
【 イゴール コルネイフ 】 172/78 1967-11-4
FW/MF
| シーズン | 所属 | リーグ | 試合 | ゴール |
| 85 | CSKAモスクワ | U.S.S.R.1 | 22 | 1 |
| 86 | CSKAモスクワ | U.S.S.R.1 | 19 | 2 |
| 87 | CSKAモスクワ | U.S.S.R.1 | 37 | 3 |
| 88 | CSKAモスクワ | U.S.S.R.1 | 38 | 13 |
| 89 | CSKAモスクワ | U.S.S.R.1 | 21 | 14 |
| 90 | CSKAモスクワ | U.S.S.R.1 | 14 | 8 |
| 91 | CSKAモスクワ | U.S.S.R.1 | 29 | 10 |
| 91 / 92 | エスパニョール | Spa1 | 14 | 6 |
| 92 / 93 | エスパニョール | Spa1 | 32 | 7 |
| 93 / 94 | エスパニョール | Spa2 | 34 | 18 |
| 94 / 95 | FCバルセロナ | Spa1 | 12 | 0 |
| 95 / 96 | ヘーンフェーレン | Net1 | 11 | 2 |
| 96 / 97 | ヘーンフェーレン | Net1 | 25 | 5 |
| 97 / 93 | フェイエノールト | Net1 | 20 | 2 |
| 98 / 99 | フェイエノールト | Net1 | 17 | 5 |
| 99 / 00 | フェイエノールト | Net1 | 15 | 6 |
| 00 / 01 | フェイエノールト | Net1 | 17 | 6 |
| 01 / 02 | フェイエノールト | Net1 | 10 | 1 |
| 02 /03 | NAC | Net1 | 10 | 0 |
| 計 | 397 | 109 |
鋭いドリブルを武器とし、FWとしてもMFとしてもプレーすることができる。
得点力も高く、アシスト能力もある好選手であるが、FCバルセロナに似合う選手ではなかったかもしれない。
ソビエトの名門、CSKAモスクワでトップデビュー。
88から91シーズンまでの4シーズンでは45ゴールを挙げている。
そして、スペインのエスパニョーラに移籍する。
91/92シーズンの途中にチームに加入すると、6ゴールを挙げチームの1部残留に大きく貢献。
92/93シーズンも孤軍奮闘するが、結局チームは2部に降格してしまう。
93/94シーズン、新しく就任したカマーチョ監督に率いられたエスパニョールは快進撃を見せる。
コルネイフは18ゴールを挙げ、チームの中心として活躍。
エスパニョールの1部復帰の原動力となった。
そして、94/95シーズンにはFCバルセロナに移籍。
FCバルセロナでの扱いは、ストイチコフ、クーマン、ロマーリオ、ハジに続く、第5の外国人というものであった。
シーズンが始まると、ロマーリオはブラジルに帰国。
ストイチコフは監督批判でチームから出場停止という処分を受ける。
このようなことが続き第5の外国人に出番が回ってくる。
しかし、エスパニョールとFCバルセロナでは勝手が違うのか、悪いプレーをするわけではないが、
ストイチコフやロマーリオのようなスーパープレーができるわけもなく、12試合の出場でこれといった活躍はできなかった。
結局シーズン終了後に放出される。
95/96シーズンからはオランダのヘーンフェーレンでプレーをする。
1シーズン目は出場機会が限られていたが、96/97シーズンからは、リーグ屈指のドリブラーとして活躍することになる。
98/99シーズンにはフェイエノールトに移籍。
ここではトマソンの控えであったが、限られた時間の中で結果を残し、貴重な戦力として活躍。
02/03シーズンにはNACに移籍。そのシーズンを最後に現役を引退する。
代表ではカルピン、カンチェルスキス、モストボイというワールドクラスの選手とポジションが重なったため、
14試合しか出場できていない。ゴール数は3。