【 ヴァレリー カルピン 】 185/75 1969-2-2  MF



シーズン 所属 リーグ 試合 ゴール
86 Sport Tallinn U.S.S.R.1 10 1
87 Sport Tallinn U.S.S.R.1 15 0
88 CSKAモスクワ U.S.S.R.1 3 0
89 ファケル・ボロネジ U.S.S.R.1 25 7
90 スパルタク・モスクワ U.S.S.R.1 21 0
91 スパルタク・モスクワ U.S.S.R.1 28 3
92 スパルタク・モスクワ Rus1 25 7
93 スパルタク・モスクワ Rus1 30 13
94 スパルタク・モスクワ Rus1 12 5
94 / 95 レアル・ソシエダ Spa1 35 3
95 / 96 レアル・ソシエダ Spa1 37 13
96 / 97 ヴァレンシア Spa1 36 6
97 / 98 セルタ・ヴィゴ Spa1 37 4
98 / 99 セルタ・ヴィゴ Spa1 34 8
99 / 00 セルタ・ヴィゴ Spa1 34 6
00 / 01 セルタ・ヴィゴ Spa1 30 5
01 / 02 セルタ・ヴィゴ Spa1 33 3
02 / 03 レアル・ソシエダ Spa1 36 8
03 / 04 レアル・ソシエダ Spa1 38 7
04 / 05 レアル・ソシエダ Spa1 33 7
552 105

スピード感溢れるドリブルと、鋭いクロスを武器に右サイドからゲームを作ることができるプレイヤー。
主な戦場は右サイドであったが、ただのサイドアタッカーやウイングという感じの選手ではない。
卓越した戦術眼の持ち主でサイドからゲームメイクもできる非常に能力の高い選手。
また、強烈なシュートで多くのゴールを奪った。

85シーズンに、エストニアのSport Tallinnというクラブでトップデビュー。
90シーズンには名門スパルタク・モスクワに引き抜かれ、国内屈指のタレントとして成長していく。
加入してすぐにレギュラーに定着すると、モストボイ、シャリモフ、ラドチェンコ、ベスチャトニエフらと共に黄金期を築き、リーグ3連覇を達成。
その活躍は国外でも注目されるようになる。

94/95シーズン、スペインのレアル・ソシエダに移籍。
スペインでもその才能をいかんなく発揮。
95/96シーズンには13ゴールを挙げ、ベスト11にも選出され、強豪ヴァレンシアに引き抜かれることになる。
しかし、パフォーマンスが悪いものではなかったのだが、チーム状態が悪く成績は振るわず、わずか1シーズンでチームを後にする。

97/98シーズンには、セルタに移籍。
ここではロシア代表の盟友モストボイと共にプレー。
モストボイという最高のパートナーを得たカルピンは、素晴らしい活躍を見せる。

98/99シーズンから就任したフェルナンデス監督の元、リーグを席巻しチームを強豪へと成長させる。
セルタは他にもレヴィボやサンチェス、グスタポ・ロペス、マジーニョらの好タレントを擁し、攻撃サッカーを展開、
その攻撃的サッカーはヨハン・クライフも絶賛するほどのものであった。
カルピン自身もセルタでの活躍で、リーグ有数の選手として成長。
30歳を過ぎても、そのパフォーマンスは衰えず、それどころか更にプレーには磨きがかかっていった。
01/02シーズンを最後に、モストボイと共にセルタを退団。

古巣、レアル・ソシエダに復帰。
02/03シーズン、カルピンが加入したソシエダは開幕から素晴らしいパフォーマンスを見せる。
左のデ・ペドロ、右のカルピンの両サイドはリーグ随一の攻撃力を持ち、
そのサイドからの崩しによって2トップのコバチェビッチとニアトの凸凹コンビが爆発する。
レアリ・マドリードと終盤まで優勝争いをしたが、最後に力尽きた。

その後もレアル・ソシエダの看板選手として素晴らしい活躍をみせたのだが、04/05シーズン終了後、現役を引退した。


代表では72試合で15得点を挙げている。
チームの内紛で、多くの主力選手が辞退した94年のW杯に出場している。
02年のW杯にも出場。多くのタレントを抱えるロシアはダークホースとして挙げられていたが、
モストボイの怪我もあり、まさかにグループリーグ敗退に終わっている。

カルピンの動きが良かっただけに、残念。


安定感抜群の素晴らしい選手でした。
ビッグクラブでプレーすることがなかったので残念ですが、だからこそ長くプレーできたのかもしれません。
肘を広げて、背筋を伸ばした独特の姿勢で右サイドでプレーする姿は風格すら漂っていました。

まだまだ、現役を続ける力があっただけに、もう少しやってて欲しかった。