
【 ピエルルイジ カシラギ 】 182/78 1969-3-4
FW
| シーズン | 所属 | リーグ | 試合 | ゴール |
| 85 / 86 | モンツァ | Ita2 | 12 | 1 |
| 86 / 87 | モンツァ | Ita2 | 25 | 6 |
| 87 / 88 | モンツァ | Ita2 | 30 | 12 |
| 88 / 89 | モンツァ | Ita2 | 27 | 9 |
| 89 / 90 | ユベントス | Ita1 | 23 | 4 |
| 90 / 91 | ユベントス | Ita1 | 25 | 8 |
| 91 / 92 | ユベントス | Ita1 | 33 | 7 |
| 92 / 93 | ユベントス | Ita1 | 18 | 1 |
| 93 / 94 | ラツィオ | Ita1 | 26 | 4 |
| 94 / 95 | ラツィオ | Ita1 | 34 | 12 |
| 95 / 96 | ラツィオ | Ita1 | 28 | 14 |
| 96 / 97 | ラツィオ | Ita1 | 24 | 8 |
| 97 / 98 | ラツィオ | Ita1 | 28 | 3 |
| 98 / 99 | チェルシー | Eng1 | 10 | 1 |
| 99 / 00 | チェルシー | Eng1 | 0 | 0 |
| 00 / 01 | チェルシー | Eng1 | 0 | 0 |
| 計 | 343 | 90 |
ポストプレーと、前線での積極的な守備、そして恐れを知らぬ体当たりのプレーが持ち味のセンターフォワード。
決定力が飛びぬけて高い訳ではないが、前線で汗をかいてくれる貢献度の高い選手。
85/86シーズンに、2部のモンツァでプロデビューすると、その後着実に成長。
89/90シーズンには、その才能をいち早く見抜いたユベントスに引き抜かれる。
このシーズン、リーグ戦では4ゴールにとどまったが、UEFAカップでは、貴重な場面でゴールを挙げ、優勝に貢献した。
翌90/91シーズンからは、加入したロベルト・バッジオのパートナーとして活躍。
ゴールを量産することはできなかったが、前線の幅広い動きは高く評価された。
しかし92/93シーズンに、ジャンルカ・ヴィアリとファバッリオ・ラバネッリが加入したことによって、活躍の場が激減。
93/94シーズンからは出場機会を求めて、ラツィオに移籍する。
このシーズン、ドイツ代表のリードレが居たため、完全なレギュラーではなかったが、シニョーリのゴールラッシュを支える動きを見せた。
94/95シーズンからは、レギュラーとして定着。
すると今まで眠っていた得点感覚が開花する。
1部で自身初の二桁ゴールを挙げ、チームの上位躍進に貢献。
翌95/96シーズンは、自己最多となる14ゴールを挙げる活躍を見せ、イタリアを代表するセンターフォワードに成長した。
しかし、97/98シーズンにエリクソン監督が就任すると、控えに降格する。
ほとんどの出場が、途中出場になり、このシーズンを最後にイタリアを後にする。
98/99シーズンからは、ユベントス時代のチームメイトのヴィアリ率いるイングランドのチェルシーに移籍。
ヴィアリ監督はカシラギに大きな期待をかけていた。
しかし、シーズン序盤にGKと激突し靭帯損傷の大怪我を負ってしまう。
その後、手術を繰り返し、厳しいリハビリに励んだが、ピッチに戻る事はできす。
00年に現役を退いた。
イタリア代表としては、44試合で13ゴールの成績を残している。
91年に代表デビューすると、ポストプレー、前線での守備が評価され、サッキ監督のお気に入り選手として活躍した。
94年のW杯に出場したが、ゴールを挙げることはできず、ロベルト・バッジオのパートナーの座はマッサーロに奪われてしまった。
96年の欧州選手権にはレギュラーとして出場。
初戦のロシア戦では2ゴールを挙げる大活躍を見せたが、チームは不振でグループリーグで敗退した。
98年のW杯の出場をかけたプレーオフのロシア戦では、出場を決めるゴールを押し込み、イタリアをW杯に導いた。
しかし、W杯メンバーからは外れるという屈辱を味わう。
イタリア代表は、セレーナが引退しヴィアリがサッキ監督と犬猿の仲であったため、
前線で体を張れるセンターフォワードがカシラギしかいないという時期がありました。
その頃は、まだ結果を残していない選手だったので、批判の対象になっていましたが、その後、本当にイタリア代表に相応しい力を付けていきました。
イングランドでの活躍を期待していたのに、大怪我で引退してしまったのは、本当にもったいない。
まだまだ、これからの選手だっただけに。。。。