
【 カール=ハインツ リードレ 】 177/72 1965-9-16
FW
| シーズン | 所属 | リーグ | 試合 | ゴール |
| 83 / 84 | FCアウクスブルグ | Dui3 | 16 | 4 |
| 84 / 85 | FCアウクスブルグ | Dui3 | 30 | 7 |
| 85 / 86 | FCアウクスブルグ | Dui3 | 34 | 20 |
| 86 / 87 | Blau-Wei? 90 Berlin | Dui1 | 34 | 10 |
| 87 / 88 | ヴァルダー・ブレーメン | Dui1 | 33 | 18 |
| 88 / 89 | ヴァルダー・ブレーメン | Dui1 | 33 | 13 |
| 89 / 90 | ヴァルダー・ブレーメン | Dui1 | 20 | 7 |
| 90 / 91 | ラツィオ | Ita1 | 33 | 9 |
| 91 / 92 | ラツィオ | Ita1 | 29 | 13 |
| 92 / 93 | ラツィオ | Ita1 | 22 | 8 |
| 93 / 94 | ボルシア・ドルトムント | Dui1 | 22 | 4 |
| 94 / 95 | ボルシア・ドルトムント | Dui1 | 29 | 6 |
| 95 / 96 | ボルシア・ドルトムント | Dui1 | 18 | 7 |
| 96 / 97 | ボルシア・ドルトムント | Dui1 | 18 | 7 |
| 97 / 98 | リヴァプール | Eng1 | 25 | 6 |
| 98 / 99 | リヴァプール | Eng1 | 34 | 5 |
| 99 / 00 | リヴァプール | Eng1 | 1 | 0 |
| フルハム | Eng2 | 21 | 5 | |
| 00 / 01 | フルハム | Eng1 | 14 | 1 |
| 計 | 466 | 150 |
「空の王者」として活躍した、驚異的な空中戦の強さを誇るストライカー。
ビアホフやジャルデウのように長身というわけではないが、とにかく凄まじいジャンプ力の持ち主であった。
他の選手が競り合っているそのはるか上から、豪快にヘディング決めてしまうほどである。
ストライカーとしては決して得点力の高い選手ではなかったが、
ヘディングで1発でスタジアムをあれほど沸かせることのできるのは、この選手以外にはいないだろう。
83/84シーズンに、3部リーグに所属していたアウフスブルグというチームでプロデビューする。
3部リーグではあったものの、着実の実力を付け85/86シーズンには20ゴールを挙げる活躍を見せた。
翌86/87シーズンには、1部に昇格したBlau-Weis 90 Berlinに移籍。
チームはわずか1シーズンで2部に降格してしまったものの、トップの舞台でも空中戦の強さを発揮し、10ゴールを挙げストライカーとしての役割を果たした。
この活躍に目を付けたのが、名門ヴァルダー・ブレーメンであった。
イタリアのローマに去ったルディ・フェラーの後釜として、引き抜かれることとなった。
87/88シーズン、リードレはオルデネビッツとの2トップを組み、開幕から快調にゴールを重ね、勝ち点を積み重ねていった。
そして当時リーグ3連覇を遂げていた王者バイエルン・ミュンヘンと激しい優勝争いを繰り広げた末、27年ぶりの優勝をもたらした。
この活躍により、ドイツ屈指のストライカーとしての地位を確立する。
90/91シーズンには、イタリアのラツィオに移籍。
ルーベン・ソサとの2トップを組んだリードレは、他のドイツ人ストライカーのように、イタリアではそれほど多くのゴールを奪うことはできなかったが、
必殺の空中戦で多くのスペクタクルなゴールを挙げ、サポーターからは「エアー」と呼ばれ絶大な人気を誇った。
しかし94/95シーズン、ラツィオがユベントスからカシラギ、マルセイユからボクシッチを獲得したため放出されることとなる。
94/95シーズンからは、再びドイツに戻り、ボルシア・ドルトムントのユニフォームに袖を通す。
この頃からかつてのような決定力は影を潜めるが、前線での体を張ったプレーと、ここ1番でのゴールで多くの勝利に貢献する。
95/96シーズンにリーグ優勝を果たすと、そこからドルトムントは多くのタイトルと獲得する。
翌96/97シーズンにもリーグ優勝を果たし連覇を達成。
リードレの他、コーラー、メラー、シャプイザ、リッケン、ハインリッヒ、P・ソウザなどの多くのタレントを擁した常勝軍団は、
CLでもヨーロッパの強豪と次々と破り、決勝に進出する。
決勝の相手はユベントス。
戦前の大半の予想はユベントスの圧倒的有利であった。
しかし、試合が始まるとドルトムントが勝負強さを発揮する。
ドルトムントがCKのこぼれ玉を再び前線に放り込むと、リードレがトラップをして見事にゴールを挙げる。
さらに、その後またもやCKの場面で、走りこんできたリードレがヘディングで合わせ、前半のうちに2対0とし勝負を決めた。
(後半にもCKを合わせたが、わずかにゴールを外れるというシーンがあり、それが決まっていれば決勝でハットトリックという快挙だっただけに惜しい。。。。)
試合は3対1で数少ないチャンスをものにしたドルトムントが、大半の予想を覆して勝利、初のヨーロッパの頂点に立った。
97/98シーズンには、リヴァプールに移籍。
オーウェンやファウラーの影に隠れる形となったが、ベテランらしいいぶし銀の活躍を見せた。
その後2部に所属していたフルハムに移籍し、1部昇格に貢献。
00/01シーズンのトップリーグでのプレーを最後に現役生活に別れを告げた。
代表では42試合で16ゴールを挙げている。
88年にはソウルオリンピックに出場し、銅メダルに貢献。
フル代表では88年にデビューすると、90年のW杯メンバーに選ばれる。
出場機会はほとんど無かったが、W杯優勝を経験。
92年の欧州選手権ではレギュラーとしてクリンスマンと2トップを組む。
この大会不調だったクリンスマンとは対照的に、好調だったリードレは準決勝のスウェーデン戦で2ゴールを挙げ決勝進出に貢献する。
しかし、決勝では「ミラクルデンマーク」の前にいいとろころなく敗れた。
この大会で3ゴールを挙げたリードレは、得点王に輝いている。
その3ゴールはいずれも得意のヘディングで奪ったのもではなく、足で決めたものであった。
94年のW杯もクリンスマンとの2トップで大会に挑むが、開幕戦ではドフリーの場面でのシュートを決めれないなど不調だったため、レギュラーから外れる。
結局最後までいいところはなく、チームも準々決勝でブルガリアに敗れた。