
【 セルジ バルファン 】 174/68 1971-12-28
DF
| シーズン | 所属チーム | 国 | 試合 | ゴール |
| 92 / 93 | FCバルセロナ(B) | Spa | 30 | 3 |
| 93 / 94 | FCバルセロナ | Spa1 | 23 | 0 |
| 94 / 95 | FCバルセロナ | Spa1 | 34 | 1 |
| 95 / 96 | FCバルセロナ | Spa1 | 40 | 0 |
| 96 / 97 | FCバルセロナ | Spa1 | 34 | 1 |
| 97 / 98 | FCバルセロナ | Spa1 | 31 | 2 |
| 98 / 99 | FCバルセロナ | Spa1 | 35 | 0 |
| 99 / 00 | FCバルセロナ | Spa1 | 19 | 1 |
| 00 / 01 | FCバルセロナ | Spa1 | 33 | 1 |
| 01 / 02 | FCバルセロナ | Spa1 | 18 | 0 |
| 02 / 03 | A・マドリード | Spa1 | 27 | 0 |
| 03 / 04 | A・マドリード | Spa1 | 32 | 0 |
| 04 / 05 | A・マドリード | Spa1 | 27 | 0 |
| 計 | 383 | 9 |
小柄でありながら凄まじい運動量と強靭な肉体を持つ、左サイドのスペシャリスト。
重戦車のようなドリブルでサイドを攻め上がり、非常に高い精度のクロスを入れることができる。
また、内に切れ込み、右足でゴールを狙うこともできる。
現役当時は、マルディーニ、ロベルト・カルロスに並ぶ世界屈指の左サイドバックであった。
FCバルセロナの下部組織での活躍が認められ、クライフによりトップチームに引上げられ、93/94シーズンにトップデビューを果たす。
このシーズンに、いきなりリーグ優勝を経験する。CLでも決勝まで進むがACミランの前に敗れた。
94/95、95/96シーズンはチームにごたごたがあり優勝を逃すが、安定したパフォーマンスを披露する。
96/97シーズンにはチームは多国籍軍に生まれ変わったが、不動のレギュラーとし活躍。
リーグ優勝は逃すが、カップウイナーズ・カップで優勝し、初のヨーロッパタイトルを獲得する。
97/98シーズンには、ファン・ハール監督が就任。
これによって、多くの下部組織出身者がチームを追い出された。
しかしセルジはチームに残り、4シーズン振りの優勝を果たす。
しかし翌99/00シーズン、状況は一変する。
ファン・ハール監督は、セルジが素晴らしいパフォーマンスを続けているにも関わらず、オランダ人のゼンデンを左サイドバックとして起用するようになった。
これによって、一気に出場機会が減ってしまった。
しかし、腐ることなくトレーニングに励んだ。その結果00/01シーズンには、再び自らの実力でレギュラーの座を奪取した。
その後、ファン・ハールはチーム作りを誤り退団する。
チームは低迷を続けるが、常にレギュラーとして活躍し続けた。
しかし02/03シーズン、再びファン・ハールが監督に復帰することになると、いきなり戦力外の通知を受ける事になる。
(退団の会見では、あまりの悔しさのため、涙を流す)
02/03シーズンからは、アトレティコ・マドリードの一員となり、バルセロナ時代と変わらず、素晴らしい活躍を見せ、
04/05シーズンを最後に現役を退いた。
代表では56試合に出場し、1ゴールを挙げている。
94年に初めて代表に召集されると、その年のW杯に出場し、高い評価を受ける。
その後、00年のヨーロッパ選手権まで不動のレギュラーとして活躍するも、タイトルには恵まれなかった。
ストイチコフやリバウドが左で自由に動けたのは、セルジが後でサポートしていたからこそです。
本当に運動量が半端ではなく、オーバーラップしてセンタリングを上げたかと思うと、
すぐにディフェンスラインに戻っていました。それを一試合何回も繰り返しても全然スピードが落ちないんですから凄い。
非常に守備力が高く、小柄ですが当り負けるということはほとんどありませんでした。