【 レオナルド 】 177/71 1969-9-5  MF



シーズン 所属チーム リーグ 試合 ゴール
87 フラメンゴ Bra1 18 0
88 フラメンゴ Bra1 18 0
89 フラメンゴ Bra1 16 0
90 サンパウロFC Bra1 18 3
91 サンパウロFC Bra1 21 2
91 / 92 ヴァレンシア Spa1 37 3
92 / 93 ヴァレンシア Spa1 34 3
93 サンパウロFC Bra1 13 0
94 サンパウロFC Bra1 12 3
鹿島アントラーズ Jap1 9 7
95 鹿島アントラーズ Jap1 28 17
96 鹿島アントラーズ Jap1 12 6
96 / 97 パリSG Fra1 37 7
97 / 98 パリSG Fra1 2 0
ACミラン Ita1 27 3
98 / 99 ACミラン Ita1 27 12
99 / 00 ACミラン Ita1 20 4
00 / 01 ACミラン Ita1 22 3
01 サンパウロFC Bra1 12 0
フラメンゴ Bra1 - -
02 フラメンゴ Bra1 - -
02 / 03 ACミラン Ita1 1 0

日本では鹿島アントラーズ時代の印象から、「貴公子」的なイメージが強いが、ただのテクニシャンではない真の実力派MFである。
卓越した個人技を誇るが、ブラジルのテクニシャンらしからぬ高い自己犠牲の精神を持ち、チームのためにあらゆるポジションをこなすプレイヤー。
本来はトップ下のポジションの選手であるが、FW、サイドバック、センターハーフなどいずれも高いレベルでこなす。
同時代に活躍したライー、リヴァウド、ヂャウミーニャほどの想像力の溢れる選手ではなかったが、安定感という面では抜きん出ていた。


名門フラメンゴで87シーズンにトップデビュー。
デビュー前からかなり注目されていた選手であったレオナルドは、名門フラメンゴですぐにレギュラーとなる。
サイドバックや攻撃的MFで活躍し、90シーズンにはサンパウロFCに移籍する。

91シーズンには全国選手権で優勝を果たし、その活躍が評価されスペインのヴァレンシアに引き抜かれる。

91/92シーズンからプレーしたヴァレンシアでは、サイドバックやセンターハーフとして主に活躍。
ペネフ、ロベルト、ゴメスらと共に活躍し、2シーズン連続4位という好成績に貢献するが、
決して大きなインパクトを残せたという訳ではなく、93シーズンからは再びサンパウロFCに戻ることとなる。

93シーズンにはトヨタカップで来日し、ACミランとの死闘を制し世界チャンピオンとなっている。

ブラジル有数のタレントとしての評価を得ていたレオナルドはブラジル代表にも定着。
代表では左サイドバックとして活躍。

94年のW杯では、ベテランのブランコから左サイドバックのレギュラーの座を奪い取り活躍。
この大会のブラジルは、司令塔のライーが不調で、マジーニョがそのポジションに入ったため、中盤は非常にディフェンシブであった。
攻撃は左サイドバックのレオナルドと、右サイドバックのジョルジーニョ、そして2トップのロマーリオ、ベベットの4人で行われていたようなものであった。
ブラジルの両サイドバックは非常に高い評価を得ていた。

しかし、決勝トーナメント1回戦のアメリカ戦で、マークを振りほどこうとしたレオナルドの肘が相手選手の顔面に入り、
これを故意ととられ一発退場の上、この大会全ての試合に出場する事ができなくなってしまった。


レオナルドの居なくなった、左サイドの攻撃力は著しく低下するが、ブラジルは優勝を果たした。

肘打ち事件で大会を追い出されたレオナルドであったが、それまでのプレーは大きく評価され、
再び欧州への移籍が濃厚と見られていた、しかし次なる活躍の場は意外なところであった。


