【 ジョルジーニョ 】 176/69 1964-8-17
MF/DF
| シーズン |
所属チーム |
リーグ |
試合 |
ゴール |
| 83 |
America−RJ |
Bra1 |
8 |
0 |
| 84 |
America−RJ |
Bra1 |
12 |
0 |
|
フラメンゴ |
Bra1 |
- |
- |
| 85 |
フラメンゴ |
Bra1 |
12 |
0 |
| 86 |
フラメンゴ |
Bra1 |
21 |
1 |
| 87 |
フラメンゴ |
Bra1 |
15 |
1 |
| 88 |
フラメンゴ |
Bra1 |
7 |
0 |
| 89 |
フラメンゴ |
Bra1 |
- |
- |
| 89 / 90 |
バイヤー・レヴァークーゼン |
Dui1 |
20 |
2 |
| 90 / 91 |
バイヤー・レヴァークーゼン |
Dui1 |
30 |
2 |
| 91 / 92 |
バイヤー・レヴァークーゼン |
Dui1 |
37 |
5 |
| 92 / 93 |
バイエルン・ミュンヘン |
Dui1 |
33 |
3 |
| 93 / 94 |
バイエルン・ミュンヘン |
Dui1 |
24 |
2 |
| 94 / 95 |
バイエルン・ミュンヘン |
Dui1 |
10 |
1 |
| 95 |
鹿島アントラーズ |
Jap1 |
29 |
8 |
| 95 |
鹿島アントラーズ |
Jap1 |
26 |
2 |
| 97 |
鹿島アントラーズ |
Jap1 |
31 |
5 |
| 98 |
鹿島アントラーズ |
Jap1 |
17 |
2 |
| 99 |
サンパウロFC |
Bra1 |
13 |
1 |
| 00 |
ヴァスコ・ダ・ガマ |
Bra1 |
22 |
1 |
| 01 |
ヴァスコ・ダ・ガマ |
Bra1 |
6 |
1 |
| 02 |
フルミネンゼ |
Bra1 |
- |
- |
| 03 |
フルミネンゼ |
Bra1 |
- |
- |
名手の揃う歴代ブラジル代表の右サイドバックの中でも、1、2を争うとまでの評価を受ける選手。
DFでありながら、素晴らしい技術を持ち、キックの精度は素晴らしく多くの得点を演出した。
さらに、卓越した戦術眼で右サイドから長短のパスを繰り出しゲームを組み立ててしまう。
もちろんサイドバックとしてのオーバーラップのタイミングも抜群で、スタミナも兼ね備え、守備力も非常に高い。
14歳でアメリカというクラブで才能を磨く、元々はセンターバックとしてプレーしていたが、長身でないことからサイドバックに転向。
83シーズンに17歳でトップデビューを果すと、この年のワールドユースの代表に選ばれ準優勝を果した。
そして、翌84シーズンにはフラメンゴとヴァスコ・ダ・ガマが激しい争奪戦を繰り広げた末、フラメンゴへ移籍することとなる。
フラメンゴに加入するとすぐにレギュラーとして活躍するが、この頃には関節を痛め長い距離を走れないため、モーゼルと共にセンターバックも勤めることもあった。
86シーズンにリオ・デ・ジャネイロ州選手権で優勝すると、
翌87シーズンには、ベベット、ジーコ、ジーニョ、レオナルド、レナトらと共にブラジル全国選手権で優勝を果たし、この年に代表としてデビューする。
88年にはソウルオリンピック代表に選ばれ、ロマーリオらと共に活躍。
優勝は逃したが銀メダルに輝いている。
そして、クラブや代表での活躍が高く評価され、89/90シーズンにはドイツのバイヤー・レヴァークーゼンに移籍。
ブラジル時代には、右サイドバックまたはセンターバックでプレーしていたが、
当時のレヴァークーゼンの監督は才そのゲームを読む力や展開力を非常に高く評価しており、MFにコンバートする。
このコンバートには本人もかなり戸惑ったようだが、すぐにボランチとして機能し評価を高める。
クラブではMFを務めていたが、ブラジル代表では右サイドバックとして活躍し、向かえた90年W杯ではレギュラーとして活躍。
