
【 アントン ポルスター 】 188/86 1964-3-10
FW
| シーズン | 所属 | リーグ | 試合 | ゴール |
| 82 / 83 | オーストリア・ウィーン | Aus1 | 26 | 11 |
| 83 / 84 | オーストリア・ウィーン | Aus1 | 23 | 13 |
| 84 / 85 | オーストリア・ウィーン | Aus1 | 29 | 24 |
| 85 / 86 | オーストリア・ウィーン | Aus1 | 34 | 32 |
| 86 / 87 | オーストリア・ウィーン | Aus1 | 35 | 39 |
| 87 / 88 | トリノ | Ita1 | 27 | 9 |
| 88 / 89 | セビージャ | Spa1 | 32 | 9 |
| 89 / 90 | セビージャ | Spa1 | 35 | 33 |
| 90 / 91 | セビージャ | Spa1 | 35 | 13 |
| 91 / 92 | ログロネス | Spa1 | 38 | 14 |
| 92 / 93 | バリェカノ | Spa1 | 31 | 14 |
| 93 / 94 | 1.FCケルン | Dui1 | 26 | 17 |
| 94 / 95 | 1.FCケルン | Dui1 | 32 | 17 |
| 95 / 96 | 1.FCケルン | Dui1 | 28 | 14 |
| 96 / 97 | 1.FCケルン | Dui1 | 32 | 21 |
| 97 / 98 | 1.FCケルン | Dui1 | 33 | 13 |
| 98 / 99 | ボルシアMG | Dui1 | 31 | 11 |
| 99 / 00 | ボルシアMG | Dui1 | 7 | 4 |
| オーストリア・サルツブルグ | Aus1 | 12 | 2 | |
| 計 | 546 | 310 |
オーストリアが生んだすんごいストライカー。
スピードもスタミナもあまり無いが、188センチの大柄の体格を生かしたポストプレーを得意とし、驚異的な当たりの強さをもっており、マークにつかれてもビクともしない。
そしてなによりも、このストライカーの長所は得点能力の高さである。
体格を生かし有利な状況を作り、ボールを豪快にゴールに突き刺す姿はまさに圧巻。
泥臭いゴールも得意としており、大事な場面でのゴールが多い。
82/83シーズンに名門オーストリア・ウイーンでデビューすると、すぐにその才能を発揮する。
83/84シーズンからのチームの3連覇の原動力となり、85/86、86/87シーズンには得点王に輝いている。
86/87シーズンには、35試合で39ゴールという驚異的な数字を残している。
活躍は国内だけではとどまらず、ヨーロッパの舞台でも多くのゴールを挙げ、各国の名門チームを苦しめた。
87/88シーズンから活躍の舞台をイタリアのトリノに移す。
序盤はイタリアの守備的なサッカーに苦しんだが、徐々に本領を発揮し9ゴールというまずまずの結果を残した。
88/89シーズンにはスペインに渡る。
スペインでの2シーズン目には33ゴールという数字を記録し、ヨーロッパにその名を知らしめたが、
ウーゴ・サンチェスの35ゴールという記録の前に得点王の座を逃している。
その後もスペインではまずまずの成績を残したが、93/94シーズンにドイツに活躍の場を移す。
1.FCケルンに移ったポルスターは、チームの象徴的な存在であったピエール・リトバルスキーの穴を埋めるように素晴らしい活躍を見せる。
チームは優勝争いできるほどの力は無かったが、ポルスターは毎シーズンのようにゴールを量産。
96/97シーズンには21ゴールを挙げ、得点王は1ゴール差で逃したがシーズン最優秀選手に選ばれている。
ドイツでは6シーズン半で97ゴールという素晴らしい記録を残し、その後古巣のオーストリア・ウイーンでプレーし引退した。
現役最後の試合でもゴールを挙げている。
オーストリア代表では95試合で44ゴールを挙げている。
16年間エースストライカーとして君臨し、オーストリアのシンボル的な存在であった。
90年のW杯に出場したが、ゴールを挙げることはできず、チームはグループリーグで敗退した。
98年のW杯予選ではチームの最多得点を挙げ、8年ぶりのW杯出場に大きく貢献した。
しかしW杯前のシーズンの動きが悪かったため限界説も囁かれる中、本大会を迎えた。
グループリーグのカメルーン戦、1対0で迎えたロスタイム。
ポルスターは豪快にボールを蹴りこみ劇的な同点ゴールを挙げ、限界説を吹き飛ばした。しかしチームは決勝トーナメント進出を逃している。
本当にかっこよくて、大好きな選手の一人です。
オーストリアを出てからは、ビッグクラブで何故かプレーする機会がなく、タイトルには恵まれませんでした。
インタビューの受け答えがかなり独特だったらしく、ドイツのものまね芸人が取り上げかなり流行ったらしい。
サッカーだけでなくロックバンドの一員として活躍していることも有名です。
本人は引退後は指導者にはならないと明言しています。
しかし、現在のオーストリア代表の低迷を見ていると、彼のようなカリスマ的な人物の力が必要ではないかと思ってしまいます。