【 フランク オルデネビッツ 】 180/76 1965-3-25  FW



シーズン 所属 リーグ 試合 ゴール
83 / 84 ヴァルダー・ブレーメン Dui1 5 0
84 / 85 ヴァルダー・ブレーメン Dui1 9 1
85 / 86 ヴァルダー・ブレーメン Dui1 24 7
86 / 87 ヴァルダー・ブレーメン Dui1 30 8
87 / 88 ヴァルダー・ブレーメン Dui1 30 15
88 / 89 ヴァルダー・ブレーメン Dui1 27 6
89 / 90 1F.C.ケルン Dui1 30 3
90 / 91 1F.C.ケルン Dui1 31 7
91 / 92 1F.C.ケルン Dui1 35 11
92 / 93 1F.C.ケルン Dui1 30 9
94 ジェフ市原 Jap1 36 30
94 / 95 ハンブルガーSV Dui1 15 0
95 / 96 ハンブルガーSV Dui1 6 1
96 ブランメル仙台 Jap2 28 20
96 / 97 RotenburgerSV Dui4 - -
97 / 98 VfB Oldenburg Dui5 23 3
98 / 99 TSVOttersberg Dui5 - -
99 / 00 無所属
00 / 01 無所属
01 / 02 無所属
02 / 03 無所属
03 / 04 無所属
04 / 05 オスターホルツ・シャルベック Dui? - -

ペナルティエリア内で高い能力を発揮するストライカー。
浮玉の処理が巧く、多くのファインゴールを挙げている。
日本ではストライカーとしての印象が強いが、ドイツではFWとしてだけではなく意外にもMFとしても活躍している。

83/84シーズンに、ヴァルダー・ブレーメンでトップデビュー。
その後、順調に成長を遂げ、85/86シーズンからはレギュラーとして定着し、フェラーや奥寺というブンデスリーガ有数のスター選手とプレー。
フェラーや奥寺がチームを去るとブレーメンの中心選手となる。

87/88シーズンには、新加入したカール=ハインツ・リードレと2トップを組みゴールを量産。
自己最多となる15ゴールを挙げ、23年振りとなるリーグ優勝に大きく貢献した。

89/90シーズンからは、1.FCケルンに活躍の場を移し、リトバルスキーやウーヴェ・ラーンらと共にプレー。
4シーズンに渡りプレーしたが、二桁得点は1シーズンしかなく、ゴールを量産したとは言えないが、チーム状況に合わせ、MFとしてもプレーしチームに大きく貢献した。

93シーズンには、ブレーメン時代のチームメイトの奥寺と、ケルン時代のチームメイトのリトバルスキーに誘われる形でJリーグのジェフ市原に移籍。
ブンデスリーガでも結果を残している実力者ではあったが、リトバルスキーのように日本での知名度高くなかったため、開幕前はそれほど注目されてはいなかった。

シーズン開幕直後は日本のサッカーにあまり馴染めていなかったようで、思うような結果を残すことはできなかったが、シーズン中盤からゴールを量産。
決して戦力的に恵まれているチームではなかったが、次々とゴールネットを揺らし、最終的に30ゴールを挙げ、見事に得点王に輝いた。

その後も、ジェフで活躍すると思われていたが、家族の事情のため惜しまれながらチームを退団した。

94/95シーズン、ドイツに戻ったオルデネビッツはハンブルガーSVに移籍をしが、レギュラー争いに敗れ、1シーズン半でわずか1ゴールしか挙げることができなかった。

95/96シーズン途中にハンブルガーSVで居場所を失っていたオルデネビッツに、再び日本からのオファーが舞い込む。
ケルンとジェフで共にプレーしたリトバルスキーが監督として率いるブランメル仙台からのものであった。
ブランメル仙台は当時2部に所属していたが、盟友リトバルスキーのラブコールに応え再び日本のピッチに立った。
ハンブルガー時代の鬱憤を晴らすように、見事なゴールラッシュを見せ、チームを上位に引上げたが、健闘むなしく1部昇格はならなかった。

その後は、一線は退きドイツのアマチュアリーグで98/99シーズンまでプレーし現役を引退した。
しかし、04/05シーズンには6年振りに現役に復帰し、世間を驚かせた。


ドイツ代表としては2試合に出場しているが、ゴールはない。


ブレーメン時代、優勝のかかった一戦で、ブレーメンのゴールが決まった際に「ゴール直前に反則をした」と自ら申告したことでも有名な選手です。
この申告により、ゴールは取り消しとなり、結果的に優勝を逃しています。
サポーターからは賛否両論の声があったようですが、この一件でFIFAからフェアプレー賞が送られています。