【 ゲオルゲ ポプスク 】 188/80 1967-10-9  MF/DF



シーズン 所属 リーグ 試合 ゴール
84 / 85 U. Craiova Rom1 2 0
85 / 86 U. Craiova Rom1 18 1
86 / 87 U. Craiova Rom1 13 1
87 / 88 U. Craiova Rom1 14 1
S・ブカレスト Rom1 13 1
88 / 89 U. Craiova Rom1 33 8
89 / 90 U. Craiova Rom1 26 7
90 / 91 PSV Net1 30 5
91 / 92 PSV Net1 29 7
92 / 93 PSV Net1 24 6
93 / 94 PSV Net1 23 5
94 / 95 PSV Net1 2 0
トットナム Eng1 23 3
95 / 96 FCバルセロナ Spa1 39 5
96 / 97 FCバルセロナ Spa1 29 4
97 / 98 ガラタサライ Tur1 32 2
98 / 99 ガラタサライ Tur1 29 1
99 / 00 ガラタサライ Tur1 24 2
00 / 01 ガラタサライ Tur1 24 0
01 / 02 ガラタサライ Tur1 1 0
レッチェ Ita1 28 3
02 / 03 D・ブカレスト Rom1 0 0
ハノーファー96 Dui1 14 1
63

ハジに並ぶルーマニアの英雄。
強靭な肉体と高度な戦術眼、そして柔軟なプレースタイルを持つディフェンスのリーダー。
DFとしてもボランチとしても非常にレベルの高いプレーがすることができる。
ピッチ上の姿は風格さえ漂っており、カリスマ性を持った偉大なプレイヤーである。
ハジとは義兄弟。

84/85シーズンにU. Craiovaでプロデビュー。
その後数シーズン燻っていたが、88/89シーズンからその才能がブレイクする。
タイトルこそ獲得できなかったが、その活躍が認められ、オランダのPSVに引き抜かれることになる。

PSVは偉大なるリベロ、クーマンがFCバルセロナに去り、チームは明らかに安定感をなくしていた。
ポペスクはクーマンほどの爆発的な攻撃力はなかったが、レベルの高いプレーでチームに安定感をもたらす。
91/92、92/93シーズンと連覇を果たし、ポペスクもオランダリーグ屈指のタレントとして認識されるようになった。

94/95シーズンには、イングランドのトットナムに移籍。
同じくこのシーズンに移籍してきたクリンスマンと共に、開幕から素晴らしいサッカーを展開。リーグに旋風を起こす。
タイトルこそ獲得できなかったが、その活躍を大きく注目され、当時FCバルセロナ再建に取り組んでいたヨハン・クライフの目にとまる。

95/96シーズン、ポペスクが加入した当時のFCバルセロナは変革期に入っており、魅力的な選手は揃っていたがチームとしての完成度は低かった。
ポペスクはボランチとしてプレー。すぐにチームに溶け込み、なくてはならない存在となっていく。
しかし、チームは思うような成績を挙げることはできずに、クライフはチームを去る事になる。

96/97シーズン、ボスマン判決の影響でチームは一気に多くの選手を獲得する。
新しく就任したボビー・ロブソン監督は、生まれ変わったチームでポペスクをキャプテンとして指名する。
ポペスクはチームリーダーとして活躍。
しかし、ロブソン監督のロナウド1人まかせのチームは、カペッロの組織化されたレアル・マドリードに競り負けリーグ優勝を逃す。
カップウイナーズ・カップでは見事優勝を飾り、自身初のヨーロッパタイトルを獲得する。

97/98シーズンからは、トルコのガラタサライで新しい挑戦を始める。
FCバルセロナでも一緒にプレーした、義兄弟ハジと共に目覚しい活躍を見せる。
攻撃一辺倒だったチームは、ポペスク加入によって飛躍的に守備のレベルが上がった。
このシーズンからチームはリーグと国内カップの2冠を3シーズン連続で果たし、国内で無敵のチームとなる。

さらに、99/00シーズンにはUEFAカップで順調に勝ち進み、決勝でアーセナルと激突。
PK戦の末、トルコのチームとしては初のヨーロッパタイトルを獲得した。

98/99シーズンには、CLで初の決勝トーナメントに進出する快挙と成し遂げている。

その後、財政難のためチームを離れることになり、01/02シーズン、イタリアのレッチェでプレーする。
ポペスク自身は素晴らしいパフォーマンスを披露するが、チームは2部に降格。

02/03シーズンは、一時ディナモ・ブカレストに籍を置いたが、すぐにドイツのハノーファーに移籍。
このシーズンのプレーを最後に現役を引退した。


代表としては115試合に出場し15ゴールという素晴らしい数字を残している。
ハジと共に90年代の黄金期を築いた。
90年、94年、98年のW杯に出場し、全ての大会で決勝トーナメントに進出している。
特に94年のW杯では、鋭いカウンターで旋風を巻き起こし、優勝候補のコロンビア、アルゼンチン破る快進撃を見せた。
00年に代表を引退したが、ハジが代表監督に就任すると、要請を受け代表復帰。
しかし、02年のW杯予選ではチームは低調なパフォーマンスを繰り返し予選敗退となった。


ハジの義兄弟であり、良き相談相手でした。
ハジの活躍の陰にはいつもポペスクがいました。
FCバルセロナでプレーを続けていたら、歴史に残る名選手になっていたかもしれません。
まさにパーフェクトな選手と言えるでしょう。