
【 オレグ サレンコ 】 180/80 1969-10-25
FW
| シーズン | 所属 | 国 | 試合 | ゴール |
| 85 | Z.Leningrad | U.S.S.R.1 | 0 | 0 |
| 86 | Z.Leningrad | U.S.S.R.1 | 11 | 3 |
| 87 | Z.Leningrad | U.S.S.R.1 | 10 | 0 |
| 88 | Z.Leningrad | U.S.S.R.1 | 26 | 7 |
| 89 | ディナモ・キエフ | U.S.S.R.1 | 26 | 3 |
| 90 | ディナモ・キエフ | U.S.S.R.1 | 21 | 4 |
| 91 | ディナモ・キエフ | U.S.S.R.1 | 28 | 14 |
| 92 | ディナモ・キエフ | Uku1 | 16 | 7 |
| 92 / 93 | ログロニェス | Spa1 | 16 | 7 |
| 93 / 94 | ログロニェス | Spa1 | 31 | 16 |
| 94 / 95 | ヴァレンシア | Spa1 | 23 | 7 |
| 95 / 96 | G・レンジャース | Sco1 | 14 | 7 |
| イスタンブルスポル | Tur1 | 15 | 11 | |
| 96 / 97 | イスタンブルスポル | Tur1 | 1 | 0 |
| 97 / 98 | イスタンブルスポル | Tur1 | 2 | 0 |
| 98 / 99 | 無所属 | - | - | - |
| 99 / 00 | Cordoba | Spa2 | - | - |
| 00 / 01 | P. Szczecin | Por1 | 1 | 0 |
| 計 | 241 | 86 |
わずか1試合で、サッカーの歴史に名を刻んだストライカー。
94年のW杯で、1試合で5ゴールという快挙を成し、通産6ゴールで得点王に輝いた。
しかし、W杯以降は「W杯得点王」という重い十字架を背負い、メディア、サポーターの過度のプレッシャーに押しつぶされた選手である。
しかし決して実力の無い選手ではない。
確かに「1試合5ゴール」はやりすぎだったかもしれないが、ゴール前の嗅覚に秀でた、優れたストライカーである。
Z.Leningradというチームに15歳で籍を置く。
翌86シーズンには、トップデビューを果たし、初ゴールを挙げると、その後国内有数の若手に成長。
89シーズンには、名門ディナモ・キエフに移籍。
そして、この年のワールドユースに出場すると、見事5ゴールを挙げ、得点王に輝く活躍を見せる。
D・キエフではプロタソフと2トップを組み、90シーズンにはリーグ優勝を果たした。
91シーズンには14ゴールを挙げ、エースとして活躍すると、翌92シーズンの途中で、スペインのログロニェス移籍する。
92/93シーズン、スペイン初挑戦で、決して強いとは言えないチームで16試合で7ゴールを挙げる活躍を見せる。
さらに翌93/94シーズンには、16ゴールを挙げ、得点ランキング5位になる素晴らしい活躍を見せた。
そして、94年のW杯に出場する。
94年のロシア代表は、監督と選手との内紛で多くの選手が代表を辞退。
それによって、それまでほとんど代表とは縁の無かったサレンコはチャンスと得たのである。
しかしロシアは多くの中心メンバーが抜けているため、はっきり言ってW杯で戦い抜けるチームではなかった。
グループリーグの1試合目のブラジルには完敗。
2試合目のスウェーデン戦も3対1で完敗。この試合のロシアの1点はサレンコのPKで得た得点である。
3試合目は、カメルーンと対戦。ロシア、カメルーン共にグループリーグ敗退が決まっており、決して両チーム、モチベーションの高い試合ではなかった。
この試合、サレンコは開始15分に先制ゴールを挙げると、41分にも追加点を挙げる、さらに44分にはPKを決めて、前半だけでハットトリックを達成する。
しかし、これがけでは止まらなかった。
後半72分に得点を挙げブトラゲーニョの大会記録に追いつくと、75分にもゴールを挙げ、1試合で5ゴールを記録した。
試合は6対1でロシアの圧勝に終わった。
サレンコは、スウェーデン戦のPKを含め、通算6ゴールで、グループリーグ敗退にも関わらず、ストイチコフと共に大会得点王に輝いた。
この活躍によって、サレンコは世界中から注目を浴びる選手になった。
94/95シーズンからは、強豪ヴァレンシアでプレー。
ヴァレンシアのフロント、サポーターは「W杯得点王」に大きな期待をかけていた。
しかし、サレンコはシーズン7ゴールという結果に終わり、サポーターからブーイングを浴びる結果となった。
翌95/96シーズンには、スコットランドのグラスゴウ・レンジャースに移籍。
ここでも、チームとサポーターは「W杯得点王」に過度の期待をかけていた。
しかしW杯のような爆発は見ることはできず、シーズン途中でチームから放出されてしまう。
シーズン途中から、トルコのイスタンブルスポルに移籍したサレンコは、
スペイン、スコットランドでの鬱憤を晴らすように、15試合で11ゴールのハイペースでゴールを挙げる活躍を見せた。
翌96/97シーズンも活躍が期待されたが、この頃から体調を崩しほとんどプレーできなくなる。
98/99シーズン終了後に契約が終了すると、無所属のまま1年過ごし、
その後スペインの2部のチームや、ポーランドのチームに所属したが、ほとんどプレーすることはできず現役を引退した。
代表での通算の成績は、8試合で6ゴール。
W杯で得点王になってしまったことによって、サレンコのサッカー人生は大きく変わってしまいました。
決してビッグクラブで活躍できるようなスターではなかったかもしれませんが、中小のクラブでは充分レギュラーを張る実力はあったと思います。
ヴァレンシアでは7ゴールで、期待外れのように見えますが、もしシーズン通して使ってもらっていれば、そこそこの数字は残せていたはずです。
サポーター、監督は「W杯得点王」としての活躍を求めていたわけで、何試合か得点を挙げることができないと、
メディア、サポーターから袋叩きにあい、レギュラーから外されてしまいました。
レンジャースでも、14試合で7ゴールという数字は悪くないと思いますが、それでもチームを満足させることはできませんでした。
晩年は健康上の理由から厳しいシーズンを送り、寂しく引退しましたが、ワールドユースとW杯で得点王になったという輝かしい成績は色褪せることはないでしょう。