
【 ユーリ ジョルカエフ 】 178/72 1968-3-9
FW/MF
| シーズン | 所属チーム | リーグ | 試合 | ゴール |
| 84 / 85 | グルノーブル | Fra2 | 3 | 0 |
| 85 / 86 | グルノーブル | Fra2 | 6 | 0 |
| 86 / 87 | グルノーブル | Fra2 | 26 | 4 |
| 87 / 88 | グルノーブル | Fra2 | 19 | 8 |
| 88 / 89 | グルノーブル | Fra2 | 25 | 11 |
| 89 / 90 | グルノーブル | Fra2 | 3 | 0 |
| ストラスブール | Fra2 | 28 | 21 | |
| 90 / 91 | ストラスブール | Fra2 | 7 | 4 |
| ASモナコ | Fra1 | 20 | 5 | |
| 91 / 92 | ASモナコ | Fra1 | 35 | 14 |
| 92 / 93 | ASモナコ | Fra1 | 33 | 12 |
| 93 / 94 | ASモナコ | Fra1 | 34 | 20 |
| 94 / 95 | ASモナコ | Fra1 | 33 | 14 |
| 95 / 96 | パリSG | Fra1 | 35 | 13 |
| 96 / 97 | インテル | Ita1 | 33 | 14 |
| 97 / 98 | インテル | Ita1 | 29 | 8 |
| 98 / 99 | インテル | Ita1 | 25 | 8 |
| 99 / 00 | カイザースラウテルン | Dui1 | 25 | 11 |
| 00 / 01 | カイザースラウテルン | Dui1 | 26 | 3 |
| 01 / 02 | カイザースラウテルン | Dui1 | 4 | 0 |
| ボルトン | Eng1 | 12 | 4 | |
| 02 / 03 | ボルトン | Eng1 | 36 | 7 |
| 03 / 04 | ボルトン | Eng1 | 27 | 9 |
| 04 / 05 | ブラックバーン・R | Eng1 | 3 | 0 |
| 05 | MetroStars | Ame1 | 24 | 10 |
| 06 | New York Red Bulls | Ame1 | - | 3 |
ゲームメーカーとしても、得点源としても期待できるフランスの一時代を築いたプレイヤー。
テクニシャンでありがなら、運動量も多く守備もできる近代型のゲームメーカーである。
84/85シーズンにプロとしてデビューをするが、その後しばらく2部リーグでの生活が続く。
しかし、2部で着実に結果を残し、90/91シーズンの途中に1部リーグのASモナコに移籍。
そこで、ベンゲル監督と出会い偉大なプレイヤーとして成長していく。
1シーズン目から、ウェアやディアスらと共に攻撃陣をリード、見事国内カップで優勝を果たす。
翌91/92〜94/95までの4シーズンではタイトルには恵まれなかったが、
全てのシーズンで二桁得点を挙げ、93/94シーズンには見事得点王に輝いている。
95/96シーズンには名門パリSGに移籍し司令塔として活躍。
リーグ優勝は逃すも、カップウイナーズ・カップで優勝。
自身初のヨーロッパタイトルを獲得する。
そして、翌96/97シーズンにはイタリアのインテルに移籍。
ボスマン判決後のそのシーズン、インテルはサモラーノ、カヌ、スフォルツァ、ビンター、シメオネ、アングロマ等の有名選手を一気に獲得する。
しかし、ほとんどの選手が期待は外れと終わる中、1人気を吐き14ゴールを挙げる活躍を見せた。
97/98シーズンには、新しく加入してきた怪物ロナウドのパートナーを見事に務める。
自身のゴールは8であったが、ロナウドのゴールを数多く引き出した。
リーグでは、ユベントスとの優勝争いの末2位に終わるが、CL出場権を得る。
そして、UEFAカップでは見事優勝を飾る。
しかし翌98/99シーズンには、インテル得意の無計画な補強がたたり、チームは低迷することになる。
ジョルカエフは孤軍奮闘をするが、結局優勝争いに絡む事すらできなかった。
シーズン終了後、インテルを退団。
99/00シーズンにはドイツの古豪カイザースラウテルンに活躍の場を移す。
いきなり11ゴールを挙げて上位進出に貢献するが、その後は監督との確執もあり低迷する。
01/02シーズンの途中には心機一転、イングランドのボルドンに移籍し、かつての輝きを取り戻す。
常に降格の危機にあるチームで素晴らしいパフォーマンスを披露し、チームの残留の原動力となった。
04/05シーズンにはブラックバーンに移籍するが、監督に戦力として扱われず、シーズン途中でイングランドを後にし、アメリカに渡ってしまった。
37歳で挑んだアメリカでも活躍を見せるが、06シーズン終了をもって現役を引退した。
代表では82試合で28ゴールという素晴らしい成績を残している。
96年の欧州選手権では1人で攻撃陣を牽引し、準決勝進出を果たした。
98年の地元開催のW杯では、中心メンバーとして活躍、ジダンとのダブル司令塔で見事優勝。
00年の欧州選手権ではレギュラーではなかったものの、スーパーサブとして貴重なゴールを連発し、チームの優勝に大きく貢献した。
しかし最後の大舞台となった02年のW杯で負傷のジダンの代役としてプレーするが、まさかのグループリーグ敗退となっている。
試合中、厳しいマークが付こうが、とやかく言わずに自分のプレーに集中する姿は、強く印象に残っています。
5カ国でプレーし、いずれのリーグでも見事な結果を残しているのは、さすがです。
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