レオナルドが次の活躍の場として選んだ地は、日本であった。
憧れのスーパースターであった、ジーコに声を掛けられ日本行きを決意、鹿島アントラーズに移籍。
日本に降り立った、現役ブラジル代表選手は異次元の世界のプレーで日本のサッカーファンを魅了。
スピード、テクニック、判断力全てにおいてずば抜けているレオナルドの動きに誰もついていくことはできなかった。

数多くのスーパープレーを見せたが、その動きを止めるために多くのDFは激しいタックルを浴びせた。
そのため日本では多くの怪我に苦しんだ。
それでも、非常に鹿島という街を気に入り、日本の風土を気に入っていたレオナルドは、日本でのプレーを楽しんでいた。

そんな中、魅力的なオファーが舞い込む。
それはサンパウロFC時代の兄貴分であるライーが所属していた、フランスの名門パリSGからのものであった。
レオナルド自身、相当迷ったようだが、ジーコも欧州でのプレーを勧めたため移籍を決意した。

96/97シーズン、パリSGはインテルに移籍したジョルカエフの穴を埋めるために、レオナルドを獲得した。
欧州での実績があまりなく、日本でプレーしているような選手に期待はできないとして、サポーターから大きな反発があった。
しかし、シーズンが始まるとレオナルドはプレーで自らの存在価値を証明する。

ライー、ロコらと共に最高のパフォーマンスを披露し、一躍パリのアイドルとなる。
このシーズン、モナコの前に優勝は逃したが、レオナルドを中心としたサッカーはサポーターを満足させるものであった。
カップウイナーズ・カップでも順調に勝ち進み、決勝ではFCバルセロナと対戦。
ロナウドのPKの前に敗れるが、その戦いぶりは大きな評価を得た。

97年の南米選手権では攻撃的MFとして活躍。
全試合に出場し優勝に大きく貢献している。

パリでのプレーと南米選手権でのプレーが大きく評価され、97/98シーズンの開幕直後にACミランによって引き抜かれる。
しかし、チームは低迷期に入っており、レオナルド自身も結果を残すことはできず、チームは10位に沈む。

ACミランでの不本意なシーズンを引きずったまま98年W杯に入る。
当初はジオバンニがレギュラーとしてプレーしていたが、不調であったため、グループリーグ2戦目からレオナルドが先発となった。
決して派手なプレーはしなかったが、個人技任せのブラジルの中で、豊富な運動量と確実なプレーで中盤のバランスと取り非常に大きな役割を果たす。
06年の日本のように戦術もなにもないようなチームであったが、そこはブラジル、ほとんど個人技に任せたチームで決勝に進出する。
決勝ではフランスの前に完敗するが、レオナルドがいなければ、ブラジルはもっと早い段階で敗退していただろう。
レオナルドは決勝までの全試合に出場している。

98/99シーズン、ACミランは大改革を行う。
監督にはザッケローニを招聘。選手ではビアホフ、ヘルヴェグ、グリエルミンピエトロなどを獲得。
新しくなったチームは、シーズン当初は振るわなかったが、徐々にペースを挙げ、ラツィオと激しい優勝争いを演じる。
レオナルドはスーパーサブでの起用が多く、試合に出れば必ず結果を残しチームの勝利に貢献し続けた。
ACミランは最後の最後でラツィオをかわし、3シーズン振りの優勝を果たす。
レオナルドはサブで12ゴールを挙げるという驚異的なパフォーマンスで、優勝に大きく貢献した。

その後のシーズンでは、98/99シーズンのような驚異的な活躍はできなかったが、貴重な戦力として活躍。
サポーターの間でもチーム有数の人気選手となった。

01シーズンには、再びサンパウロに戻りプレー。
その後、古巣のフラメンゴでプレーした後、02/03シーズンに少しだけACミランでプレーし、現役を引退した。
引退後はACミランのフロントに入り、裏方として活躍している。



94年のブラジルの両サイドバックは素晴らしかった。
その後、R・カルロスとカフーによって引き継がれますが、レオナルドとジョルジーニョには遠く及びませんでした。