【 マルセロ オテーロ 】 176/70 1971-4-14  FW



シーズン 所属チーム リーグ 試合 ゴール
91 Rampla Juniors Uru1 0 0
92 Rampla Juniors Uru1 18 4
93 ペニャロール Uru1 22 12
94 ペニャロール Uru1 23 11
95 ペニャロール Uru1 25 14
96 ペニャロール Uru1 8 4
95 / 96 ヴィチェンツァ Ita1 30 12
96 / 97 ヴィチェンツァ Ita1 23 13
97 / 98 ヴィチェンツァ Ita1 15 2
98 / 99 ヴィチェンツァ Ita1 28 10
99 / 00 セヴィージャ Spa1 22 1
00 / 01 セヴィージャ Spa2 18 1
01 / 02 Colon Santa fe Arg1 14 0
02 Fenix Uru1 12 3
258 87

特別に足が速いわけでもないし、素晴らしいテクニックを持っている選手でもない。
大柄ではないが当りに強く、抜群のスタミナを兼ね備えている。
ペナルティエリア内、またはその付近を常に動き回ってチャンスをうかがい、巡ってきたチャンスを豪快に決める、独特なスタイルを持つストライカー。

92シーズンにRampla Juniorsというクラブでトップデビューを果たすと、翌93シーズンには名門ペニャロールに引き抜かれる。
ペニャロールではダリオ・シルバと国内最強の2トップを組むことになる。

93シーズンには、ペニャロールは見事リーグ優勝を飾り、オテーロは見事得点王に輝いている。
94シーズンもダリオ・シルバとの2トップの破壊力は健在で、2人合わせて30近いゴールを挙げ、国内リーグを連覇する。

95シーズンからは、イタリアに去ったダリオ・シルバの後釜として加入したマガジャネスとコンビを組みゴールを量産。
すでに国内最高のFWとして認められていたオテーロは、96シーズンの途中でイタリアのヴィチェンツァに引き抜かれる。

95/96シーズン、オテーロが加入したヴィチェンツァは決して大きなクラブとは言えないが、マイーニ、サルトル、ムルジータ等の優秀なタレントの揃うチームであった。
さらに、このチームを率いていたのが名将グイドリンである。

シーズン前には降格候補に挙がっていたヴィチェンツアは、開幕から攻撃的サッカーで着実に成績を残す。
オテーロはイタリアの地でも、その得点感覚をいかんなく発揮。
12ゴールを挙げ、チームの9位という好成績に大きく貢献した。

96/97シーズン、グイドリン率いるヴィチェンツァはさらにチームとしての完成度を高めリーグに旋風を起こす。
開幕戦でフィオレンティーナ相手に4ゴールを奪い勝利。
その4ゴールは全てオテーロが奪ったものであった。
この驚異的なパフォーマンスでオテーロの名は一気に世界に知れ渡ることになる。

シーズン開幕からチームは絶好調でビッククラブと首位攻防を繰り広げていたが、やはり選手層の差から徐々に順位は下がる。
オテーロも怪我のため23試合にしか出場することはできず、最終的には8位という成績になった。
しかし、国内カップでは決勝でナポリを下し見事に優勝を果たした。

97/98シーズン、怪我のため満足な活躍はできなかった。
チームはヨーロッパを舞台に旋風を起こしカップウイナーズ・カップで見事にベスト4という快挙を成した。
しかし、国内リーグでは、カップウイナーズ・カップとの連戦のためチームは不振に陥り、なんとが降格は免れたが、14位という結果に終わっている。

98/99シーズン、ヴィチェンツァの躍進を支えていたグイドリン監督がチームを去り、オテーロの孤軍奮闘も実らずチームは一気に崩壊してしまう。

99/00シーズン、スペインのセビージャに移籍。
しかし、スペインのサッカーに馴染む事はできず、2シーズンでわずか2ゴールしか挙げることはできなかった。

その後、アルゼンチンにチームを経て、母国ウルグアイでプレーするが、かつての輝きを取り戻すことはできず。
02シーズン終了後に現役を引退した。


ウルグアイ代表としては25試合で10ゴールを上げている。
95年の南米選手権では、レギュラーとしてフォンセカと2トップを組み、チームの南米制覇に貢献。
その後、代表を率いる監督の構想から外れてしまったようで、クラブでのような成績を残すことはできなかった。


96/97シーズンの開幕戦で、一躍時の人となりました。
スペインに行ってからは、さっぱり名前を聞かなくなってしまいました。
スペインのサッカーが合わなかったんでしょうね。