
【 デヤン サビチェビッチ 】 178/79 1966-9-15
FW/MF
| シーズン | 所属 | リーグ | 試合 | ゴール |
| 82 / 83 | B・チトグラード | Yug1 | 2 | 0 |
| 83 / 84 | B・チトグラード | Yug1 | 7 | 1 |
| 84 / 85 | B・チトグラード | Yug1 | 29 | 6 |
| 85 / 86 | B・チトグラード | Yug1 | 32 | 10 |
| 86 / 87 | B・チトグラード | Yug1 | 31 | 9 |
| 87 / 88 | B・チトグラード | Yug1 | 29 | 10 |
| 88 / 89 | 兵役 | |||
| 89 / 90 | レッド・スター | Yug1 | 25 | 10 |
| 90 / 91 | レッド・スター | Yug1 | 25 | 8 |
| 91 / 92 | レッド・スター | Yug1 | 22 | 5 |
| 92 / 93 | ACミラン | Ita1 | 10 | 4 |
| 93 / 94 | ACミラン | Ita1 | 20 | 0 |
| 94 / 95 | ACミラン | Ita1 | 19 | 9 |
| 95 / 96 | ACミラン | Ita1 | 23 | 6 |
| 96 / 97 | ACミラン | Ita1 | 17 | 1 |
| 97 / 98 | ACミラン | Ita1 | 8 | 0 |
| 98 / 99 | ACミラン | Ita1 | 0 | 0 |
| レッド・スター | Yug1 | 3 | 0 | |
| 99 / 00 | ラビト・ウィーン | Aus1 | 22 | 11 |
| 00 / 01 | ラビト・ウィーン | Aus1 | 22 | 7 |
| 計 | 346 | 90 |
ユーゴスラビアが生んだ最後の天才。
信じられないようなテクニックとひらめきを持ち、想像もできないようなドリブルとパスで世界中を魅了した。
しかし政治的な問題により、全盛期に国際舞台に立つこと出来なかった。
また慢性的な筋肉の故障に悩まされ、トップフォームでプレーできる機会が少なかったのも残念である。
82/83シーズンにB・チトグラードというクラブでトップデビューを果たし、徐々に天才ぶりを発揮していく。
84/85シーズンにはレギュラーに定着し活躍をする。
88年からの兵役を終えると、国内屈指の名門レッドスターに活躍の場を移す。
移籍した89/90シーズンからレギュラーとして活躍をすることになる。
在籍した3シーズンで3連覇を達成している。
90/91にはチャンピオンズカップで優勝を果たし、その活躍に注目した欧州のビッグクラブが動き出す。
そして、92/93シーズンにはイタリアのACミランに移籍する。
当初カペッロ監督は、戦術理解度の乏しい天才をなかなか使おうとしなかった。
結局、そのシーズンは10試合の出場に留まり、リーグ優勝はしたが、本人は不完全燃焼に終わる。
しかし、イタリアのサッカーを徐々に理解し始めた天才は、その才能をいかんなく発揮していく。
カペッロも徐々に信頼を置きレギュラーとして起用していくが、この頃から筋肉の故障に悩まされるようになる。
93/94シーズンには、リーグ優勝とCLの優勝をに大きく貢献。
CL決勝ではFCバルセロナと対戦。下馬評ではバルセロナ有利と見られていたが、4対0で勝利する。
サビチェビッチは自慢のドリブルで、バルセロナの中盤から最終ラインまでをズタズタに切り裂き、見事なループシュートも決める活躍を見せた。
(自身「生涯最高のゴール」と言っている。)
94/95シーズンには、故障に悩まされながらもビックプレーを連発。
リーグは3位、CLは準優勝という結果に終わったが、その素晴らしい活躍ぶりから、
この頃には「サン・シーロの王様」とまで呼ばれるようになっていた。
翌95/96には移籍してきたウェア、R・バッジオと超豪華3トップを形成し、見事優勝を飾る。
しかし、96/97年にはカペッロはチームを去り、徐々に活躍の場を失っていく。
98/99シーズンにはザッケローニ監督が就任。サビチェビッチは完全に戦力外扱いとなり、シーズン途中で移籍を決意する。
その後、古巣のレッドスターに一時在籍し、オーストリアのラピド・ウイーンで2シーズン活躍し、現役を引退する。
代表では56試合で20得点を挙げている。
92年の欧州選手権は、ユーゴスラビアは世界有数のタレント集団として優勝候補として挙げられていたが、
大会前に国内紛争の制裁のため出場権を剥奪されてしまう。(結局代役で出場したデンマークが優勝)
94年のW杯も制裁のため出場できず。
制裁が解除され出場した98年のW杯では、すでに全盛期が過ぎており、活躍する事はできなかった。
サビチェビッチこそまさに天才と呼べる選手です。
ドリブルは変幻自在で力強く、パスは非常に難しいものでも簡単に通してしまっていました。
特にドリブルは、一度リズムに乗ってしまうと、セリエAの優秀なDFでもファール以外では止めようのないものでした。
もし、92年の欧州選手権、94年のW杯に出場できていたら、その大会はサビチェビッチの大会になり、伝説の選手となっていたかもしれません。
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