
【 ディエゴ シメオネ 】 177/70 1970-4-28
MF
| シーズン | 所属チーム | 国 | 試合 | ゴール |
| 87 / 88 | ヴェレス・サルス・フィールド | Arg1 | 28 | 4 |
| 88 / 89 | ヴェレス・サルス・フィールド | Arg1 | 16 | 2 |
| 89 / 90 | ヴェレス・サルス・フィールド | Arg1 | 32 | 8 |
| 90 / 91 | ピサ | Ita1 | 31 | 4 |
| 91 / 92 | ピサ | Ita2 | 24 | 2 |
| 92 / 93 | セビージャ | Spa1 | 33 | 4 |
| 93 / 94 | セビージャ | Spa1 | 31 | 8 |
| 94 / 95 | アトレティコ・マドリード | Spa1 | 29 | 6 |
| 95 / 96 | アトレティコ・マドリード | Spa1 | 37 | 12 |
| 96 / 97 | アトレティコ・マドリード | Spa1 | 32 | 3 |
| 97 / 98 | インテル | Ita1 | 30 | 6 |
| 98 / 99 | インテル | Ita1 | 27 | 5 |
| 99 / 00 | ラツィオ | Ita1 | 28 | 5 |
| 00 / 01 | ラツィオ | Ita1 | 30 | 2 |
| 01 / 02 | ラツィオ | Ita1 | 8 | 1 |
| 02 / 03 | ラツィオ | Ita1 | 24 | 7 |
| 03 / 04 | アトレティコ・マドリード | Spa1 | 28 | 2 |
| 04 / 05 | アトレティコ・マドリード | Spa1 | 8 | 0 |
| ラシン | Arg1 | 17 | 2 | |
| 05 / 06 | ラシン | Arg1 | 20 | 1 |
| 計 | 513 | 84 |
アルゼンチンの誇る、真のプロフェッショナル。
ピッチ中を所狭しと走り回り、ギリギリのプレーでボールを奪う、いわゆる削り屋的な存在。
ただそれだけのプレイヤーならいくらでもいるが、シメオネはその激しいプレーの中で相手選手の心理までもコントロールしてしまう、ある意味究極のずる賢さを持った選手。
相手選手を熱くさせることはあっても、自分は常にクール。
そのため、多くの試合でブーイングの対象となったが、味方にしてみればこれほど頼もしい味方はないだろう。
激しいプレーだけではなく、高い得点能力を兼ね備え、セットプレーからのヘディングで多くの得点を挙げた。
テクニックも抜群で視野も広く、スルーパスを得意としている。
おそらく、FWとしてプレーしていたとしても相当な数字は残したであろう。
幼い頃からヴェレスのユースでサッカーを学び、17歳でトップデビューを果す。
その激しく熱いプレーですぐのチームの中心となり国内でも有名な存在となる。
90/91シーズンには、イタリアのピサに引き抜かれる。
このシーズン、まずまずのプレーを見せるがチームは低迷し2部に降格。
しかし、移籍はせずに2部でプレーを続ける。
92/93シーズンからは、スペインのセビージャに加入。
ここでは同じくこのシーズンに加入した、英雄マラドーナと共にプレー。
スペインのサッカーが肌に合ったのであろうか、セビージャで素晴らしいプレーを見せ、マラドーナ以上の活躍を見せる。
翌93/94シーズンには、8ゴールを挙げ得点能力の高さも発揮し、94/95シーズンには名門アトレティコ・マドリードに引き抜かれることになる。
アトレティコ・マドリードでもすぐに中心選手となる。
95/96シーズンには、キコ、ペネフ、パンティッチ、カミネロらと共に、素晴らしい攻撃サッカーを展開する。
シメオネは中盤を幅広く動き回ると共に、得点源としても活躍12ゴールを挙げ、チームは29シーズンぶりの優勝を果たす。
さらに国内カップも制し、2冠を達成。
その原動力となったシメオネの名は世界中に知られるようになる。
97/98シーズンには、イタリアのインテルに移籍。
インテルは前線にロナウドを獲得し、中盤の補強の目玉としてシメオネを獲得したのである。
ピサ時代よりもかなり狡猾なプレイヤーとなっていたシメオネは、汚れ役としても得点源としても、ロナウドへの決定的なパスを送る役としても様々な面でチームに貢献。
しかし、インテルはユベントスとのデッドヒートを繰り広げるが、直接対決で敗れ優勝を逃した。
