
【 ソニー アンデルソン 】 181/75 1970-9-19
FW
| シーズン | 所属 | リーグ | 試合 | ゴール |
| 89 | ヴァスコ・ダ・ガマ | Bra1 | − | − |
| 90 | ヴァスコ・ダ・ガマ | Bra1 | − | − |
| 91 | グラニア | Bra1 | − | − |
| 92 | グラニア | Bra1 | − | − |
| 92〜93 | セルヴェッテェ | Swi1 | 35 | 20 |
| 93〜94 | セルヴェッテェ | Swi1 | 17 | 11 |
| マルセイユ | Fra1 | 20 | 16 | |
| 94〜95 | ASモナコ | Fra1 | 23 | 12 |
| 95〜96 | ASモナコ | Fra1 | 34 | 21 |
| 96〜97 | ASモナコ | Fra1 | 34 | 19 |
| 97〜98 | FCバルセロナ | Spa1 | 23 | 10 |
| 98〜99 | FCバルセロナ | Spa1 | 24 | 6 |
| 99〜00 | リヨン | Fra1 | 32 | 23 |
| 00〜01 | リヨン | Fra1 | 29 | 22 |
| 01〜02 | リヨン | Fra1 | 25 | 14 |
| 02〜03 | リヨン | Fra1 | 24 | 12 |
| 03〜04 | ビジャレアル | Spa1 | 35 | 12 |
| 04〜05 | ビジャレアル | Spa1 | 3 | 1 |
| 04 | アル・ティハド | Qat1 | − | − |
| 05 | アル・ティハド | Qat1 | − | − |
| 06 | アル・ティハド | Qat1 | − | − |
| 計 | 358 | 199 |
ゴール前では常に落ち着いており、チャンスを確実にものにすることにできるストライカーである。
両足から放たれるシュートは強烈かつ正確で、足元の技術にも自身を持っていた。
個人技で切り込んでいくというタイプではなく、周りの選手を充分に生かし、ゴールを挙げるというタイプの選手である。
クラブレベルとは相反して、代表では成績を残せていない。
ブラジルのヴァスコ・ダ・ガマでプロデビューし、その後グラニアに渡り、92/93シーズンにスイスのセルヴェッテェに移籍する。
ここでアンデルソンはいきなり20ゴールを挙げ得点王に輝く。
93/94シーズンにはシーズン前半で11ゴールを挙げ、その活躍に目を付けたのが、金満会長タピ率いるフランスの名門オリンピック・マルセイユだった。
マルセイユはフェラーとボクシッチの両ストライカーの不振で、新しいストライカーを探していた。
アンデルソンはシーズン途中にマルセイユに加わると、16ゴールを挙げる活躍を見せた。
しかしチームはシーズン終了後に八百長事件に関ったとのことで、3部に落とされてしまう。
94/95シーズンにアンデルソンはASモナコに移籍するが、怪我や不振でシーズンを通して期待されたような活躍はできなかった。
しかし95/96シーズンに見事復活、21ゴールを挙げ得点王となる。
96/97シーズンにはビクター・イクペパとフランスリーグ最強の2トップを組み、得点王のタイトルは逃すが19ゴールを挙げリーグ優勝の立役者となる。
そして97/98シーズンにFCバルセロナに移籍する。
ロナウド放出によりエースストライカーを探していたバルセロナは、ヨーロッパでの実績抜群のブラジル人ストラーカーに白羽の矢を立てた。
アンデルソンは開幕からファン・ハール監督の信頼を得ることができずに、ベンチを温ことになる。
しかしシーズン途中からチームにフィットしゴールを量産する。アンデルソンは10得点を挙げ、チームの優勝に貢献した。
しかし翌98/99シーズン、ファン・ハール監督の教え子のクライファートが移籍してきたことにより、出場機会が激減する。
さらに不慣れなMFのポジションまでやらされるようになる。
チームは優勝するが、自らのゴール数は6。アンデルソンは移籍を決意する。
99/00シーズンに当時フランスの中堅クラブであったリヨンに移籍。ここでアンデルソンは再び輝き始める。
23ゴールを挙げ、得点王になると共に、チームを初のCLに導く。
そして00/01にはマルレとの2トップでゴールを量産し、リーグでは22得点で得点王、優勝。CLでは決勝トーナメント進出を果たした。
これ以降リヨンはフランスだけでなく、ヨーロッパの強豪として成長していく。
03/04シーズンにチームの若返りのため、惜しまれつつもスペインのビジャレアルに移籍する。
ここでも12ゴールを挙げる活躍を見せるが、04/05シーズンにカタールのチームに移籍してしまう。
アンデルソンの兄は、かつて読売ヴェルディや清水エスパレスで活躍した「トニーニョ」です。(覚えているかな。。。?)
個人的には当時クライファートより実力があった選手だと思っています。
監督がファン・ハールじゃなかったら、アンデルソンを選んでいたんじゃないかな。