
【 ダニエレ マッサーロ 】 179/74 1961-5-23
FW
| シーズン | 所属 | リーグ | 試合 | ゴール |
| 79 / 80 | モンツァ | Ita2 | 24 | 5 |
| 80 / 81 | モンツァ | Ita2 | 36 | 5 |
| 81 / 82 | フィオレンティーナ | Ita1 | 29 | 1 |
| 82 / 83 | フィオレンティーナ | Ita1 | 30 | 5 |
| 83 / 84 | フィオレンティーナ | Ita1 | 29 | 1 |
| 84 / 85 | フィオレンティーナ | Ita1 | 26 | 2 |
| 85 / 86 | フィオレンティーナ | Ita1 | 26 | 2 |
| 86 / 87 | ACミラン | Ita1 | 22 | 2 |
| 87 / 88 | ACミラン | Ita1 | 26 | 4 |
| 88 / 89 | ASローマ | Ita1 | 30 | 5 |
| 89 / 90 | ACミラン | Ita1 | 30 | 10 |
| 90 / 91 | ACミラン | Ita1 | 21 | 6 |
| 91 / 92 | ACミラン | Ita1 | 32 | 9 |
| 92 / 93 | ACミラン | Ita1 | 29 | 5 |
| 93 / 94 | ACミラン | Ita1 | 19 | 11 |
| 94 / 95 | ACミラン | Ita1 | 19 | 3 |
| 95 | 清水エスパルス | Jap1 | 9 | 3 |
| 96 | 清水エスパルス | Jap1 | 17 | 7 |
| 計 | 454 | 86 |
大柄ではないがポストプレーを得意とし、ゴール前の一瞬の勝負にかけたストライカー。
華麗なテクニックを持っているわけではないし、特別スピードがあるわけでもない。
同時代に活躍したシニョーリやヴィアリのような量産型のストライカーでもないが、
とにかくチームのために献身的に動き、ここ一番でゴールを決めてくれる頼りになる選手。
名将サッキ、カペッロの元で長年プレーし、両監督共に大一番にはこの選手を使うことが多かった。
79/80シーズンに、地元チームの2部に所属するモンツァでプロデビューする。
81/82シーズンにはフィオレンティーナに引き抜かれると、すぐにレギュラーの座を掴む。
このシーズン、チームは最後の最後までユベントスと優勝争いを演じたが、惜しくも優勝を逃した。
マッサーロは1ゴールしか挙げられなかったが、ゴール前のプレーは大きく評価されることになる。
82年のW杯にマッサーロは21歳の若さでメンバーに入ることになる。
チームは優勝を果たすがピッチに立つ事は無かった。
その後フィオレンティーナで85/86シーズンまでプレー。
評価を高めると、86/87シーズンには当時低迷期に入りもがいていたACミランに引き抜かれる。
87/88シーズン、サッキがACミランの監督に就任すると、ミランはゾーンプレスを武器に強豪として復活する。
マッサーロのプレースタイルはサッキのサッカーに非常に合っており、サッキはマッサーロを非常に重宝する。
ミランはこのシーズン9シーズン振りの優勝を果たした。
このシーズンの活躍が認められ、翌88/89シーズンはASローマでプレー。
しかし、89/90シーズンには再びACミランに呼び戻される。
そしてこのシーズン、故障のグーリットに代わり、マッサーロがファン・バステンのパートナーを勤める。
リーグではマラドーナのナポリの前に優勝を逃すが、自身は10ゴールを挙げる活躍を見せ、さらにファン・バステンの多くのゴールを演出した。
チャンピオンズカップでは見事優勝を果たし、イタリアを代表するストライカーとなった。
しかし、これほどの活躍を見せたにも関わらず、90年の地元イタリア開催のW杯のメンバーには入る事はできなかった。
それから、ACミランは黄金期に入り、ヨーロッパで最強のチームとなる。
91/92シーズンからACミランはリーグ3連覇を果たし、CLでは92/93、93/94に連続して決勝に進出し、93/94シー人にはヨーロッパの頂点に立っている。
ファン・バステン、ライカールト、グーリットのオランダトリオに、
バレージ、コスタクルタ、マルディーニ、タソッティのDF陣が注目されたが、マッサーロの役割は非常に大きかった。
先発も途中出場も、いろいろな使われ方をしたが、どのような状態から出ていっても、全力でプレーできるのがマッサーロなのである。
そして、サッキ監督もカペッロ監督も彼に信頼を置いていた。
特に93/94シーズンの活躍は素晴らしく、リーグ戦ではチーム最多の11ゴールを挙げ優勝に大きく貢献。
CLでは決勝戦のFCバルセロナ戦で2ゴールを挙げる大活躍を見せた。
94年のW杯には、サッキ監督により12年ぶりにW杯メンバーに招集される。
イタリアはエースR・バッジオの不調と、暑さのためゾーンプレスが機能せず苦戦を強いられた。
グループリーグ突破を賭けたメキシコ戦でもリードを許す展開となった。
サッキ監督はマッサーロを途中からピッチに送ると、その起用に答え見事な胸でワントラップからのボレーシュートを決め、イタリアの決勝トーナメント進出に貢献した。
チームは息を吹き返し、順調に勝ち進み決勝に進出。
そして決勝戦ではマッサーロはスタメンでプレー。
しかし、延長戦の末のPK戦ではPKを外し、イタリアは優勝を逃した。
その後、95シーズンからは日本の清水エスパルスでプレー。
年齢的にフルに活躍はできなかったが、見事なプレーを見せ、人生初のハットトリックも達成している。
96シーズンを最後に現役を引退した。
代表では15試合に出場し、1ゴールしか挙げていないが、その1ゴールの重みは計り知れない。
まさしく仕事人という感じのFWです。
ACミランではシモーネと共にスーパースター揃いのFW陣を影で支えました。
トヨタカップでも来日し、パパンと2トップを組み、1ゴール1アシストの活躍を見せています。