UEFAカップでは見事優勝を果し、初のヨーロッパタイトルを掲げる。
98/99シーズン、エースのロナウドが怪我のため離脱、さらにチームの無計画な補強がたたりチームは低迷した。
それでも、チームのために全身全霊でプレーするシメオネはサポーターから絶大な支持を得るようになっていた。
しかし、シメオネはエースのロナウドとチーム内で対立。
そしてフロントはチームの「大黒柱」ではなく「スター」を選び、シーズン終了後ラツィオに放出される。
98/99シーズン、ラツィオは世界中の素晴らしい選手を揃え快進撃を進めていたが、最後に失速し優勝を逃している。
精神的支柱となる存在を欠いていたのである。
そして99/00シーズン、ラツィオはシメオネという最高の選手の補強の成功したのである。
このシーズン、ラツィオの前線の迫力不足は明らかであったが、
しかしシメオネ、ネドヴェド、ヴェロン、アルメイダで形成される中盤は圧倒的な完成度を誇り着実に勝ち点を積み上げる。
激しい優勝争いとなった終盤、4試合連続ゴールを決めチームに貴重な勝ち点をもたらし、チームは26シーズン振りの優勝を果たした。
その後、02/03シーズンまでラツィオでプレー。
02/03シーズンの最終節では古巣インテルと対戦。
インテルは首位で最終節を向かえ、勝てば優勝という状況にあった。
しかし、そこに立ちはだかったのはシメオネであった。
点の取り合いとなったゲームで、シメオネはヘディングシュートを決め、インテルを奈落の底に突き落とし「復讐」を果したのである。
このシーズンが終了すると、古巣アトレティコ・マドリードに復帰する。
ここではチーム事情によってはセンターバックをもこなした。
04/05シーズンには、16年ぶりにアルゼンチンに戻り、小さい頃から大ファンであったラシンでプレー。
そして05/06シーズンの終了後、20年に渡る現役生活に別れを告げた。
その後ラシンの監督となり、06/07シーズンからはエストディアンティスを率いる事になり、いきなりこのシーズンの前期優勝を果たし、名将への階段を順調に登っている。
アルゼンチン代表の監督になるもの、そう遠い話ではないかもしれない。
代表では106試合で11ゴールを挙げている。
106試合はアジャラに次ぐ2位の記録である。
18歳で代表にして代表デビューを果すと、アルゼンチン代表には無くてならない存在となる。
90年のW杯の出場は逃すが、91年、93年の南米選手権連覇に貢献。
94年のW杯にはメンバー入りを果たし、大会前レギュラーであったマンクーソからレギュラーの座を奪う。
レドントとのダブルボランチで中盤の底からゲームを組み立て、アルゼンチンは当初圧倒的な強さを見せていた。
しかし、マラドーナが薬物使用で大会から追放されたことにより、決勝トーナメント1回戦で敗退となった。
96年のアトランタオリンピックでは、オーバーエイジ枠で出場。準優勝に大きく貢献している。
98年のW杯は、アトランタオリンピックのメンバーが中心となった若手主体のチームのリーダー的な存在で大会に挑む。
アルゼンチンは順調に勝ち進み、決勝トーナメント1回戦で因縁のライバル、イングランドと対戦。
この試合、シメオネはイングランドのキーマンであるベッカムを激しく削り精神的に追い詰めていく。
そして、試合後半にシメオネがベッカムを倒した際、興奮したベッカムがシメオネに足をかけるという行為をはたらく。
この行為によってベッカムは一発退場。
おそらく試合開始から、ベッカムの退場を狙っていたのは間違いはない。
まさに、これこそシメオネの真骨頂である。
この試合、アルゼンチンは延長の末、PK戦を制しイングランドを破った。
準々決勝ではオランダの前に敗れるも、この大会のアルゼンチンは脱マラドーナに成功した素晴らしいチームであったことは間違いない。
02年のW杯、グループリーグで再びイングランドと対戦。
カウンター一本狙いの引いたイングランドの前に得点を挙げる事はできず、ベッカムのPKによって敗れる。
この試合終了後、シメオネとベッカムは握手を交わしている。
この大会ではアルゼンチンは、グループリーグ1勝2敗で大会を去った。
いわゆる悪役キャラであるが、私はこんなシメオネが大好きです。
本当にいろんなことを考えながらプレーしていたのだと思う。
アルゼンチンに早く彼の後を継ぐ悪役が出現して欲しいものです。
プレースタイルとは相反して、人望が厚く、ピッチ内外で多くの人から頼りにされ、ファンには優しく、家族を大切にする人物だそうです。