
【 エミール コスタディノフ 】 180/76 1967-8-12
FW
| シーズン | 所属 | リーグ | 試合 | ゴール |
| 84 / 85 | CSKAソフィア | Bul1 | 2 | 0 |
| 85 / 86 | CSKAソフィア | Bul1 | 13 | 5 |
| 86 / 87 | CSKAソフィア | Bul1 | 25 | 9 |
| 87 / 88 | CSKAソフィア | Bul1 | 24 | 13 |
| 88 / 89 | CSKAソフィア | Bul1 | 29 | 12 |
| 89 / 90 | CSKAソフィア | Bul1 | 26 | 6 |
| 90 / 91 | FCポルト | Por1 | 33 | 8 |
| 91 / 92 | FCポルト | Por1 | 29 | 9 |
| 92 / 93 | FCポルト | Por1 | 29 | 9 |
| 93 / 94 | FCポルト | Por1 | 22 | 16 |
| 94 / 95 | D・ラ・コルーニャ | Spa1 | 9 | 2 |
| バイエルン・ミュンヘン | Dui1 | 9 | 2 | |
| 95 / 96 | バイエルン・ミュンヘン | Dui1 | 18 | 5 |
| 96 / 97 | フェネルバフチェ | Tur1 | 25 | 8 |
| 97 / 98 | UNAM | Mex1 | 9 | 2 |
| 98 / 99 | CSKAソフィア | Bul1 | 18 | 7 |
| 99 / 00 | マインツ05 | Dui2 | 4 | 1 |
| 計 | 324 | 114 |
切れ味するどい動きから得点を挙げる、抜群の勝負強さを持つストライカー。
94年W杯予選の「パリの悲劇」(ブルガリアにとっては「パリの奇跡」)の主人公として有名である。
84/85シーズンにブルガリアの名門CSKAソフィアでデビューすると、その後着実に実力を付ける。
86/87シーズンにはレギュラーに定着。ペネフと2トップを組み9ゴールを挙げ初のリーグ優勝を果たす。
87/89シーズンからは、ストイチコフ、ペネフ、コスタディノフの最強3トップでリーグを席巻。
翌89/90シーズンには、12ゴールを挙げリーグ優勝を果たし、さらにカップウイナーズ・カップでは準決勝まで勝ち進む。
準決勝ではFCバルセロナに敗れるものの、CSKAソフィアとコスタディノフやストイチコフという中心メンバーはヨーロッパで知られる存在となる。
90/91シーズン、国内リーグで連覇を果たし、この活躍を置き土産にポルトガルのポルトに活躍の場を移す。
91/92シーズン、シーズン開幕からレギュラーとして活躍。
33試合で9ゴールとゴール量産はできなかったが、鋭いプレーで活躍、リーグ優勝に大きく貢献する。
その後、3シーズンに渡りポルトでプレー。
93/94シーズンには、怪我もあり22試合にしが出場できなかったが16ゴールを挙げ、2度目のリーグ優勝を果たす。
94/95シーズンにはスペインのディポルティボ・ラ・コルーニャに移籍する。
しかしスペインのサッカーには馴染むことはできず、結果を残せないままシーズン途中で、ドイツのバイエルン・ミュンヘンに移籍する。
ドイツでも、ツィックラー、ショル、パパン、クリンスマンらのレギュラー陣がいたため、控えに甘んじる。
しかし95/96シーズンのUEFAカップの決勝ボルドー戦では得点を挙げ優勝に貢献した。
その後ドイツを離れ、トルコ、メキシコと渡り歩き、98/99シーズンには再びCSKAソフィアでプレー。
99/00シーズンには、当時ドイツの2部に所属したマインツに移籍したが、怪我の影響もあり思うようなプレーができず、シーズン終了後に現役を引退した。
代表では70試合に出場し26ゴールという成績を残している。
ハイライトはなんと言っても94年W杯ヨーロッパ予選の最終戦のフランス戦である。
フランスは負けない限りW杯出場が決まっていた。
当時のフランスはパパン、カントナ、ジノラというスターが活躍しており、さらにデサイーやソゼー、デシャンという実力者もいる攻守にバランスのとれた素晴らしいチームであった。
おまけに最終戦の地は、フランスのホーム「パリ」。
これほどの条件でブルガリアにチャンスがあるとは誰も思ってはいなかった。
予想通り前半の32分、パパンが頭で落としカントナが豪快に蹴りこみフランスが先制する。
これでフランスはW杯の切符を手にしたと誰もが思った。
しかし、ブルガリアの選手はあきらめてはいなかった。
コスタディノフが前半のうちに同点ゴールを挙げる。
さらに試合終了間際の89分には、ジノラのセンタリングを奪ったブルガリアはカウンターで再びコスタディノフにボールを託す。
コスタディノフはマークにつかれながらも、ミドルレンジからボールを豪快にけりこみゴールネットを揺らした。
このコスタディノフの2ゴールにより、フランスのW杯への道は断たれ、ブルガリアはW杯本戦で旋風を巻き起こすことになる。
W杯本戦ではゴールこそ挙げられなかったが、ブルガリアのベスト4に大きく貢献した。
98年のW杯では、グループリーグ全敗で大会を去るが、念願のW杯初得点を挙げている。
あのフランス戦での2ゴールは、ブルガリアのサッカーの歴史を変えると共に、フランス代表の運命すら変えてしまいました。
予選敗退後、フランスはパパン、カントナ、ジノラというスーパースターを切り捨て、堅実で固いサッカーに切り替え、4年後の地元W杯では優勝を飾ります。
そして、フランスは真の強豪国と変貌していきました。