
【 ポール ガスコイン 】 178/74 1967-5-27
MF
| シーズン | 所属 | リーグ | 試合 | ゴール |
| 84 / 85 | ニューカッスル・U | Eng1 | 2 | 0 |
| 85 / 86 | ニューカッスル・U | Eng1 | 31 | 9 |
| 86 / 87 | ニューカッスル・U | Eng1 | 24 | 5 |
| 87 / 88 | ニューカッスル・U | Eng1 | 35 | 7 |
| 88 / 89 | トットナム・H | Eng1 | 32 | 6 |
| 89 / 90 | トットナム・H | Eng1 | 34 | 6 |
| 90 / 91 | トットナム・H | Eng1 | 26 | 7 |
| 91 / 92 | トットナム・H | Eng1 | 0 | 0 |
| 92 / 93 | ラツィオ | Ita1 | 22 | 4 |
| 93 / 94 | ラツィオ | Ita1 | 17 | 2 |
| 94 / 95 | ラツィオ | Ita1 | 4 | 0 |
| 95 / 96 | G・レンジャース | Sco1 | 28 | 14 |
| 96 / 97 | G・レンジャース | Sco1 | 26 | 13 |
| 97 / 98 | G・レンジャース | Sco1 | 20 | 3 |
| ミドルスブラ | Eng2 | 7 | 0 | |
| 98 / 99 | ミドルスブラ | Eng1 | 26 | 3 |
| 99 / 00 | ミドルスブラ | Eng1 | 8 | 1 |
| 00 / 01 | エヴァートン | Eng1 | 14 | 0 |
| 01 / 02 | エヴァートン | Eng1 | 18 | 1 |
| 02 | Gansu Tianma | Cha? | - | - |
| 03 | Ningbo Yaoma | Cha? | - | - |
| 03 / 04 | Boston United | Eng4 | 4 | 0 |
| 計 | 374 | 81 |
80年代後半から90年代中期のイングランドを代表するスーパースター。
オーソドックスなプレースタイルの選手が多いイングランドの中で、異彩を放った天才中の天才。
華麗なテクニックと、圧倒的な創造力を持ち、独特なステップから繰り出されるドリブルと、天才的なパスでゴールを演出した。
簡単に転んでしまうイメージが強いが、実は抜群のボディバランスの持ち主で、勝負どころでは粘り強いプレーも見せる。
後世に語り継がれるであろう天才ではあるが、もう一つ語り継がれる一面がある。
それは、イングランドサッカー史上、最強の問題児であるということである。
ピッチの内外で常に多くの問題を起こし、ついにはサッカーでの成功を全て失ってしまった。
地元チームのニューカッスル・Uのユースチームに、13歳で入団。
その4年後の84/85シーズン、17歳の若さでトップデビューを果たす。
翌85/86シーズンからは、レギュラーに定着する。
87/88シーズンには、リーグ最優秀選手に選ばれると、ベナブルス監督からの誘いを受け、88/89シーズンにトットナムに移籍。
トットナムでは、当時イングランド最高のストライカーであったリネカーとコンビを組み、さらに評価を高める。
代表では88年にデビューすると、90年のW杯でレギュラーとして出場。
イングランド選手らしからぬ素晴らしいドリブルとパスでチームにアクセントを付け、快進撃の原動力となる。
準決勝では西ドイツにPK戦で破れてしまうのだが、ガスコインはプレーだけではなく、自らの感情をピッチ上でさらけだし、その憎めないキャラクターは世界中のサッカーファンを虜にした。
トットナムではリネカーらと共に、素晴らしいサッカー展開したが、念願のリーグ優勝には手は届かなかった。
90/91シーズンには、唯一のタイトルとなるFA杯を制するのだが、その決勝の舞台で大怪我を負ってしまうこととなった。
怪我の影響で1年近くプレーできなくなり、さらに91/92シーズン終了後には、チーム事情の影響からイタリアのラツィオに移籍することとなる。
