【 ハカン・シュクル (Hakan Sukur)】 191/81 1971-9-1 FW
シーズン | 所属 | 国 | 試合 | ゴール |
87 / 88 | Sakaryaspor | Tur1 | 6 | 4 |
88 / 89 | Sakaryaspor | Tur1 | 11 | 6 |
89 / 90 | Sakaryaspor | Tur1 | 21 | 9 |
90 / 91 | Bursaspor | Tur1 | 17 | 4 |
91 / 92 | Bursaspor | Tur1 | 27 | 7 |
92 / 93 | ガラタサライ | Tur1 | 30 | 19 |
93 / 94 | ガラタサライ | Tur1 | 27 | 16 |
94 / 95 | ガラタサライ | Tur1 | 33 | 19 |
95 / 96 | トリノ | Ita1 | 5 | 1 |
ガラタサライ | Tur1 | 25 | 17 | |
96 / 97 | ガラタサライ | Tur1 | 32 | 27 |
97 / 98 | ガラタサライ | Tur1 | 34 | 32 |
98 / 99 | ガラタサライ | Tur1 | 33 | 19 |
99 / 00 | ガラタサライ | Tur1 | 32 | 14 |
00 / 01 | インテル | Ita1 | 24 | 5 |
01 / 02 | パルマ | Ita1 | 15 | 3 |
02 / 03 | ブラックバーン | Eng1 | 9 | 2 |
03 / 04 | ガラタサライ | Tur1 | 28 | 12 |
04 / 05 | ガラタサライ | Tur1 | 33 | 18 |
05 / 06 | ガラタサライ | Tur1 | 31 | 10 |
06 / 07 | ガラタサライ | Tur1 | 26 | 4 |
07 / 08 | ガラタサライ | Tur1 | 28 | 11 |
計 | 527 | 259 |
近年多くのトルコ人選手がヨーロッパの各リーグで活躍し、代表もヨーロッパでも一目を置かれる存在となっている。
しかし、90年代半ばまではそんなことはとても考えられなかった。
そんな概念をぶち破ったのがこのハカン・シュクルである。
長身を生かした圧倒的なパワープレーを得意とする典型的なセンターフォワードで、足元の技術にも優れ、ポストプレーでは無類の強さを発揮する。
しかし、プレースタイルに柔軟さがなく、トルコ国内でのスタイルを貫き通したため、国外では成功を収めることはできなかった。
もし、適応力が高ければ、能力的にはヨーロッパ指折りのセンターフォワードになっていた可能性は高い。
トルコではガラタサライで3回の得点王に輝き、8度のリーグ優勝に貢献している。
96/97シーズンに加入したゲオルゲ・ハジとの連携は素晴らしく、ハジが加入してからは大幅にプレーの幅が広がり、選手として大きく成長を見せる。
99/00シーズンには、ハジと共にヨーロッパの強豪を次々と破り、UEFAカップ優勝を遂げている。
これはトルコのクラブとしては初めてとなるヨーロッパタイトルであり、このタイトル獲得で、ガラタサライだけでなくトルコの英雄となった。
しかし、トルコ国内での活躍からすると、国外のリーグでの活躍は余りにも寂しい内容となっている。
初の海外挑戦となった95/96シーズンのトリノでは、わずか5試合出場しただけで、ホームシックで帰国。
2度目の挑戦では名門インテルに移籍。随所に実力を発揮はしたが、あまりにもパワープレーに頼ったスタイルはイタリアでは通用せず、翌シーズンのパルマでも同じ結果となった。
02/03シーズン、イングランドのブラックバーン・Rにガラタサライ時代の恩師に誘われ移籍をするが、椎間板ヘルニアの影響で、ここでも期待通りの活躍を見せることはできなかった。
代表としては112試合に出場し、51ゴールを挙げるという凄まじい成績を残している。
それまでメジャー大会に縁の無かったトルコを96年の欧州選手権の本戦に導いたが、本大会ではノーゴールに終わり、チームもいいところなくグループリーグ敗退となった。
00年の欧州選手権では、グループリーグ突破を懸けた、開催国のベルギーとの対戦でゴールキーパーに競り勝ちヘディンゴールを決め、チームのベスト8進出の原動力となった。
2002年のW杯欧州予選でも不動のエースとして活躍、トルコを48年ぶりとなる本大会に導いた。
本大会でもエースとして君臨。
なかなかゴールを挙げることはできなかったが、攻撃の軸として準決勝進出に大きく貢献。
準決勝ではブラジルの前に涙を飲んだが、3位決定戦では試合開始11秒で悲願の初ゴールを挙げている。
ちなみのこれはW杯史上最速ゴールとして記録されている。