【 クリスチャン・カランブー (Christian Karembeu)】 183/76 1971-6-28 MF/DF
シーズン | 所属チーム | リーグ | 試合 | ゴール |
90 / 91 | ナント | Fra1 | 4 | 0 |
91 / 92 | ナント | Fra1 | 28 | 0 |
92 / 93 | ナント | Fra1 | 35 | 2 |
93 / 94 | ナント | Fra1 | 29 | 0 |
94 / 95 | ナント | Fra1 | 34 | 3 |
95 / 96 | サンプドリア | Ita1 | 32 | 5 |
96 / 97 | サンプドリア | Ita1 | 30 | 1 |
97 / 98 | レアル・マドリード | Spa1 | 16 | 0 |
98 / 99 | レアル・マドリード | Spa1 | 20 | 0 |
99 / 00 | レアル・マドリード | Spa1 | 15 | 0 |
00 / 01 | ミドルスブラ | Eng1 | 33 | 4 |
01 / 02 | オリンピアコス | Gre1 | 24 | 1 |
02 / 03 | オリンピアコス | Gre1 | 22 | 2 |
03 / 04 | オリンピアコス | Gre1 | 22 | 0 |
04 / 05 | Servette | Swi1 | 12 | 0 |
バスティア | Fra1 | 7 | 0 | |
計 | 359 | 18 |
爆発的なスピードと驚異的な運動量で、中盤を駆け巡ったニューカレドニアの韋駄天。
身体能力だけではなく、非常に視野が広く、戦術理解度も高い。
ボランチだけでなく、サイドハーフ、センターバック、サイドバックと多くのポジションをこなした。
多くのスター選手を輩出した、ナントの育成機関でサッカーを学び、90/91シーズンにトップデビューすると、
翌91/92シーズンからはデシャンの後を継いでボランチでレギュラーとして活躍。
その躍動感溢れるプレースタイルで国内有数のタレントとして知られるようになっていった。
94/95シーズン、ナントはウエデク、ロコ、マケレレ等のタレントを擁して、ぶっちぎりの優勝を果たす。
特にマケレレとカランブーの2人が組むダブルボランチは凄まじい運動量を誇り、チームを支えた。
その活躍が認められ、95/96シーズンからはイタリアのサンプドリアでプレーすることになる。
開幕から自慢のスピードと運動量で素晴らしい活躍を見せ、一気にヨーロッパで名を知られる存在になっていく。
96/97シーズンには、マンチーニ、ヴェロン、モンテッラらと共に、一時期は優勝争いに絡み、最終的には5位という好成績を残した。
そしてイタリアでの活躍が認められ、97/98シーズンからはレアル・マドリードに活躍の場を移すことになる。
しかし、レアル・マドリードのレギュラーの壁は厚かった。
特に中盤の底にはレドントという絶対的存在が君臨しており、付け入るスキは無かった。
カランブーはレギュラーとして活躍することはできなかったが、持ち前のユーティニティ性を生かし、中盤やDFの控えで、貴重な戦力として活躍する。
99/00シーズンまでの3シーズン所属し、リーグ優勝は果たせなかったが、97/98、99/00シーズンにCLで優勝を果たした。
00/01シーズンには、出場機会を求めイングランドのミドルスブラに移籍。
ここでは、水を得た魚のようにピッチ狭しと走り回り、本来の動きを取り戻した。
01/02シーズンからはギリシャのオリンピアコスに移籍。
ここでは、ジオバンニやジャンナコプロスらとともに活躍。
このシーズン、リーグ優勝を果たすと、翌02/03シーズンも優勝。連覇を果たし、その存在を再びアピールした。
04/05シーズンに、スイスのチームに移籍するが、シーズン途中でフランスに戻り、このシーズンのプレーを最後に引退した。
代表では53試合に出場している。
92年に初出場してから、01年までプレーした。
96年の欧州選手権では、レギュラーとして活躍。ベスト4進出の原動力となり、世界にその名を知らしめた。
しかし、98年のW杯では、プティに定位置を奪われ、控えとなってしまった。
その後もヴィエラの成長もあり、ほとんどを控えとして代表生活を送ったが、出場すると素晴らしい動きを見せた。
レギュラーとしての活躍は少ないながらも、フランス最強時代を語る上で欠かせない人物である。
自慢のドレッドヘアーをなびかせながら、ピッチを駆け巡る姿はまさに「野獣」とも言えるほどの迫力でしたが、
ピッチの外では紳士として知られ、故郷であるニューカレドニアを心から愛する穏やかな人物です。
彼が妻として射止めた相手はスーパーモデルとして知られる、アドリアーナ・スクレナリコバです。