
【 アドリアン イリエ 】 177/72 1974-4-20
FW
| シーズン | 所属チーム | リーグ | 試合 | ゴール |
| 91〜92 | エレクトロエレト | Rom1 | 1 | 0 |
| 92〜93 | エレクトロエレト | Rom1 | 30 | 12 |
| 93〜94 | S・ブカレスト | Rom1 | 23 | 3 |
| 94〜95 | S・ブカレスト | Rom1 | 28 | 11 |
| 95〜96 | S・ブカレスト | Rom1 | 24 | 14 |
| 96〜97 | S・ブカレスト | Rom1 | 10 | 1 |
| ガラタサライ | Tur1 | 18 | 6 | |
| 97〜98 | ガラタサライ | Tur1 | 12 | 7 |
| ヴァレンシア | Spa1 | 17 | 12 | |
| 98〜99 | ヴァレンシア | Spa1 | 24 | 11 |
| 99〜00 | ヴァレンシア | Spa1 | 22 | 5 |
| 00〜01 | ヴァレンシア | Spa1 | 10 | 0 |
| テネリフェ | Spa1 | 10 | 3 | |
| 01〜02 | ヴァレンシア | Spa1 | 10 | 2 |
| 02〜03 | アラベス | Spa1 | 22 | 6 |
| 03〜04 | ベジクタシュ | Tur1 | 13 | 6 |
| 04〜05 | チューリッヒ | Swi1 | 23 | 7 |
| 計 | 297 | 106 |
スピード感溢れるドリブルをしたかと思えば、小刻みなドリブルも得意とし、シュートは強烈なものからテクニカルなものまで両足から放つことができる。
チャンスメーカーとしての才能も非凡で、サイドに流れるプレーを得意としていたし、スルーパスも出す事ができる。
その予測不能の鋭い動きから「コブラ」と呼ばれていたのは有名である。
しかし怪我に泣かされることが多かった。
91/92シーズンにエレクトロエレト(?)というチームでトップデビューすると、翌シーズンからレギュラーとして活躍。
93/94には名門ステアウア・ブカレストに引き抜かれると、94/95、95/96シーズンの連覇の立役者となり、
96年のルーマニアの最優秀選手にも選ばれた。
96/97シーズン途中に、トルコのガラタサライに移籍。
母国の英雄ハジとともに活躍すると、3シーズンぶりの優勝に貢献する。
翌97/98シーズンは怪我もあったが、素晴らしいパフォーマンスを披露。
その活躍が認められ、シーズン途中でスペインの強豪ヴァレンシアに引き抜かれることになる。
このシーズンのヴァレンシアはC・ロペス、ブラオビッチ、オルテガなどの優秀なタレントを揃えるも、
なかなか得点の取れないチームであった。
イリエはシーズン途中でチームに加入すると、17試合で12ゴールを挙げ、得点以外でも素晴らしいプレーを連発し、驚異的な活躍を見せる。
レアル・マドリードが獲得に動き出したほどの活躍だった。
98/99シーズンはC・ロペス、メンディエタとともにヴァレンシアの主役になる。
組織化された鋭いカウンターで、バルセロナやレアル・マドリードを次々と撃破し、リーグ3位の好成績を残し、
見事チャンピオンズリーグの出場権を得る。
しかし、翌99/00シーズンからは、当時監督であったクーペルが、C・ロペスをワントップにした戦術を採用したため、出場機会が減ってしまう。
チームはチャンピオンズリーグ決勝に進出するという偉業を成し遂げるが、出場機会は限られていた。
(このころから怪我が多くなる)
00/01シーズン途中にはテネリフェに一時レンタル移籍をするが、完全復活とはいかず、01/02シーズンから再びヴァレンシアでプレーする。
このシーズンイリエは開幕から出場機会は限られていたが、素晴らしい動きをみせていた。
チームはレアル・マドリードと優勝争い演じ、直接対決を向かえ、この大事な一戦にイリエは出場。
イリエは試合後半に、オフサイドラインを抜け、GKの動きをよく見た見事なヘディングシュートを決めるが、
非常に不可解な判定により、このゴールは取り消されてしまう。(後に主審が誤審であったことを認める)
この一戦に勝利できなかったヴァレンシアは、結局優勝を逃してしまう。
もし、あのゴールが認められていれば、イリエはヴァレンシアの英雄になっていたかもしれない。
結局このシーズンを最後にヴァレンシアを退団。
02/03シーズンにはアラベスでプレーするが、怪我のため本来のプレーすることができず、チームも2部に降格。
03/04シーズンは所属チームが決まらず、半年間浪人。
シーズン途中にトルコのベジクタシュに移籍し、活躍を見せたが、シーズン終了後にチームを退団。
04/05シーズンも怪我と戦いながら、スイスのチューリッヒでプレーし続けたが、シーズン終了後に31歳の若さで現役を引退した。
代表ではクラブ以上の活躍を見せた。
ドミトレスク、ラドチョウの後、モルドバンと共に欧州屈指の2トップを形成。
55試合で13ゴールと得点は少なかったが、抜群の存在感を見せた。
98年のW杯にチームのエースとして大会に挑み、グループリーグのコロンビア戦では素晴らしいループシュートを決めている。
さらにイングランド戦では、レベルの高いパフォーマンスを披露、チュニジア戦では途中出場でモルドバンの得点をアシストしている。
しかし、決勝トーナメント1回戦でクロアチアと対戦し、1対0で敗れた。
00年の欧州選手権では、クラブでの不振とは逆に素晴らしいプレーを見せる。
しかし、カード累積のため決勝トーナメントのイタリア戦に出場できず、チームは敗退した。
ヴァレンシアに移籍してきた時の活躍は、本当に衝撃的でした。本当に誰も止められないという感じでした。
その後クーペルがイリエを使おうとしなかったことが本当に残念です。
イリエ、ドミトレスク、ハジ、ペトレスクが代表を去ってから、ルーマニアって本当に勝てないチームになってしまいました。