【 ピエール ファン ホーイドンク 】 193/88 1969-11-29  FW



シーズン 所属チーム リーグ 試合 ゴール
89 / 90 RBC Net2 32 6
90 / 91 RBC Net2 37 27
91 / 92 NAC Net2 35 20
92 / 93 NAC Net2 33 26
93 / 94 NAC Net1 31 25
94 / 95 NAC Net1 16 10
セルティック Sco1 14 4
95 / 96 セルティック Sco1 34 26
96 / 97 セルティック Sco1 21 14
ノッティンガム・フォレスト Eng1 8 1
97 / 98 ノッティンガム・フォレスト Eng2 40 27
98 / 99 ノッティンガム・フォレスト Eng1 21 6
99 / 00 フィテッセ Net1 29 25
00 / 01 ベンフィカ Por1 30 17
01 / 02 フェイエノールト Net1 33 24
02 / 03 フェイエノールト Net1 28 28
03 / 04 フェネルバチェフ Tur1 34 27
04 / 05 フェネルバチェフ Tur1 19 8
05 / 06 NAC Net1 17 5
フェイエノールト Net1 11 3
06 / 07 フェイエノールト Net1 26 5
  計 549 334

長身生かした豪快なヘディングを得意とし、非常に長い足を生かしたボールキープで前線の攻撃の基点ともなった。
また、足元の技術も確かなものを持っており、単なる大型CFというわけではなく、ゴールパターンは非常に豊富。
そして、特筆すべきは右足から放たれるフリーキックである。
そのフリーキックはスピード、精度、変化の全てにおいて超一流で、最盛期には世界No.1のフリーキッカーとの呼び声さえあったほどである。

チームメイトとはいい関係を築くのだが、多くのチームで監督やフロントと衝突した経歴を持ち、様々なチームを渡り歩いた。

89/90シーズンに、RBCという2部のクラブと契約し、プロとしての第一歩を踏み出す。
経済的に厳しいクラブ状態であったため、若手中心のメンバーで戦う事となっていたため、すぐにチャンスが巡ってくる。
1シーズン目は6ゴールを挙げ、翌シーズンには27ゴールを挙げたる。
その活躍で多くの1部チームからのオファーが舞い込む。

しかし、ホーイドンクは小さい頃からの憧れのチームであった当時2部所属であったNACと契約を交わす。
92/93シーズンには26ゴールを挙げ、自らの力でチームを1部に昇格させた。

93/94シーズン、初挑戦となった1部の舞台でもその得点力を発揮。
いきなり25ゴールを挙げると、翌94/95シーズンも開幕から順調にゴールを量産する。
すると、シーズン途中にスコットランドの名門セルティックからのオファーが舞い込み、すぐにスコットランドに渡ることを決意する。

95年の年明けにセルティック加入したホーイドンクであったが、レギュラーとして起用されることなく4ゴールという寂しい結果に終わった。
しかし、国内カップ決勝では、決勝ゴールを挙げタイトルから遠ざかっていたセルティックに、久々のタイトルともたらした。

95/96シーズンからは、開幕からレギュラーとして活躍。
リーグ優勝は逃すが、26ゴールを挙げエースストライカーとしての役割を果たし、サポーターから絶大な支持を得るようになる。
96/97シーズンもエースとしての活躍が期待されたが、フロントとの関係が悪化し、シーズン途中でイングランドのノッティンガム・Fに移籍。

低迷していたノッティンガム・Fでは、救世主として期待されていたが、1ゴールしか挙げられずチームは2降格。
97/98シーズン、ノッティンガム・Fに残り2部でのプレーを選択する。
そして、ホーイドンクは27ゴールを挙げ2部リーグ得点王に輝き、チームをわずか1年で1部の舞台に引き戻した。

98/99シーズン、1部での活躍が期待されたホーイドンクであったが、起用法を巡り監督と衝突。
監督はホーイドンクを最後までレギュラーとして使うことはなく、チームは再び降格した。

その後、オランダに戻りフィテッセでプレー。翌シーズンにはポルトガルのベンフィカにプレーした。
いずれのチームでも得点王争いに絡む素晴らしい成績を残すが、各チームで1シーズンしかプレーしなかった。

00/01シーズンには、長年の活躍が評価され、オランダの名門フェイエノールトに迎えられる。
フェイエノールトではトマソンとコンビを組み多くのゴールを挙げる。
シーズン24ゴールを挙げ、トップリーグで初の得点王に輝く。

01/02シーズンも快調にゴールを量産。
その勢いはオランダ国内だけでなく、ヨーロッパの舞台でも発揮される。
UEFAカップではPSV、インテル、レンジャースという強豪を次々と破り、決勝では自らの2ゴールでボルシア・ドルトムントを沈め優勝を果たした。
この大会でホーイドンクは得点王に輝くと共に、大会MVPにもなっている。

その後もフェイエノールトで活躍すると思われたが、給料の問題でクラブと対立し、再びオランダを後にする。

02/03シーズンにはトルコのフェネルバフチェでプレー。
トルコでも再びゴールを量産し、リーグ2位となる27ゴールを挙げている。
しかし、翌03/04シーズンには再び監督と衝突。
チームは念願のリーグ優勝を果たすが、ダウム監督と衝突したホーイドンクはシーズン途中からレギュラーを外され、シーズン終了後には古巣のNACに復帰する。

しかし、NACでも起用法を巡り監督と衝突・・・・・
シーズン途中でフェイエノールトに復帰する。

フェイエノールトでは年齢のためフルでの活躍はできなかったが、貴重な戦力として活躍した。
06/07シーズン途中に「若い選手との試合に対する意識の差を感じたため、シーズン終了後に引退する」と発表。
最終節で途中出場すると、試合中に感極まり男泣き。
サポーターからは惜しみない拍手が送られ、ピッチに別れを告げた。


代表としては46試合で14ゴールの成績を残している。

オランダ代表のエースとしても活躍できる実力を持っていたが、
同時代にベルカンプ、クライファート、マカーイ、ハッセルバイング、ファン・ニステルローイという世界的なFWがいたため、活躍の場は限られていた。
クラブでは起用法を巡り監督と衝突を繰り返したが、代表では他のFWの実力を認めており、サブとしての役割に徹した感がある。

98年のW杯では、スーパーサブとして活躍。
ヒディング監督も「ホーイドンクはオランダの秘密兵器」と発言している。
大会では韓国戦の1得点のみで終わったが、試合終盤の投入された際のパワープレーは強烈な印象を残した。

代表での多くは途中出場であったにも関わらず、14ゴールも挙げており、いかにホーイドンクの決定力が高かったかを物語っている。


この選手のFKはもしかしたら、ミハイロビッチやゾラやヘスラーを超えるかもしれない凄まじいものでした。
とにかく速くて、よく曲がりました。
そしてなにより安定感が高く、大きく外すことはほとんどなく、まさしく脅威そのものでした。