
【 ライー 】 189/87 1965-5-15
MF
| シーズン | 所属 | リーグ | 試合 | ゴール |
| 82 | ボフォタゴ | Bra1 | - | - |
| 83 | ボフォタゴ | Bra1 | - | - |
| 84 | ボフォタゴ | Bra1 | 13 | 1 |
| 85 | ボフォタゴ | Bra1 | 25 | 1 |
| 86 | Ponte Preta | Bra1 | - | - |
| ボフォタゴ | Bra1 | - | - | |
| 87 | サンパウロFC | Bra1 | 8 | 1 |
| 88 | サンパウロFC | Bra1 | 18 | 4 |
| 89 | サンパウロFC | Bra1 | 15 | 3 |
| 90 | サンパウロFC | Bra1 | 21 | 5 |
| 91 | サンパウロFC | Bra1 | 22 | 7 |
| 92 | サンパウロFC | Bra1 | - | - |
| 93 | サンパウロFC | Bra1 | - | - |
| 93 / 94 | パリSG | Fra1 | 28 | 6 |
| 94 / 95 | パリSG | Fra1 | 28 | 12 |
| 95 / 96 | パリSG | Fra1 | 27 | 14 |
| 96 / 97 | パリSG | Fra1 | 35 | 9 |
| 97 / 98 | パリSG | Fra1 | 29 | 10 |
| 98 | サンパウロFC | Bra1 | 4 | 0 |
| 99 | サンパウロFC | Bra1 | 15 | 1 |
| 00 | サンパウロFC | Bra1 | 0 | 0 |
ブラジル代表の伝説のMFソクラテスの実弟。
大柄でパワーがあり、さらに繊細なテクニックを兼ね備えた司令塔。
そのパワーとテクニックを生かしFW並みの決定力を持っていたが、このMFの真骨頂は非常に柔らかいパスである。
柔軟な足首を使った様々なキックで多くのゴールを演出し、チームの多くのタイトルをもたらした。
82シーズン、ブラジルの名門ボフォタゴでプロデビューする。
当時、すでに世界的なプレイヤーであったソクラテスの実の弟ということもあり、かなり注目を浴びる事になる。
しかし、素晴らしい技術を持っているのであるが、はっきり言ってあまりパッとしない選手であった。
(性格が優しすぎたためであったと言われている。)
87シーズンには、カレカやミューレルというスター選手を抱えるサンパウロFCに移籍する。
サンパウロでも潜在能力は誰もが認めるものであったが、その才能はまだ発揮することはできなかった。
しかし、90シーズンに転機が訪れる。
サンパウロFCに新しく就任したテレ・サンターナ監督によって、ライーの才能は一気に目覚める。
テレ・サンターナは非常に厳しい監督であったが、その反面、息子のように選手を大事にした。
ライーはその厳しくも温かい指揮官の元で見る見る力を付けていく。
背番号「10」を与えられたライーはチームの司令塔として君臨。
ライーを中心としたサンパウロFCは南米だけでなく世界的な強豪として認知されていく。
91シーズンには、サンパウロ州選手権とブラジル全国選手権で優勝。
92シーズンにもサンパウロ州選手権に優勝すると、リベルタドーレス杯でも順調に勝ち進む。
決勝ではアルゼンチンのニューウェルズ・オールドボーイズと対戦し、PK戦の末見南米の頂点に立つ。
トヨタカップではクライフ率いるFCバルセロナと対戦。
ストイチコフのゴールで先制されるが、ライー自ら2ゴールを挙げチームを世界一に導いた。
クライフはサンパウロFCの強さの前に完敗を認めている。
これらの活躍が認められ、92年の南米最優秀選手に選ばれている。
93シーズンにもリベルタドーレス杯で優勝を果たし、トヨタカップに出場。
当時ヨーロッパ最強と謳われていたACミランを3対2で破り、見事連覇を果している。
南米最高の選手として評価されるまでになったライーは、93シーズン途中にサンパウロに別れを告げ、フランスに活躍の場を移す。
93/94シーズン、パリSGに加入したライーはチームの新しい司令塔としてチーム、サポーターから大きな期待を掛けられていた。
しかし、シーズンが開幕するとサンパウロ時代のライーの姿はなかった。
シーズンを通してレギュラーとして出場したが、不調のままシーズンを終えた。
チームはウェアやジノラ、ゲランらの活躍でリーグ優勝を果たしたが、その優勝に貢献したとは言い難い。
94年のW杯南米予選のブラジルは散々であった。
格下のボリビアに破れるなど、予選突破する危ない状況であった。
司令塔のライーは、フランスリーグの不振を引きずったままで批判の対象となっていた
予選終盤のウルグアイ戦でロマーリオが代表に復帰し、そのロマーリオの活躍でなんとか南米予選を突破した。
W杯が開幕しても、ライーは不調から抜け出せずにいた。
グループリーグ初戦のロシア戦ではまずまずのプレーを見せ、PKで得点を挙げたが試合を重ねるにつれ存在感は益々薄くなり、
決勝トーナメントでは完全にレギュラーから外れた。
準決勝では途中出場で守備面で貢献したが、決勝ではピッチに立つことはなかった。
ブラジルは優勝を果たしたが、ライーは複雑な心境でワールドカップを手にした。
94/95シーズン、ライーはW杯の屈辱を晴らすかのように突如不調から抜け出し素晴らしいプレーを披露する。
豪快かつ繊細なプレーでチームを操り、また自らも多くの得点を挙げた。
リーグ優勝は逃すが、シーズン2位に大きく貢献。
また、CLではウェアと共にチームを牽引、準決勝進出の原動力となった。
95/96シーズン、ロコやジョルカエフという新しい選手が加入したが、やはりチームの中心はライーであった。
このシーズンも健闘実らずリーグ優勝を逃したが、カップウイナーズ・カップでは順調に勝ち進む。
決勝ではオーストリアのラピド・ウイーンと対戦。
1対0で勝利し、初のヨーロッパタイトルを掲げた。
この頃には、ライーはヨーロッパで活躍するブラジル選手の中でもNo.1の評価を得るまでになっていた。
96/97シーズン、サンパウロ時代の弟分であったレオナルドが加入し、見事なコンビネーションを見せる。
しかしながら、またしてもリーグ優勝を逃す。
カップウイナーズ・カップでは2シーズン連続で決勝進出という偉業を成すが、決勝でFCバルセロナに1対0で敗れる。
すっかりチームの象徴的な存在となっていたが、チームが変革期に入ってきていることもあり、97/98シーズンを最後にフランスを去った。
フランスではリーグ優勝は1度だけであったが、リーグカップも入れると8つものタイトルを制している。
ブラジルでは再びサンパウロFCのユニフォームをまとうが、かつてのようなプレーを見せることはでなかった。
代表では49試合で15ゴールを挙げている。
98年のW杯前には、怪我で出場不可能となったジュニーニョ・パウリスタの代役として1試合のみテストされたが、本大会には出場することはなかった。
94年のW杯と不調時が重なってしまったのは本当に残念でした。
ライーが抜けた後のパリSGは一気に力を無くしていきます。
彼の存在が大きかったのでしょうね。
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