【 イバン・サモラーノ (Ivan Zamorano)】 178/73 1967-1-18 FW
シーズン | 所属チーム | リーグ | 試合 | ゴール |
86 | CD Cobresal | Chi1 | 14 | 27 |
87 | CD Cobresal | Chi1 | 16 | 21 |
88 | CD Cobresal | Chi1 | 10 | 14 |
88 / 89 | Sankt Gallen | Swi1 | 22 | 10 |
89 / 90 | Sankt Gallen | Swi1 | 33 | 23 |
90 / 91 | Sankt Gallen | Swi1 | 6 | 1 |
セビージャ | Spa1 | 29 | 9 | |
91 / 92 | セビージャ | Spa1 | 30 | 12 |
92 / 93 | レアル・マドリード | Spa1 | 34 | 25 |
93 / 94 | レアル・マドリード | Spa1 | 30 | 11 |
94 / 95 | レアル・マドリード | Spa1 | 38 | 28 |
95 / 96 | レアル・マドリード | Spa1 | 29 | 12 |
96 / 97 | インテル | Ita1 | 31 | 7 |
97 / 98 | インテル | Ita1 | 13 | 1 |
98 / 99 | インテル | Ita1 | 25 | 9 |
99 / 00 | インテル | Ita1 | 30 | 7 |
00 / 01 | インテル | Ita1 | 2 | 1 |
アメリカ | Mex1 | 17 | 11 | |
01 / 02 | アメリカ | Mex1 | 35 | 18 |
02 / 03 | アメリカ | Mex1 | 11 | 4 |
コロコロ | Chi1 | - | - | |
03 / 04 | コロコロ | Chi1 | 14 | 8 |
チリの国民的英雄であるイバン・サモラーノは抜群のスピードと滞空時間の長いヘディング、
そして闘志を全面に出したプレースタイルで、所属した全てのチームで愛された。
チリのCD Cobresalというクラブで、86シーズンからの3シーズンで60ゴールを挙げ、国内屈指のスタープレーヤーとなる。
当時チリの選手があまりヨーロッパに移籍するということはほとんどなかったが、スイスのSankt Gallenがサモラーノを獲得する。
89/90シーズンにスイスリーグの得点王に輝くと、翌90/91シーズン、スペインのセビージャに移籍。
ここで2シーズンで21ゴールを挙げる。
その活躍に注目したのが名門レアル・マドリードであった。
当時スペインリーグはヨハン・クライフ率いるFCバルセロナが無敵のチームとして君臨していた。
92/93シーズン、サモラーノはレアル・マドリードに移籍、ゴールを量産、いきなり26ゴールを挙げる。
翌93/94シーズンはバルダーノ監督の信頼を得ることができず、ベンチを温める時間が長くなる。。
しかし94/95シーズン見事に復活。宿敵FCバルセロナから移籍してきたM・ラウドルップ、超新星ラウールそしてアマビスカらと強力攻撃陣を築き、
自ら28得点を挙げ得点王になるとともに5シーズンぶりにリーグ制覇をもたらした。(クラシコではハットトリックを達成)
96/97シーズンにはインテルに移籍するが、全盛期ほどのスピードもなく5シーズン在籍したが、二桁得点を挙げたことは一度もなかった。
しかし闘志を全面にプレーで監督、選手、サポーターから絶大な支持を得た。
00/01シーズンに惜しまれつつインテルを退団。
メキシコリーグのアメリカに移籍し、チームに優勝に貢献。
現役引退までの2シーズンは、幼い頃からファンであった国内リーグのコロコロに在籍し、現役生活に幕を閉じた。
代表での活躍も素晴らしく、69試合で34得点という成績を残している。
フランスワールドカップ南米予選では、伝説の「ZA−SAコンビ」で2人でなんと23得点を挙げ、本大会出場に大きく貢献。
本大会では得点は挙げられなかったが、決勝トーナメント進出の原動力となった。
また、シドニーオリンピックではオーバーエイジ枠で参加し、6得点を挙げ得点王に輝くとともに、チリに銅メダルをもたらした。
インテル在籍時代、インテルにロベルト・バッジオが移籍してきたことにより、
押し出される形で中年慣れ親しんできた「背番号9」をロナウドに奪われてしいました。
サモラーノは背番号を「18」することにしました。
そして、その背番号の「1」と「8」の間にはテーピングで小さく「+」の記号が書かれていたのです。
これは彼のストライカーとしてのプライドだったんでしょうね。
マドンナはサモラーノの大ファンだそうです。