【 ウルフ・キルシュテン (Ulf Kirsten ) 175/76 1965-12-4  FW



シーズン 所属チーム リーグ 試合 ゴール
83 / 84 ディナモ・ドレステン E.Deu1 11 1
84 / 85 ディナモ・ドレステン E.Deu1 25 7
85 / 86 ディナモ・ドレステン E.Deu1 24 7
86 / 87 ディナモ・ドレステン E.Deu1 23 11
87 / 88 ディナモ・ドレステン E.Deu1 22 7
88 / 89 ディナモ・ドレステン E.Deu1 24 14
89 / 90 ディナモ・ドレステン E.Deu1 25 10
90 / 91 バイヤー・レヴァークーゼン Deu1 32 11
91 / 92 バイヤー・レヴァークーゼン Deu1 23 12
92 / 93 バイヤー・レヴァークーゼン Deu1 33 20
93 / 94 バイヤー・レヴァークーゼン Deu1 28 13
94 / 95 バイヤー・レヴァークーゼン Deu1 27 15
95 / 96 バイヤー・レヴァークーゼン Deu1 29 8
96 / 97 バイヤー・レヴァークーゼン Deu1 29 22
97 / 98 バイヤー・レヴァークーゼン Deu1 27 22
98 / 99 バイヤー・レヴァークーゼン Deu1 31 19
99 / 00 バイヤー・レヴァークーゼン Deu1 27 17
00 / 01 バイヤー・レヴァークーゼン Deu1 29 12
01 / 02 バイヤー・レヴァークーゼン Deu1 32 11
02 / 03 バイヤー・レヴァークーゼン Deu1 3 0
  計 504 239


圧倒的な得点力を誇る点取屋。
ゴールパターンは鋭い嗅覚を生かしワンタッチでゴールを決めるものが多く、スタイルはかつての名ストライカーG・ミュラーを彷彿とさせる。
しかし、それだけの選手ではなくボールキープが非常に巧みで、周りを生かす術をも心得た選手でもあり、実はクロスの精度も非常に高い。

東ドイツのディナモ・ドレステンで83/84シーズンにデビュー。
84/85シーズンにはレギュラーに定着し、その年には東ドイツ代表にも定着する。

90年の東西ドイツ統合まで、ディナモ・ドレステンと東ドイツ代表で活躍し、東ドイツ屈指のストライカーとなっていた。

東西ドイツ統合後の90/91シーズンからは、バイヤー・レヴァークーゼンに活躍の場を移す。
統合後のリーグで多くの旧東ドイツの選手が苦戦する中、キルシュテンは大きく飛躍を果たす。

チーム加入後すぐに、エースストライカーとしての地位を確立すると、91/92シーズンには、ジョルジーニョ、ルペスクらと共に国内カップ制覇の原動力となった。

92/93シーズンには開幕からゴールを量産。
20ゴールを挙げ、初めて得点王の栄冠を手にした。

その後、長岐に渡りチームのエースストライカーとして君臨。
フェラー、シュスター、パウロ・セルジオ、シュナイダー、バラックという素晴らしいタレントにも恵まれ、
96/97、97/98シーズンにも得点王となり、レバークーゼン在籍通算182ゴールという驚異的な数字を叩き出している。

レバークーゼンは、キルシュテンなどの活躍で、常にブンデスリーガの上位に顔を出す強豪となったが、キルシュテンが在籍した13シーズンで、大きなタイトルを獲得することはできなかった。

特に01/02シーズンには、国内リーグでわずかの差でバイエルン・ミュンヘンに優勝をさらわれると、
チャンピオンズリーグでも決勝でレアル・マドリードに敗れるという残念な結果に終わっている。

しかし、レバークーゼンの見せたサッカーは、当時ヨーロッパ最強の攻撃的サッカーとして評価され、多くのサッカーファンを魅了した。


代表ではドイツ代表として51試合で21ゴールを挙げている。
しかし、フェラー、クリンスマン、ビアホフらの陰に隠れる形となり、
ワールドカップや欧州選手権の地区予選では活躍するのだが、本選ではあまり活躍の場をあたえられなかった。


東ドイツ代表としても49試合に出場しており、14ゴールを挙げている。
ちなみに試合開始11秒でゴールを挙げるという、ブンデスリーガ記録を持っています。



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