
【 アーロン ヴィンター 】 177/69 1967-3-1
MF
| シーズン | 所属チーム | リーグ | 試合 | ゴール |
| 85 / 86 | アヤックス | Net1 | 4 | 1 |
| 86 / 87 | アヤックス | Net1 | 28 | 7 |
| 87 / 88 | アヤックス | Net1 | 35 | 6 |
| 88 / 89 | アヤックス | Net1 | 28 | 5 |
| 89 / 90 | アヤックス | Net1 | 33 | 9 |
| 90 / 91 | アヤックス | Net1 | 32 | 6 |
| 91 / 92 | アヤックス | Net1 | 30 | 9 |
| 92 / 93 | ラツィオ | Ita1 | 30 | 6 |
| 93 / 94 | ラツィオ | Ita1 | 34 | 4 |
| 94 / 95 | ラツィオ | Ita1 | 29 | 5 |
| 95 / 96 | ラツィオ | Ita1 | 30 | 6 |
| 96 / 97 | インテル | Ita1 | 24 | 0 |
| 97 / 98 | インテル | Ita1 | 24 | 0 |
| 98 / 99 | インテル | Ita1 | 28 | 1 |
| 99 / 00 | アヤックス | Net1 | 33 | 3 |
| 00 / 01 | アヤックス | Net1 | 17 | 1 |
| 01 / 02 | スパルタ | Net1 | 32 | 1 |
| 02 / 03 | アヤックス | Net1 | 0 | 0 |
| 計 | 471 | 70 |
90年代のオランダを代表する中盤の仕事人。
決して派手なプレイヤーではないが、抜群の技術と高度な戦術眼、そして豊富な運動量と高い守備力で、中盤を幅広く動きチームを引き締めた。
ストライカー並みの得点力を持っていたがあまりゴールへのこだわりはなかったようだ。
スルーパスも得意とし、多くの得点を演出した。
85/86シーズンにオランダの名門アヤックスでトップデビューすると、その非凡な能力は高く評価される。
翌86/87シーズンからはレギュラーとして活躍。
ファン・バステンらと共にカップウイナーズ・カップで優勝を果たし、弱冠20歳でヨーロッパタイトルを手にする。
その後、チームの要としてアヤックスの中盤に君臨。
そのスタイルでゲームを作り上げると共に、多くの得点も挙げた。
89/90シーズンには、自己最多タイの9ゴールを挙げ初のリーグ優勝を果たす。
91/92シーズンには、UEFAカップで優勝。
エースのベルカンプやヨンクと共に優勝の立役者となったヴィンターはヨーロッパの多くのクラブから注目される存在となり、
シーズン終了後にはイタリアのラツィオが多額の移籍金で獲得した。
92/93シーズン、一年目からの活躍は難しいと言われていたイタリアで、ヴィンターは抜群の動きを見せ、すぐにラツィオの中心メンバーとなる。
シーズン前には、同じくこのシーズンに加入したイングランドの天才ガスコインばかりが注目されていたが、
シーズンが始まってみると、両者のチームへの貢献度は雲泥の差があった。
エースのシニョーリには多くのパスを送り、得点王に大きく貢献している。
93/94シーズン、ラツィオは新しい指揮官を迎える。
その監督はセリエAでフォッジアを率い、イタリアでは珍しい超攻撃的サッカーで旋風を巻き起こしたゼーマンであった。
ラツィオの3トップの攻撃的サッカーは見事にはまり、強豪を次々と沈める。
シニョーリ、カシラギ、ボクシッチ、ランバウディらの攻撃陣ばかりが目を引いたが、ラツィオを支えていたのはチームの心臓とも言えるヴィンターであった。
ラツィオには95/96シーズンまで在籍。
タイトルには無縁であったが、ゼーマンの攻撃的サッカーを支えた働きは大きく評価され、セリエA屈指のMFとしての評価を得るまでになった。
ボスマン判決によって、EU圏内での移籍が自由となった96/97シーズン、インテルは怒涛の補強を行い、ヴィンターも獲得する。
FWにはサモラーノ、カヌ、MFにはヴィンターの他にスフォルツァ、シメオネ、ジョルカエフを獲得した。
インテルは優勝を逃すが、長年の低迷から脱する3位という好成績を残した。
しかしヴィンターはラツィオ時代のような素晴らしい活躍を見せることはできなかった。
97/98シーズン、インテルはロナウドを獲得しチームは躍進するが、シメオネ、コウエが中盤に定着したため、ヴィンターは交代要員となってしまう。
それでも与えられた仕事を着々とこなしチームに貢献。
このシーズンインテルは、ユベントスと壮絶な優勝争いの末優勝を逃す。
UEFAカップでは優勝を果たし、イタリアで初のタイトルを獲得する。
98/99シーズン、インテルは泥沼の低迷期に入ってしまう。
レギュラーとして試合に出場するが、チームを立て直すことは不可能であった。
このシーズンを最後にイタリアを去り、99/00シーズンからは古巣のアヤックスに復帰する。
しかし、当時のアヤックスはボスマン判決の影響をモロに受け、低迷期の真っ只中であった。
ヴィンターは孤軍奮闘を続けるがチーム状況は一向に上を向く事はなかった。
00/01シーズン終了後にスパルタにレンタル移籍。
スパルタではベテランらしいプレーで活躍し、自らの存在をアピール。
02/03シーズンには、すぐにアヤックスに呼び戻されることになる。
しかし、このシーズンのアヤックスはスナイデル、ファン・デル・ファールト、ファン・デル・メイデ、ピナール等の若手が一気に才能を伸ばし、
アヤックスにはヴィンターの居場所はなかった。
シーズン途中で戦力外の扱いとなり、そのまま現役を引退した。
代表では84試合に出場し、6ゴールを挙げている。
88年の欧州選手権にはメンバー入りし、ほとんど出場機会はなかったが、オランダ初のタイトル獲得という貴重な体験をしている。
92年の欧州選手権で初めてレギュラーとして、大会に挑み、チームのベスト4進出に大きく貢献。
94年のW杯ではレギュラーではなかったものの、貴重な戦力として活躍。
準々決勝のブラジル戦では途中出場で同点ゴールを挙げる活躍を見せた。
その後、98年のW杯までメジャー大会には全て出場しているが、分厚いオランダの中盤のレギュラー争いは厳しく。
不動のレギュラーであったというわけではなかったが、ヴィンターの存在は非常に大きかったと言える。
まさしくいぶし銀と言える選手でした。
あのパスセンスを生かすためにオランダ代表でトップ下でプレーして欲しかったです。
シニョーリの3度の得点王はヴィンターの存在なくしては考えられないでしょう。