァに移籍。
シーズンを通してレギュラーとして出場するが、イタリアの壁につまづき、わずか5ゴールに終わる。
しかし、翌95/96シーズンには、本領を発揮。
2トップのパートナーのニコラ・アモルーゾとの相性も良く、シーズン23試合で13ゴールを挙げる成績を残した。

パドヴァという小さなクラブでこの成績を立派である。


この活躍が認められる格好で、翌96/97シーズンにスペインのヴァレンシアに引き抜かれる。
しかし、ここで待っていたのは過酷なレギュラー争いであった。
ロマーリオ、クラウディオ・ロペス、オルテガ、アングロ、イリエ、サンチェス等の優秀な前線の選手の前に、
出場機会は限られており、満足いく結果は残せなかった。
加入した96/97と翌97/98シーズンは、それなりに出場機会があり得点を挙げたが、
98/99シーズンにクラウディオ・ロペス中心のカウンターサッカーになると、一気に出場機会を失う。

00/01シーズンからは、ギリシャの名門パナシナイコスに移籍する。
ここでもFW陣の層が厚く、常にピッチに立っていたわけではないが、ヴァレンシア時代に鬱憤を晴らすようにすばらしいプレーを見せる。
チャンピオンズリーグでは2次リーグ進出に貢献した。

しかし、翌01/02シーズンに、チームが大金を叩いてキプロス代表のコンタンチヌを獲得したため、徐々に出場機会が減っていく。
監督は常にコンスタンチヌを中心にチームを編成。そのパートナーにはすばしっこさが売りのオリサデベが選ばれた。
03/04シーズンにはわずか8試合の出場に留まり、このシーズンを最後にピッチを去った。


代表では51試合で15ゴールを挙げた。
シュケル、ボクシッチという世界的なFWと時代が重なってしまったため、常に第3のFWとして扱われたが、その存在感は大きかった。
96年の欧州選手権では、怪我で欠場のボクシッチに代わって、シュケルのパートナーを務めた。
トルコ戦では50メートルをドリブルで駆け上がり、最後はキーパーを交わしてゴールを決めるという、見事なプレーを見せた。
この活躍もあって予選リーグを突破するが、準々決勝でドイツに敗れた。

98年のW杯でもボクシッチが怪我のため出場できなかった。
最初、スタニッチがシュケルのパートナーを務めたが、スタニッチが不調であったため、ブラオビッチに出番が回ってくる。
準々決勝では欧州選手権で敗れたドイツと対戦。
後半にブラオビッチは狙い済ましたミドルシュートを決め、3対0で見事勝利。
チームは3位という好成績を残した。


どのチームでもチーム事情により出場機会が少なかったのが残念。
ヴァレンシア時代はもっとやれたはずだのに、イリエの加入とC・ロペスの成長の前には成すすべなく。
パナシナイコスではチームでNo.1のFWだったと思いますが、監督の構想からは外れてしまいました。
彼の実力からするともっと数字を残してもおかしくないだけに、残念。