
【 ロナルド クーマン 】 182/81 1963-3-21
DF
| シーズン | 所属チーム | リーグ | 試合 | ゴール |
| 80 / 81 | FC フロニーゲン | Net1 | 24 | 4 |
| 81 / 82 | FC フロニーゲン | Net1 | 32 | 15 |
| 82 / 83 | FC フロニーゲン | Net1 | 33 | 14 |
| 83 / 84 | アヤックス | Net1 | 32 | 7 |
| 84 / 85 | アヤックス | Net1 | 30 | 9 |
| 85 / 86 | アヤックス | Net1 | 32 | 7 |
| 86 / 87 | PSV | Net1 | 34 | 16 |
| 87 / 88 | PSV | Net1 | 32 | 21 |
| 88 / 89 | PSV | Net1 | 32 | 14 |
| 89 / 90 | FCバルセロナ | Spa1 | 36 | 14 |
| 90 / 91 | FCバルセロナ | Spa1 | 21 | 6 |
| 91 / 92 | FCバルセロナ | Spa1 | 35 | 16 |
| 92 / 93 | FCバルセロナ | Spa1 | 33 | 11 |
| 93 / 94 | FCバルセロナ | Spa1 | 35 | 11 |
| 94 / 95 | FCバルセロナ | Spa1 | 32 | 9 |
| 95 / 96 | フェイエノールト | Net1 | 31 | 10 |
| 96 / 97 | フェイエノールト | Net1 | 29 | 9 |
| 計 | 533 | 193 |
DFでありながら凄まじい得点力を誇り、1シーズン21ゴールを挙げたこともあった。
PK職人であり、FKの名手であったとは言え、この数字は普通では考えられない。
まさに超攻撃的リベロと言える。もちろん守備も一流である。
(ただし、オランダ人DF特有の、あっさり抜かれて、諦めが早いという場面はよくあった。)
80/81シーズンにフロニーゲンでトップデビューし、その頃からすでに飛びぬけた得点能力を発揮する。
2シーズン目には15ゴール挙げている。
83/84には名門アヤックスに移籍、84/85にはリーグ優勝に貢献、初めてのタイトルを獲得する。
86/87シーズンにはPSVに移籍、ここでさらにリベロとしての才能が開花する。
DFでありながら、毎シーズンゴールを量産する。
チームは87/88シーズンにはリーグ、国内カップ、チャンピオンズカップの3冠を達成している。
この活躍が認められ、89/90シーズンにはクライフに引き抜かれFCバルセロナに移籍する。
そして、ここでもその能力をいかんなく発揮することになる。
90/91シーズンからは4連覇の中心メンバーとして活躍。この4シーズンで挙げたゴール数は44ゴール。
クライフの元で成長したクーマンはゴールだけではなく、試合の組み立てにも参加し、絶妙なパスセンスを披露するようになっており、ピッチ上の存在感は増すばかりであった。
91/92シーズンにはCLで優勝。決勝戦では延長後半にサンプドリアからFKで決勝点を挙げている。
しかし、93/94シーズンのCL決勝でのACミラン戦の敗戦から、チームは下降線をたどるようになる。
94/95シーズンを最後に愛するバルセロナから離れることを決意する。
95/96シーズンにはオランダのフェイエノールトに活躍の場を移し、翌96/97シーズンを最後に現役を引退した。
(オランダのビッグ3全てでプレーをした)
代表では74試合で14ゴールを挙げている。
クライマックスはなんと言っても88年の欧州選手権。
ファンバステン、ライカールト、グーリット、ファネンブルグらと共にオランダ初のビッグタイトル獲得に大きく貢献した。
W杯は90年と94年に出場したが、これというインパクトは残せていない。
とにかくこの選手は得点力が凄まじい。DFで21点なんてちょっと想像できない・・・・・。
この人は私が見た中でナンバー1のフリーキックの名手じゃないでしょうか。
とにかくスピードが速くて、正確です。蹴り方がちょっと他の選手とは違っていました。