
【 ダヴォール シュケル 】 183/83 1968-1-1
FW
| シーズン | 所属 | リーグ | 試合 | ゴール |
| 84 / 85 | NK Osijek | Yug1 | 3 | 0 |
| 85 / 86 | NK Osijek | Yug1 | 10 | 3 |
| 86 / 87 | NK Osijek | Yug1 | 26 | 9 |
| 87 / 88 | NK Osijek | Yug1 | 29 | 10 |
| 88 / 89 | NK Osijek | Yug1 | 26 | 18 |
| 89 / 90 | D・ザグレブ | Yug1 | 28 | 12 |
| 90 / 91 | D・ザグレブ | Yug1 | 32 | 22 |
| 91 / 92 | セビージャ | Spa1 | 22 | 6 |
| 92 / 93 | セビージャ | Spa1 | 33 | 13 |
| 93 / 94 | セビージャ | Spa1 | 34 | 24 |
| 94 / 95 | セビージャ | Spa1 | 32 | 17 |
| 95 / 96 | セビージャ | Spa1 | 32 | 16 |
| 96 / 97 | レアル・マドリード | Spa1 | 37 | 24 |
| 97 / 98 | レアル・マドリード | Spa1 | 29 | 10 |
| 98 / 99 | レアル・マドリード | Spa1 | 19 | 4 |
| 99 / 00 | アーセナル | Eng1 | 22 | 8 |
| 00 / 01 | ウエスト・ハム | Eng1 | 11 | 2 |
| 01 / 02 | 1860ミュンヘン | Dui1 | 14 | 4 |
| 02 / 03 | 1860ミュンヘン | Dui1 | 14 | 1 |
| 計 | 453 | 203 |
クロアチアが生んだ最強のゴールゲッター。
スピードがあり、当りにつよく、テクニック抜群。強烈なシュート、巧みなシュート、ドリブルでかわしてのシュートができ、ヘディングも強く、ポジショニングも抜群。
まさになんでもありのストライカーである。(ただ守備は全くしない)
当時ユーゴスラビアリーグのNK Osijekでトップデビューをする。
シーズンごとに着実にゴール数を伸ばし、88/89シーズンには得点王に輝く。
翌89/90シーズン、リーグ屈指の強豪チーム、D・ザグレブに移籍する。
90/91シーズンには22ゴールを挙げ、ユーゴスラビア屈指のタレントとして、海外にも名が知れるようになる。
91/92シーズンにはスペインにセビージャに移籍する。
1シーズン目は環境の変化からか、結果を残せなかったが、92/93シーズンから本領を発揮する。(このシーズンにはマラドーナと共にプレーしている)
決して強豪とは言えないチームで毎年のようにゴールを量産。
92/93シーズン〜95/96シーズンの4シーズンで合計70ゴールという驚異的な数字を残し、この頃にはシュケルの名はスペインだけでなく、世界的に知れ渡るようになる。
96/97シーズンには、名門レアル・マドリードに引き抜かれる。
ボスマン判決により、超豪華多国籍チームに生まれ変わったチームでエースストライカーとして君臨する。
開幕から順調にゴールを重ね勝利に貢献していく。FCバルセロナのロナウドとの得点王争いは熾烈を極めた。
しかし、シーズンの後半にスランプに陥り、チームは優勝するも、得点王はロナウドに奪われてしまう。
(アルフォンソ 24ゴール にも抜かれて、得点ランキングは結局3位)
97/98シーズンは開幕からしばらくレギュラーとしてプレーするが、サラゴサから加入したモリエンテスの活躍により次第にベンチに追いやられるようになる。
(この頃、女性の噂がいろいろあって忙しかったみたいです・・・)
結局このシーズン10ゴールで終わり、リーグ優勝を逃す。
CLでは優勝するも活躍したとは言い難い。
98/99シーズンには、ワールドカップの得点王でありながら、チームではモリエンテスに完全にレギュラーを奪われ、交代要員としてベンチに座り続ける。
翌シーズンにはアーセナルに移籍するが、アンリ、ベルカンプ、カヌというレギュラー陣から、スタメンの座を奪うことができなかった。
それでも8ゴールという成績はさすがと言える。
その後、ウエスト・ハム、ドイツの1860ミュンヘンとチームを移るが、結果を残せず、02/03シーズンを最後に引退する。
クロアチア代表でも69試合45ゴールという、凄まじい決定力を誇っている。
90年のワールドカップにはユーゴスラビア代表として出場している。
クロアチアが初めて出場した国際舞台、96年の欧州選手権では3ゴール挙げ、ベスト8進出の原動力になる。
(準決勝でドイツと対戦、先制点を挙げるも、ザマーの逆転ゴールで敗れる。このゴール直前のプレーが反則すれすれのもので、物議呼ぶ。)
98年のワールドカップでは、予選リーグのアルゼンチン戦を除く、6試合で1ゴールずつ挙げ得点王に輝き、チームも3位という素晴らしい結果を残した。
準々決勝では因縁のドイツと対戦3対0と大差で勝利している。
シュケルがレアル・マドリードに移籍した時の監督はカペッロだったんだけど、今思うと、自己中で守備をしないシュケルをよく使ったものだなと思う。
それだけすごい点取屋なんだな〜って思う。
![]()
![]()