
【 ルイス エンリケ マルティネス 】 180/73 1970-5-8
FW/MF/DF
| シーズン | 所属チーム | リーグ | 試合 | ゴール |
| 89〜90 | S・ヒホン | Spa1 | 1 | 0 |
| 90〜91 | S・ヒホン | Spa1 | 35 | 15 |
| 91〜92 | レアル・マドリード | Spa1 | 29 | 4 |
| 92〜93 | レアル・マドリード | Spa1 | 34 | 2 |
| 93〜94 | レアル・マドリード | Spa1 | 28 | 2 |
| 94〜95 | レアル・マドリード | Spa1 | 35 | 4 |
| 95〜96 | レアル・マドリード | Spa1 | 31 | 2 |
| 96〜97 | FCバルセロナ | Spa1 | 35 | 17 |
| 97〜98 | FCバルセロナ | Spa1 | 34 | 18 |
| 98〜99 | FCバルセロナ | Spa1 | 26 | 11 |
| 99〜00 | FCバルセロナ | Spa1 | 19 | 3 |
| 00〜01 | FCバルセロナ | Spa1 | 28 | 9 |
| 01〜02 | FCバルセロナ | Spa1 | 23 | 5 |
| 02〜03 | FCバルセロナ | Spa1 | 18 | 8 |
| 03〜04 | FCバルセロナ | Spa1 | 24 | 3 |
| 計 | 400 | 103 |
スペインが誇るユーティニティプレイヤー。
リズミカルなドリブルを得意とし、どのポジションからも得点ができる非常に得点力の高い選手。
(特に2列目からの飛び出しが、素晴らしい)
そして闘志溢れるプレースタイルで多くのファンから愛された。
89/90シーズンに地元のスポルティング・ヒホンでトップデビュー。
ここでは主にFWとしてプレー。
90/91シーズンに初得点を挙げると、ゴールを量産。シーズン15ゴールを挙げる活躍を見せた。
その活躍に目を付けたレアル・マドリードが彼を引き抜く。
91/92シーズン、レアル・マドリードに移籍すると、レギュラーでプレー。
レアル・マドリードではそのユーティニティ性を買われ、主にボランチを務めることになる。
94/95シーズンには初のリーグ優勝を経験するが、その守備的な役割に不満を募らせていく。
95/96シーズンもレギュラーで活躍をするが、相変わらずの守備的な役割に移籍を決意する。
その移籍先はFCバルセロナ。
攻撃的なサッカーを目指し、宿敵FCバルセロナに活躍の場を移した。
サンチャゴ・ベルナベウではもちろん、カンプ・ノウでも、宿敵レアル・マドリードから来たルイス・エンリケに対してブーイングの嵐であった。
しかし、本人は右サイドバック、または両サイドで気迫溢れる見事のプレーを披露、
もちろんサンチャゴ・ベルナベウではブーイングが止むことはなかったが、
カンプ・ノウでは次第にサポーターのハートを掴んでいく。
そのシーズン、チームは優勝を逃すが、17ゴールを挙げる活躍を見せる。
カップ・ウイナーズカップでは見事優勝を飾った。
翌97/98シーズンにFCバルセロナにやってきたファン・ハール監督は、多くのスペイン人を阻害したが、
ルイス・エンリケは別だった。
いろいろなポジションで起用されたが、全てのポジションで素晴らしいプレーを見せる。
ファン・ハールの攻撃サッカーは、彼なしには成り立たなかったといっても過言ではない。
そして97/98、98/99シーズンの連覇を果たす。
その後、FCバルセロナは低迷しタイトルに恵まれなかったが、監督が誰になろうと、いつもピッチには気迫溢れるプレーでチームを引っ張る彼の姿があった。
レアル・マドリードからブーイングでバルセロナに迎えられた選手は、チームの魂と呼べる選手になっていた。
03/04シーズンには、チームからもサポーターからも惜しまれつつ現役を引退。
ルイス・エンリケには多くのオファーがありながらもFCバルセロナで現役の幕を下ろした。
代表では62試合で12ゴールの成績を残している。
バルセロナオリンピックでは中心選手として優勝に貢献。
フル代表としても長き渡りレギュラーとして活躍した。
94年のW杯では、サリナスと2トップを組み、素晴らしいドリブルで世界中にその才能を披露した。
しかし、ベスト8でR・バッジオの前に破れる。
98年はまさかのグループリーグ敗退。
最後のW杯となった2002年は全試合に出場するが、不可解な判定によりベスト8で大会を去った。
両チームでプレーした中で、最も成功した選手ではないでしょうか。
非常に動きが鋭く、そのプレーは常に気迫溢れるものでした。
ゴールの後のポーズがかっこいい!!
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