
【 チリアコ スフォルツァ 】 180/76 1970-3-2
MF
| シーズン | 所属 | リーグ | 試合 | ゴール |
| 86 / 87 | グラスホッパー | Swi1 | 21 | 1 |
| 87 / 88 | グラスホッパー | Swi1 | 29 | 3 |
| 88 / 89 | グラスホッパー | Swi1 | 16 | 1 |
| 89 / 90 | FC Aarau | Swi1 | 14 | 3 |
| 90 / 91 | グラスホッパー | Swi1 | 36 | 1 |
| 91 / 92 | グラスホッパー | Swi1 | 26 | 4 |
| 92 / 93 | グラスホッパー | Swi1 | 21 | 2 |
| 93 / 94 | カイザースラウテルン | Dui1 | 29 | 8 |
| 94 / 95 | カイザースラウテルン | Dui1 | 32 | 7 |
| 95 / 96 | バイエルン・ミュンヘン | Dui1 | 30 | 2 |
| 96 / 97 | インテル | Ita1 | 26 | 1 |
| 97 / 98 | カイザースラウテルン | Dui1 | 32 | 3 |
| 98 / 99 | カイザースラウテルン | Dui1 | 32 | 0 |
| 99 / 00 | カイザースラウテルン | Dui1 | 27 | 1 |
| 00 / 01 | バイエルン・ミュンヘン | Dui1 | 20 | 0 |
| 01 / 02 | バイエルン・ミュンヘン | Dui1 | 16 | 1 |
| 02 / 03 | カイザースラウテルン | Dui1 | 23 | 1 |
| 03 / 04 | カイザースラウテルン | Dui1 | 0 | 0 |
| 04 / 05 | カイザースラウテルン | Dui1 | 17 | 0 |
| 05 / 06 | カイザースラウテルン | Dui1 | 7 | 0 |
| 計 | 454 | 39 |
広い視野と、正確なパスが持ち味のMF。
プレースキックの精度も高く、多くの得点を演出した。
派手な選手ではないかもしれないが、堅実に中盤の仕事をこなすワールドクラスのプレイヤー。
チーム事情によりセンターフォワードやリベロのポジションを務めることもあったが、常に高いレベルで結果を残した。
地元のアマチュアチームで技術を磨き、86/87シーズンに名門クラスホッパーでプロデビュー。
その後、スランプに陥った時期もあった着実に成長。
90/91シーズンには、念願のリーグ優勝を果たし、スイスを代表するMFとなっていく。
93/94シーズンにはドイツのカイザースラウテルンに移籍。
ブレーメやクンツというワールドクラスの選手と共にプレーする中で、スフォルツァの才能がさらにに開花する。
正確なパスでチームを自在に操ると共に、自らもゴールを挙げチームに大きく貢献する。
さらにドイツに渡ってからは、フィジカルの弱さも克服、リーグ屈指のMFとして認識されるようになる。
そして95/96シーズンには、ドイツNo.1チームのバイエルン・ミュンヘンに引き抜かれることになる。
バイエルン・ミュンヘンでもその実力をいかんなく発揮、クリンスマンやショルと共に攻撃陣を牽引した。
リーグ優勝は逃したが、UEFAカップでは見事優勝を果たし、自身初のヨーロッパタイトルと獲得した。
しかし、当時のバイエルン・ミュンヘンは、FCハリウッドと呼ばれ、試合よりもクリンスマンとマテウスの喧嘩などピッチ外の出来事の方が話題になるようなチームであった。
そんなチームに嫌気がさし、スフォルツァはわずか1シーズンでチームを去る。
96/97シーズンには、スイス代表での恩師であるホジソン監督のラブコールに応えて、イタリアのインテルに移籍。
ボスマン判決後のこのシーズン、インテルは他にもサモラーノ、カヌ、ジョルカエフ、ヴィンター、シメオネ、アングロマ等の多くの選手を獲得し、スクデット奪還に燃えていた。
スフォルツァはシーズン序盤はまずまずのプレーで活躍したものの、イタリアのプレッシャーの厳しい、結果重視のサッカーに慣れることはできなかった。
インテルは3位という、数シーズンの不振から抜け出す成績を残したが、スフォルツァはわずか1シーズンでイタリアを去る。
97/98シーズン、古巣カイザースラウテルンに復帰。
カイザースラウテルンはスフォルツァが去ったあと、2部に降格。このシーズン1部に復帰したばかりであった。
チームに復帰するとすぐにチームの心臓として活躍。
素晴らしいプレーで、試合を組み立てチームの快進撃を導く。
カイザースラウテルンは1部に復帰したばかりであるにも関わらず、強豪を次々破り首位に立つ。
選手層が薄いチームであったが、スフォルツァがFWやDFの様々なポジションをこなし、チームの穴を埋めた。
終盤にバイエルン・ミュンヘンの追い上げもあったが、そのまま逃げ切り、1部に復帰したそのシーズンに優勝を果たす快挙を成した。
その後チームの顔としてプレーするが、00/01シーズンには再びバイエルン・ミュンヘンに移籍する。
しかし、チームでの立場は「スター」エッフェンベルグの控え、またはDFの3,4番手というものであった。
このシーズンリーグ、リーグ優勝と共にCLも制し、2冠を達成したが、スフォルツァにとっては不完全燃焼のシーズンであった。
翌01/02シーズンもチームでの立場は変わらず、シーズン終了後チームを去り、またまたカイザースラウテルンに復帰する。
年齢的なこともあり怪我が多くなるが、それでもチームを降格の危機から幾度となく救う活躍を見せた。
05/06シーズンには怪我のため、わずか7試合の出場にとどまり、このシーズンを最後に現役を引退した。
代表では79試合に出場し、7ゴールを挙げている。
94年のW杯に出場し、レギュラーとして活躍、決勝トーナメント進出に貢献した。
96年の欧州選手権にも出場したが、グループリーグ敗退となった。
その後、代表チームの中心として長年活躍したが、メジャー大会に出場することはできなかった。
同じチームに3回も所属するって結構珍しいんじゃないでしょうか。
イタリアでもう少し我慢してプレーしていれば、インテルの中心としてやっていける実力はあったと思います。
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