
【 エマニュエル プティ 】 185/75 1970-9-2
MF
| シーズン | 所属チーム | リーグ | 試合 | ゴール |
| 88 / 89 | ASモナコ | Fra1 | 9 | 0 |
| 89 / 90 | ASモナコ | Fra1 | 28 | 0 |
| 90 / 91 | ASモナコ | Fra1 | 27 | 1 |
| 91 / 92 | ASモナコ | Fra1 | 28 | 0 |
| 92 / 93 | ASモナコ | Fra1 | 25 | 1 |
| 93 / 94 | ASモナコ | Fra1 | 28 | 0 |
| 94 / 95 | ASモナコ | Fra1 | 25 | 1 |
| 95 / 96 | ASモナコ | Fra1 | 23 | 1 |
| 96 / 97 | ASモナコ | Fra1 | 29 | 0 |
| 97 / 98 | アーセナル | Eng1 | 32 | 2 |
| 98 / 99 | アーセナル | Eng1 | 27 | 4 |
| 99 / 00 | アーセナル | Eng1 | 26 | 3 |
| 00 / 01 | FCバルセロナ | Spa1 | 23 | 1 |
| 01 / 02 | チェルシー | Eng1 | 27 | 1 |
| 02 / 03 | チェルシー | Eng1 | 24 | 1 |
| 03 / 04 | チェルシー | Eng1 | 4 | 0 |
| 計 | 321 | 16 |
金髪のポニーテールをなびかせながらピッチを駆ける姿は一見華麗にも見える。
華麗なテクニックを持つがプレースタイルは激しく、勝利への執念は人一倍強い。
抜群のスタミナと強靭な肉体、そしてピッチを見渡す広い視野で、中盤をダイナミックに動きチームを支えた。
名門モナコの育成システムでプレーを磨き、ベンゲルによりトップチームに引上げられ、88/89シーズンにトップデビューを果たす。
翌89/90シーズンからレギュラーに定着する。この頃は主にDFとして活躍。
その後ベンゲルがセンターハーフにコンバートしたことによって才能は開花し、フランスを代表するプレイヤーの1人となる。
モナコでは9シーズンに渡りプレー。
90/91シーズンには、ジョルカエフ、ウェア、ディアスらと共に国内カップを獲得。
96/97シーズンには、念願のリーグ優勝を果たす。
そして、97/98シーズンからは恩師ベンゲルが率いるアーセナルに移籍する。
フィジカル重視のイングランドのサッカースタイルがプティに合っていたようで、開幕から素晴らしいパフォーマンスでチームの快進撃を支える。
このシーズン、アーセナルはリーグと国内カップの2冠を果たした。
その後も、チームの心臓として見事な活躍を見せ、プレミアリーグを代表する選手となる。
アーセナルでの活躍が認められ、00/01シーズンにはFCバルセロナに引き抜かれる。
低迷時期に入りつつあったバルセロナは、中盤のカンフル剤として、プティに大きな期待をかけていた。
しかし、リーグが始まると、イングランドのようなフィジカル中心ではなく、テクニック中心のスペインのサッカーの中で輝くことはできなかった。
監督からも信頼を得ることができずに、活躍できないまま、わずか1シーズンでスペインを去る。
翌01/02シーズンからはイングランドのチェルシーでプレー。
イングランドに戻ると、再び水を得た魚のように、持ち前のダイナミックな動きでチームを牽引。
(02/03シーズンには、自慢のポニーテールを切り、無精ひげを生やし、ちょいワルにイメチェン)
チェルシーではタイトルには恵まれなかったが、ターンオーバー制の中で素晴らしいパフォーマンスを見せた。
03/04シーズン、怪我で苦しみ、出場試合数はわずか4試合。
このシーズン終了後に現役を引退した。
代表では63試合で6ゴールの成績を残す。
フランス黄金期の中心メンバー。
94年W杯はブルガリアに破れ出場を逃したが、98年の母国のW杯でレギュラーとして6試合に出場。
ジダンの動きを幅広い動きで支え、決勝では1ゴール1アシストの大活躍で、チームを優勝に導いた。
00年の欧州選手権でも、チームの中心として活躍。
W杯、欧州選手権の連続優勝という偉業に大きく貢献した。
02年のW杯も出場するが、まさかのグループリーグ敗退の屈辱を経験。
その後、就任したサンティに監督との確執から代表を引退した。
アーセナルやフランス代表での活躍を見ていてたので、FCバルセロナでもやってくれると思ったのに、、、
フランス人の色男はバルセロナには向いていないみたいです。
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