ラツィオでは移籍当初は、トップフォームを取り戻すことは出来ず苦しむ。
しかし、徐々に体調を整え、イタリアの水にも慣れてくると素晴らしいパフォーマンスを披露。
エースストライカーのシニョーリに多くの素晴らしいパスを送り、また、素晴らしいドリブルからゴールを決めるなどの活躍を見せ、ラツィオ有数の人気者となった。
その後のラツィオでの活躍が期待されたが、度重なる故障で活躍することはできなかった。
94年のW杯予選でも、故障の影響で思うような活躍を見せることはでず、非常にチーム状態の悪かったイングランドは、欧州予選で敗退した。
94/95シーズン途中には、ガスコインは体を見事に絞り上げ、素晴らしい状態でチームに復帰。
しかし、オランダ人MFからレギュラーの座を奪い返すことができず、このシーズンを最後にイタリアを去った。
95/96シーズンからは、スコットランドのグラスゴウ・レンジャースでプレー。
ここで、かつての天才と呼ばれた男は完全復活を果たす。
マッコイスト、デューリーの2トップを華麗に操り、自らも14ゴールを挙げ、自身初のリーグ優勝を果たす。
異次元の活躍を見せたガスコインはシーズン最優秀選手にも選ばれた。
そして、最高の状態で96年の母国開催となった欧州選手権を迎える。
当時のイングランド代表の監督であったベナブルスは、トットナム時代からガスコインを理解できる数少ない存在であった。
ベナブルスはガスコインができるだけ気分良くプレーできるよう、合宿中でも気分転換のため、気の合うチームメイトと好きな釣りに行かせるなどの特別扱いをした。
そして大会が開幕する時には、バイオリズムは最高潮に達していた。
大会が開幕すると、ガスコインは見る者全てを魅了した、華麗なドリブルと、絶妙のパスでチームをリードする。
ガスコインの好調に触発され、眠れる大砲アラン・シアラーも目を覚まし、イングランドは快進撃を見せる。
グループリーグでのスコットランドとの因縁の対戦という大舞台では、ペナルティエリア近くで鮮やかなボールコントロールで、DFを交わしゴールを決め、このゴールは大会No.1ゴールとなった。
さらに同じくグループリーグのオランダ戦では、巧みなパスでチームを操り、イングランドを4対1という歴史的な大勝に導いた。
快進撃を進めるイングランドとガスコインであったが、準決勝に立ちはだかったのは、90年W杯と同じくドイツであった。
好調イングランドも、百戦錬磨のドイツには苦戦を強いられ、PK戦にもつれこんだ。
そしてここでも、イングランドは90年のW杯と同じくドイツにPK戦の末敗れた。
96/97シーズン、スコットランドリーグはまたもや、ガスコインの独壇場であった。
ブライアン・ラウドルップと組んだ攻撃陣は抜群の威力を発揮した。
レンジャースは連覇を達成。ガスコインはレンジャースの英雄となった。
しかし、その後ガスコインは急速に力を落としていくことになる。
97/98シーズン途中でイングランドに復帰するが、数年前の絞り上げた素晴らしい肉体は無く。
ブヨブヨの贅肉をまとった体になっていた。
イングランドに復帰してからは、ミドルスブラとエヴァートンに在籍したが、精彩は欠き、ラフプレーやその他の騒ぎで目立つだけの問題人物となってしまった。
急激なパフォーマンスの低下の原因は、アルコール依存症であった。
そしてその後もアルコールから抜け出すことはできなかった。
02シーズンには、中国のチームに移籍したが、あまり試合には出場することはなかったようだ。
03/04シーズンには、イングランドの4部のチームに、監督兼選手として復帰する。
しかし、それも長続きせず・・・・・・
その後、特に引退などという発表はしていないようだが、事実上、サッカー界から姿を消した。
代表としては57試合に出場し、10ゴール挙げている。
その後のガスコインの人生は転落の一途を辿る。
2008年の5月には自殺未遂というショッキングなニュースが流れた。
その自殺未遂の直前には、街で物乞いをしていたとまで言われている。
彼が全盛期の頃、毎晩のように英国の有名歌手達とドンチャン騒ぎしていたそうです。
その頃一緒に飲んでた人は、転落した彼を見てなんて思ってるんですかね・・・?