ブラジル代表は右のジョルジーニョ、左のブランコという抜群の破壊力を持つサイドバックを擁してしたが、
司令塔不在のチームであり、決勝トーナメント1回戦でマラドーナの前に敗れた。
その後、持ち前の高い戦術眼、抜群の守備力でブンデスリーガ屈指のボランチとなり、92/93シーズンには名門バイエルン・ミュンヘンに引き抜かれる。
バイエルン・ミュンヘンでも主にボランチとしてプレー。
93/94シーズンには4シーズン振りの優勝に大きく貢献した。
そして迎えた94年のW杯でも、不動の右サイドバックとしてピッチに立つ。
ライーの不調で、MFでブラジルらしさを見せることのできる選手がいなくなってしまったブラジルであったが、
右のジョルジーニョ、左のレオナルドが素晴らしい攻め上がりで攻撃を組み立てる。
オーバーラップだけではなく、両者は試合の随所で的確なサイドチェンジを行い、チームを活性化させた。
決して攻撃的なチームではなかったが、両サイドバックとロマーリオとベベットの2トップで素晴らしい攻撃を見せた。
決勝トーナメント1回戦でレオナルドが退場処分を受け出場停止となると、ますますジョルジーニョへの依存度が高まる。
ブラジルは順調に決勝に勝ち進み、決勝でイタリアと激突する。
しかし、この最高の舞台でジョルジーニョは前半20分に負傷により交代することになる。
交代によって出場したカフーは、自慢の突破と無尽蔵のスタミナで右サイドを駆け巡るが、
右サイドからの攻撃は一本調子になってしまいジョルジーニョ不在の穴は到底埋めることはできなかった。
ジョルジーニョを失ったブラジルは、単調な攻めに終始し、押し気味の試合を進めながらも、攻め手を欠きPK戦の末なんとか優勝を果たした。
W杯前には、抜群の人気を誇る右のカフーと左のブランコを起用せよとの声が、ブラジル国内で多く挙げられていたが、
皮肉にもこの2人が揃って出場した決勝戦で、ブラジル国民は改めてジョルジーニョとレオナルドの偉大さを実感することとなった。
W杯での活躍で世界No.1の右サイドバックとなったジョルジーニョであったが、
94/95シーズンのバイエルン・ミュンヘンでは、コスタディノフ、パパン、ズッターの加入により出場機会を失う。
このシーズンわずか10試合の出場にとどまり、このシーズンを最後にドイツを後にする。
フラメンゴ時代のチームメイトのジーコからの誘いを受け、鹿島アントラーズに移籍。
当時アントラーズにはブラジル代表のチームメイトのレオナルドが在籍しており、94年W杯の両サイドバックが揃う事となった。
とは言え、レオナルドはアントラーズでは本来のポジションであるOHを務め、ジョルジーニョはドイツ時代と同じボランチを主に務めた。
Jリーグでもそのポテンシャルを存分に発揮。
Jリーグではレオナルドと共にレベルの違いを見せつけ、圧倒的な存在感を放った。
アントラーズの王様となったジョルジーニョは、攻守共に完璧なプレーを見せ、在籍した4シーズンで多くのタイトルをもたらした。
しかし、98シーズンに監督との確執からチームを去ることとなった。
ジョルジーニョがJリーグを去って10年近く経つが「Jリーグ最強の助っ人」であったという声が多い。
99シーズンには、サンパウロFCにて11年ぶりにブラジルのクラブでプレー。
翌00シーズンには、ヴァスコ・ダ・ガマでプレー。
ロマーリオと共にチームを牽引し、全国選手権と国内カップの2冠に大きく貢献した。
その後、年齢による衰えから徐々に活躍の場を失い、02シーズンにはフルミネンゼに移籍。
そして、03シーズンのプレーを最後に20年にも渡る現役生活に別れを告げた。
ブラジル代表では64試合に出場し3ゴール挙げている。
まさに最強の右サイドバックでした。
彼がいるといないのでは試合の展開が全然違います。
後任として、カフーがブラジル代表のレギュラーとして長く君臨することになりますが、ジョルジーニョのレベルには達することはできませんでした。

