【 ハイム・レヴィヴォ (Haim Revivo) 177/65 1972-2-22  FW/MF



シーズン 所属チーム 試合 ゴール
90 / 91 Bnei Yehuda Isr1 17 1
91 / 92 Bnei Yehuda Isr1 29 9
92 / 93 Bnei Yehuda Isr1 29 10
93 / 94 Hapoel T. A Isr1 36 10
94 / 95 マッカビ・ハイファ Isr1 28 17
95 / 96 マッカビ・ハイファ Isr1 28 26
96 / 97 マッカビ・ハイファ Isr1 3 1
セルタ・ヴィゴ Spa1 35 5
97 / 98 セルタ・ヴィゴ Spa1 36 7
98 / 99 セルタ・ヴィゴ Spa1 26 9
99 / 00 セルタ・ヴィゴ Spa1 26 2
00 / 01 フェネルバチェフ Tur1 32 14
01 / 02 フェネルバチェフ Tur1 24 13
02 / 03 フェネルバチェフ Tur1 9 2
ガラタサライ Tur1 13 3
03 / 04 MS Ashdod Isr1 13 6
384 135

イスラエルが世界に誇る左利きの天才。
非常に高度なテクニックと、想像性を持ち合わせている。
スピードは無いが、巧みなドリブルとコンビネーションで左サイドを突破し、正確なパスでゴールを演出したかと思うと、強烈なシュートでゴールも奪う。
またFKの名手でもある。

スペインでは左の攻撃的MFとしてプレーしたが、セカンドトップやトップ下でのプレーも得意としている。

90/91シーズン、イスラエルのBnei Yehudaというチームでデビュー。
その後、着実に実力を付け、94/95シーズンにはイスラエル有数の強豪チームである、マッカビ・ハイファに引き抜かれる。
そのシーズン、17ゴールを挙げ得点王に輝くと、翌95/96シーズンにも26ゴールを挙げ2シーズン連続の得点王となり、その頃には、レヴィヴォの名はヨーロッパの多くのクラブに広まっていた。

96/97シーズンの開幕直後、スペインのセルタに移籍。
セルタはワントップを採用し、トップ下にはモストボイがいたため、左の攻撃的MF専属となる。
このシーズンのチーム成績は散々であったが、レヴィヴォは確かな手ごたえを感じていた。

そして、翌97/98シーズンから、セルタの快進撃が始まる。
モストボイ、マジーニョ、サンチェス、カルピン、カデテ、エッゲンそしてレヴィヴォという、決して派手ではないが、確かな実力を持つ選手達が魅惑的な攻撃サッカーを見せる。
レヴィヴォは、高い個人技を生かしたドリブル突破と、モストボイとの天才同士の想像性溢れるコンビネーションで左サイドを制圧した。

右のカルピン、トップ下のモストボイ、ボランチにマジーニョ、そして左のレヴィヴォと中盤は、スペインだけではなく、ヨーロッパ屈指の攻撃力を持つとまで評価され、レヴィヴォはワールドクラスの選手となった。

98/99シーズン、セルタにはビクトール・フェルナンデスが監督に就任。
チームはさらに攻撃志向の強いチームとなり、さらに高い評価を得る。
しかし、このシーズン、グスタボ・ロペスという同じく左サイドを主戦場とした選手が加入し、レギュラーはレヴィヴォではあったが、途中交代やスタメンを外れる試合もあった。
とはいえ、このシーズンも素晴らしいパフォーマンスを披露したレヴィヴォは、さらに評価を高め、シーズン終了後にはFCバルセロナとフィオレンティーナが獲得に動いた。

特にFCバルセロナからのオファーは具体的なものであったが、「モストボイ、カルピンらと共にセルタの歴史を創る」という発言をして、残留を表明する。

しかし、99/00シーズン、ビクトール・フェルナンデス監督は、レヴィヴォではなくグスタボ・ロペスを左サイドに定着させた。
最高のパフォーマンスを披露していたにも関わらず、ポジションを譲ることとなったレヴィヴォは、シーズン終了後には移籍を志願し、このシーズンを最後にスペインを去った。

00/01シーズンからは、トルコの名門フェネルバチェフに活躍の場を移す。
このシーズン同じく加入した、ラパイッチ、K・アンデルソンらと共に、トルコリーグ最強の攻撃陣を形成。
レヴィヴォは14ゴールを挙げ、リーグ優勝に大きく貢献し、チームの看板選手となる。

しかし02/03シーズン、レヴィヴォの置かれる立場が急変する。
リーヴェル・プレートからオルテガが加入したため、またしてもアルゼンチン選手にポジションを奪われることとなる。
(結局、オルテガはシーズン中に、トルコの生活が嫌になって、チームに無断で帰国し退団)
そしてシーズン中、以前よりレヴィヴォを高く評価していた、テリムにより宿敵ガラタサライに引き抜かれるが、思ったような活躍を見せることはできなかった。

03/04シーズン、母国イスラエルに戻ってプレーをするが、このシーズンを最後に現役を引退した。


イスラエル代表としては、67試合で15ゴールを挙げている。
イスラエルのレベルからして、メジャー大会に出場するというのは、夢のまた夢という感じだが、W杯や欧州選手権の予選では多くの強豪国を苦しめている。




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