【 アンドレアス ヘルツォーク 】 183/80 1968-9-10  MF



シーズン 所属 リーグ 試合 ゴール
87 / 88 First Vienna Aus1 7 3
ラピト・ウィーン Aus1 5 0
88 / 89 ラピト・ウィーン Aus1 34 8
89 / 90 ラピト・ウィーン Aus1 27 8
90 / 91 ラピト・ウィーン Aus1 30 6
91 / 92 ラピト・ウィーン Aus1 33 11
92 / 93 ヴァルダー・ブレーメン Dui1 33 10
93 / 94 ヴァルダー・ブレーメン Dui1 30 6
94 / 95 ヴァルダー・ブレーメン Dui1 31 10
95 / 96 バイエルン・ミュンヘン Dui1 28 2
96 / 97 ヴァルダー・ブレーメン Dui1 29 15
97 / 98 ヴァルダー・ブレーメン Dui1 18 4
98 / 99 ヴァルダー・ブレーメン Dui1 27 3
99 / 00 ヴァルダー・ブレーメン Dui1 27 7
00 / 01 ヴァルダー・ブレーメン Dui1 32 2
01 / 02 ヴァルダー・ブレーメン Dui1 9 1
ラピト・ウィーン Aus1 12 1
02 / 03 ラピト・ウィーン Aus1 29 3
04 Los Angeles Galaxy U.S.A.1 27 4
468 104

ポルスターと共に80年代後半から90年代にかけて活躍した、オーストリアが誇るワールドクラスのゲームメーカー。
大柄であるが、足元の技術に絶対の自信を持っており、左足から放たれるスルーパスで多くのゴールを演出すると共に、自らも多くのゴールを挙げた。
FKの名手でもあり、そのFKは驚異的な精度と威力を誇った。
「アルプスのマラドーナ」と言われたそうだが、プレースタイルは全然違う。

87/88シーズンにFirst Viennaというクラブでトップデビュー。
シーズン途中にはその才能を買われて、名門ラピド・ウイーンに引き抜かれる。
このシーズンの優勝にわずかながら貢献。

88/89シーズンからレギュラーに定着する。
オーストリア随一のテクニシャンとしてチームを操り、数多くの勝利に貢献はした。
しかし91/92シーズンまでラピド・ウイーンでプレーするもタイトルには恵まれなかった。

92/93シーズンには、ドイツの名門ヴァルダー・ブレーメンに移籍する。
ブレーメンでもすぐに司令塔に定着し、チームを完全に掌握する。
このシーズン、ルーファーやボーデらと共に素晴らしいサッカーを繰り広げる。
ゲームメイクだけではなく、自らも10ゴールを挙げ5シーズンぶりのリーグ優勝の原動力となった。

その後もブレーメンの攻撃を牽引。チームの象徴的な存在となる。
94/95シーズンには得点王になったバスラーと共にボルシア・ドルトムントと優勝争いを繰り広げる。
優勝は逃したが、このシーズンの活躍が認められる格好でバイエルン・ミュンヘンに引き抜かれることとなった。

95/96シーズン、スター軍団バイエルン・ミュンヘンに加入し、開幕からの数試合は好調ぶりをアピールし攻撃の中心となり活躍した。
しかし、徐々に個性的なチームメイトと動きが合わないようになり、活躍の場を失っていく。
結局シーズン終盤にはベンチが定位置となってしまった。
チームはUEFAカップで優勝はしたが、このタイトルに貢献したとは言えない。

96/97シーズンにはブレーメンに復帰。
バイエルン・ミュンヘンでの鬱憤を晴らすかのように、このシーズン驚異的なパフォーマンスを見せる。
チームは上位に食い込むことはできなかったが、自身15ゴールを挙げる活躍を見せた。

その後、01/02シーズンと途中までブレーメンで司令塔としてプレーするが、タイトルは98/99シーズンのドイツカップのみで、あまりタイトルには恵まれていない。

01/02シーズンには、古巣ラピド・ウイーンに復帰。
2シーズンプレーした後、アメリカのロサンゼルスで1シーズンプレーして現役を引退した。


代表では103試合に出場し26ゴールを挙げている。
オーストリア代表として100試合出場を達成した唯一の人物。
90年のW杯では21歳の若さで司令塔としてプレーしたが、いいところなくグループリーグで敗退した。

98年のW杯では、イタリア戦でPKによりW杯初ゴールを記録しているが、またもやグループリーグで敗退している。


ラストチャンスであった02年W杯の欧州予選では、最終戦のロスタイムでFKを決めオーストリアをプレーオフに導いた。
しかし、プレーオフでトルコに破れ本大会出場を逃している。


ポルスターもそうですが、もしオーストリアでなければ国際舞台でもかなりの成績を残せていたと思います。
ブレーメン移籍した当初はベッケンバウアーと比較されるほど騒がれました。

優雅なゲームメーカーですが、割と守備でも頑張ってくれる一面を持っています。
ブレーメンのゲームメーカーはその後、ミクー、チエゴと引き継がれていきます。