
【 マリオ スタニッチ 】 185/79 1972-4-10
FW/MF
| シーズン | 所属 | リーグ | 試合 | ゴール |
| 88 / 89 | Zeljeznicar Sarajevo | Yug1 | - | - |
| 89 / 90 | Zeljeznicar Sarajevo | Yug1 | 14 | 0 |
| 90 / 91 | Zeljeznicar Sarajevo | Yug1 | 28 | 1 |
| 91 / 92 | Zeljeznicar Sarajevo | Yug1 | 21 | 11 |
| 92 / 93 | D・ザグレブ | Cro1 | 26 | 11 |
| 93 / 94 | S・ヒホン | Spa1 | 34 | 7 |
| 94 / 95 | ベンフィカ | Por1 | 14 | 5 |
| 95 / 96 | C・ブルージュ | Bel1 | 30 | 20 |
| 96 / 97 | C・ブルージュ | Bel1 | 7 | 7 |
| パルマ | Ita1 | 13 | 3 | |
| 97 / 98 | パルマ | Ita1 | 23 | 4 |
| 98 / 99 | パルマ | Ita1 | 18 | 7 |
| 99 / 00 | パルマ | Ita1 | 23 | 5 |
| 00 / 01 | チェルシー | Eng1 | 12 | 2 |
| 01 / 02 | チェルシー | Eng1 | 27 | 1 |
| 02 / 03 | チェルシー | Eng1 | 18 | 4 |
| 03 / 04 | チェルシー | Eng1 | 2 | 0 |
| 計 | 310 | 88 |
決して派手なプレーや、目立ったパフォーマンスをするわけではないが、闘志溢れるプレーでチームを引っ張るプレイヤー。
高いユーティニティ性をを持ち、右サイドハーフが元もとのポジションであるが、センターフォワードでも中盤の真ん中でも、サイドバックとしても機能することができる。
特別スピードがある訳ではないが、力強いドリブルと素晴らしいスタミナを兼ね備え、高い戦術眼を持つ。
またヘディングが非常に強くセットプレーからの得点が多い。
センターフォワードとしてプレーする際には、抜群のポジショニングでここ一番の場面でゴールを決める勝負強い点取屋に変身する。
スピードとテクニックを生かして、サイドハーフとFWで活躍する選手はちょくちょくいるが、そういうタイプではない。
旧ユーゴスラビア、ボニスア・ヘルツェゴビナのサラエボに生まれ、地元のZeljeznicar Sarajevoというクラブでプロデビューをする。
その後順調に成長し、ユーゴスラビアでも名の通った存在となる。
しかしボスニア紛争によりふるさとのサラエボを後にし、92/93シーズンにクロアチアのディナモ・ザグレブに移籍する。
ここではブラオビッチやツビタノビッチらと共に活躍、右サイドで高いパフォーマンスを見せると共に、高い得点能力も発揮し、リーグ制覇に大きく貢献する。
その活躍が認められ、93/94シーズンにはスペインのスポルティング・ヒホンに移籍。
実質上初の海外挑戦となったが、スペインの地でも臆することなく素晴らしいプレーを披露。
MFとして7ゴールを挙げる活躍を見せた。
そして、翌94/95シーズンにはポルトガルの名門ベンフィカに迎えられることになる。
しかしポルトガルのサッカーが合わなかったのであろうか、スペイン時代のような動きは見せることはできなかった。
さらに、エジウソン、カニーヒア、プロドームらとの外国人枠の関係でレギュラーになることすらできなかった。
失意のままポルトガルを去り、95/96シーズンからはベルギーの名門クラブ・ブルージュでプレーする。
ベルギーではその得点能力の高さを買われ、センターフォワードでプレーすることになるとゴールを量産する。
アンデルレヒトに前にリーグ優勝は惜しくも逃すが、20ゴールを挙げ得点王に輝く。
翌シーズンも開幕からゴールを量産する。
そしてその活躍に注目したのはイタリアのパルマであった。
パルマは当時チームの変革期に入っており、アンチェロッティを新監督に迎え、キエーザ、クレスポという新しいストライカーを2トップに置き、
エースであったゾラをサイドに回すなど、新しいチーム作りを模索していた。
(ゾラはシーズン途中にチェルシーに移籍)
96/97シーズンの途中にパルマに移籍した当初はなかなか活躍の場はなく、チームは泥沼の中でもがいていた。
しかし、シーズン途中の一戦でスタニッチが途中出場から初ゴールを挙げ1対0で逃げ切ると、ここから一気にチームが機能し出す。
パルマはとにかく1点と取り、それを守り抜くというサッカーを貫き、シーズン序盤は降格圏内にいたにも関わらず、
最終的にはシーズン2位となり、CLの初めての出場権すら得たのである。
パルマではほとんど右サイドでプレーしたが、ライバルが多くいたためシーズンフルに通して出場できるということはなかなかなかった。
しかし、その闘志溢れるプレーでサポーターからは、「パルマの象徴」とまで呼ばれるようになり、当時の強かったパルマには無くてはならない存在となった。
スクデットは獲得できなかったものの、98/99シーズンにはUEFAカップで優勝を果たし、初のヨーロッパタイトルを手にした。
00/01シーズンからは、イングランドのチェルシーに移籍し、外人部隊の一人として活躍する。
デビュー戦では、膝でボールをポンポンとリフティングした後、豪快にボレーに蹴りこむというスーパーゴールを挙げ、ロンドンのサポーターのハートを掴んだ。
チェルシーでも右サイドでプレーしたが、パルマ時代のような素晴らしいプレーをあまり見せることはできなかった。
それでも、貴重な戦力としてラニエリ監督に重宝された。
しかし03/04シーズン、試合中に膝に怪我を負い、その怪我が原因で31歳の若さで現役を引退した。
代表では旧ユーゴスラビア代表として2試合。
クロアチア代表として49試合で7ゴールを挙げている。
ボスニア・ヘルツェゴビナ出身であるが、紛争によってクロアチアに活躍の場を移し、そのときにクロアチア代表としてプレーすることを決めた。
96年の欧州選手権には控えメンバーとして参加し、3試合に出場している。
98年のW杯では、怪我で出場不可能となったボクシッチの代わりにFWとして出場しシュケルと2トップを組んだ。
初戦のジャマイカ戦ではクロアチアのW杯での初ゴールを挙げたが、その後あまりいいプレーをすることはできなかった。
MFのプロシネツキの調子が上がらないことから、大会途中からはプロシネツキに代わり中盤でプレー。
本来のポジションに戻ったスタニッチはその後のクロアチアの快進撃を支え、クロアチアの3位という快挙に貢献した。
準々決勝のドイツ戦では決勝点となったヤルニのゴールをアシストしている。
その後も代表として活躍し、00年の欧州選手権、02年のW杯でもプレーしたがあまりインパクトは残せなかった。
クロアチアの選手ですが、あまりテクニシャンという訳ではなく、どちらかというと北欧の選手のようなスタイルでした。
この選手のヘディングシュートは見ていて気持ちいいです。魂がこもっています。
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