
【 ケネット アンデション 】 193/92 1967-10-6
FW
| シーズン | 所属 | リーグ | 試合 | ゴール |
| 85 | IFK Eskilstuna | Swe3 | 5 | 0 |
| 86 | IFK Eskilstuna | Swe3 | 19 | 2 |
| 87 | IFK Eskilstuna | Swe2 | 26 | 8 |
| 88 | IFK Eskilstuna | Swe2 | 26 | 10 |
| 89 | IFKイエテボリ | Swe1 | 22 | 7 |
| 90 | IFKイエテボリ | Swe1 | 25 | 9 |
| 91 | IFKイエテボリ | Swe1 | 16 | 13 |
| 91 / 92 | KVメケレン | Bel1 | 27 | 6 |
| 92 / 93 | KVメケレン | Bel1 | 7 | 1 |
| 92 | IFKノルシェーピング | Swe1 | 13 | 8 |
| 93 / 94 | リール | Fra1 | 32 | 11 |
| 94 / 95 | カーン | Fra1 | 31 | 9 |
| 95 / 96 | バリ | Ita1 | 33 | 12 |
| 96 / 97 | ボローニャ | Ita1 | 29 | 8 |
| 97 / 98 | ボローニャ | Ita1 | 32 | 12 |
| 98 / 99 | ボローニャ | Ita1 | 25 | 6 |
| 99 / 00 | ラツィオ | Ita1 | 2 | 0 |
| ボローニャ | Ita1 | 28 | 7 | |
| 00 / 01 | フェネルバフチェ | Tur1 | 27 | 10 |
| 01 / 02 | フェネルバフチェ | Tur1 | 29 | 5 |
| 計 | 454 | 144 |
193cmの長身を生かしたポストプレーを得意とするセンターフォワード。
足元の技術も持ち合わせており得点力も高いが、ゴールへのこだわりがないため非難されることも多かった。
しかし、ポストプレーに関しては当時世界最強と言っても過言ではなかった。
彼とコンビを組むFWはゴール量産を約束されたようなものであった。
85シーズンに、当時3部に所属していた地元チームでデビューする。
その後、本人もチームも着実に成績を残し、87シーズンには2部に昇格。
89シーズンには国内屈指の強豪IFKイエテボリに活躍の場を移す。
90シーズンにリーグ優勝に貢献。
さらに91シーズンは、開幕からゴールを量産し、シーズン途中にベルギーにメケレンに引き抜かれる。
エースとしてメケレンに加入したが、期待された活躍をすることができなかった。
92/93シーズンの途中、再びスウェーデンのクラブに活躍の場を移すと素晴らしい活躍を見せ、93/94シーズンからはフランスに活躍の場を移す。
リールでは二桁得点を挙げる活躍を見せるとともに、抜群のポストプレーでチームに大きく貢献した。
94/95シーズンはフランスのカーンでプレーし、翌95/96シーズンからはイタリアに活躍の場を移す。
イタリアのバリに移籍した当初はイタリアのサッカーに馴染めなかったが、次第に本領を発揮する。
下位に沈むチームで自ら12ゴールを挙げ、得意のポストプレーでもチームに貢献。
もう1人のFWプロッティは、シーズン前には全くのノーマークであったが、アンデションという最強のポストプレーヤーを得たことによって、ゴールを量産。
24ゴールを挙げて得点王に輝いている。
翌96/97シーズンからは古豪ボローニャでプレー。
1部に復帰したチームで、攻撃の基準点として活躍。
ゴール数は8であったが、その数字以上にチームに貢献した。
97/98シーズン、ボローニャに似つかわしくない選手がやってくる。
スーパースター、ロベルト・バッジオである。
ACミランで苦渋を舐めた天才が、復活の場としてボローニャを選んだのである。
マッティオーラ監督は、バッジオとアンデションを前線に置き、2人に自由にプレーさせる。
バッジオはアンデションのポストプレーから次々とゴールを挙げ、数シーズン続いた不振に終止符を打つ。
アンデションも12ゴールを挙げる活躍を見せ、セリエA有数のセンターフォワードとしての評価を得るようになる。
翌98/99シーズン、ロベルト・バッジオはチームを去ったが、再びビッグプレーヤーがボローニャにやってくる。
3度の得点王に輝くストライカー、ジュゼッペ・シニョーリである。
シニョーリは97/98シーズン不振を極め、ボローニャに復活をかけていた。
ボローニャにやってきたシニョーリは「アンデションがいるからボローニャにやってきた」というコメントを残している。
シーズンが始まると、シニョーリとアンデションのコンビは冴えに冴え、シニョーリはゴールを量産。
アンデション自らのゴール数は減ったが、FWとしての評価は下がることはなかった。
99/00シーズンに、ボローニャの活躍が認められる格好で、当時栄華を誇ったラツィオに引き抜かれる。
しかし、コンスタントに活躍の場が与えられないことを知ったアンデションは、すぐにボローニャに復帰する。
このシーズンもシニョーリとのコンビで活躍したが、シーズン終了後にイタリアを後にしトルコに渡る。
00/01シーズンからは、トルコのフェネルバフチェにプレー。
トルコでもそのプレースタイルは健在で、ラパイッチと共に多くの得点を引き出し、自らも10ゴールを挙げチームの5シーズンぶりの優勝に大きく貢献。
01/02シーズンもレギュラーとしてプレーするが、年齢的な衰えからか、ポストプレーの絶対的強さがなくなり、ゴール数も5と減り、シーズン終了後に現役引退を発表した。
代表では83試合で31ゴールと、クラブチームとは違い高い得点率を誇っている。
94年のW杯では、当初レギュラーではなかったが、グループリーグでレギュラーの座を掴み、チームの3位に大きく貢献した。
この大会ではエースのダーリンとのコンビが冴え渡った。
ダーリンはポストプレーやおとりのプレーを得意としており、その動きを生かして5ゴールを挙げている。
高さだけではなく器用な足技からもゴールを挙げた。
ダーリンとアンデションの2トップで9ゴールを挙げ、大会屈指のコンビとなった。
ダーリンが代表を去りラーションと2トップに移行すると、クラブチームと同じくポストプレーヤーとして、チームに貢献する。
しかし、その後スウェーデンの成績は振るわなかった。
2000年の欧州選手権には出場するが、アンデションは怪我のため1試合にしか出場することができなかった。
しかし、その試合ではくさびのプレーからラーションの得点をアシストしている。
私が見た選手の中では、クライファートに並ぶ最強のポストプレーヤーだと思います。
本当にヘディングが強く、競り合いにも滅多に負けることはありませんでした。
自ら積極的にゴールを狙えばもっと数字を残せていたと思いますが、チームプレーに徹した選手です。
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