【 フラン 】 175/72 1969-7-14
MF
| シーズン |
所属チーム |
リーグ |
試合 |
ゴール |
| 87 / 88 |
Fabril |
Spa |
- |
- |
| 88 / 89 |
ディポルティボ・ラ・コルーニャ |
Spa2 |
37 |
1 |
| 89 / 90 |
ディポルティボ・ラ・コルーニャ |
Spa2 |
36 |
5 |
| 90 / 91 |
ディポルティボ・ラ・コルーニャ |
Spa2 |
37 |
7 |
| 91 / 92 |
ディポルティボ・ラ・コルーニャ |
Spa1 |
38 |
3 |
| 92 / 93 |
ディポルティボ・ラ・コルーニャ |
Spa1 |
38 |
7 |
| 93 / 94 |
ディポルティボ・ラ・コルーニャ |
Spa1 |
37 |
5 |
| 94 / 95 |
ディポルティボ・ラ・コルーニャ |
Spa1 |
36 |
7 |
| 95 / 96 |
ディポルティボ・ラ・コルーニャ |
Spa1 |
33 |
3 |
| 96 / 97 |
ディポルティボ・ラ・コルーニャ |
Spa1 |
25 |
0 |
| 97 / 98 |
ディポルティボ・ラ・コルーニャ |
Spa1 |
35 |
4 |
| 98 / 98 |
ディポルティボ・ラ・コルーニャ |
Spa1 |
32 |
6 |
| 99 / 99 |
ディポルティボ・ラ・コルーニャ |
Spa1 |
22 |
1 |
| 00 / 01 |
ディポルティボ・ラ・コルーニャ |
Spa1 |
27 |
2 |
| 01 / 02 |
ディポルティボ・ラ・コルーニャ |
Spa1 |
25 |
5 |
| 02 / 03 |
ディポルティボ・ラ・コルーニャ |
Spa1 |
28 |
1 |
| 03 / 04 |
ディポルティボ・ラ・コルーニャ |
Spa1 |
31 |
1 |
| 04 / 05 |
ディポルティボ・ラ・コルーニャ |
Spa1 |
29 |
1 |
| 計 |
|
|
546 |
58 |
スピードは無いが、素晴らしいテクニックの持ち主で、左サイドから多くのチャンスを作り出した。
特有のテンポのドリブルと、精度の高いクロスで長岐に渡りディポルティボ・ラ・コルーニャの左サイドに君臨。
また、チーム事情によりトップ下やセンターハーフもそつなくこなした。
ディポルティボ・ラ・コルーニャの歴史は、この偉大なキャプテン、フランと共にあると言っても過言ではない。
87/88シーズン、Fabrilというクラブでプロデビューすると、翌シーズン、ディポルティボ・ラ・コルーニャに移籍する。
今でこそディポルティボ・ラ・コルーニャはスペインの強豪として認識されているが、この当時は1部に昇格したことすらないチームであった。
敏腕会長のレンドイロが就任し、フランか加入してからチームは着実に力を付けていく。
90/91シーズン、チームの中心選手として活躍。ジュキッチを中心とした堅守と、フランを中心とした攻撃がかみ合い、見事1部昇格を果たした。
92/93シーズン、ディポルティボ・ラ・コルーニャはベベットとマウロ・シルバという2人のブラジル人を獲得する。
ここらから、フランとディポルティボ・ラ・コルーニャの快進撃が始まる。
ベベットはフランからの多くのアシストを受けゴールを量産。
また、マウロ・シルバとフランを中心とした中盤はリーグ屈指の完成度を誇り、チームは好成績を残す。
93/94シーズンには、リーグ序盤から好調を維持し、FCバルセロナと優勝争いを繰り広げる。
そして最終節を1ポイント差の1位で挑んだ。
試合は同点で後半の終盤に入り、そこでPKのチャンスを得たのだが、優勝をかけたPKということで、ベベットとフランはそのキッカーを拒否。
仕方なしに蹴ったジュキッチのキックはゴールマウスを外れ、優勝を逃してしまった。
(シーズン終了後、ジュキッチは追われるように、チームを離れる)
しかし、このシーズンの活躍によって、フランはスペイン有数の選手として認識されるようになる。
94/95シーズンには、国内カップを制し、フランにとっても、チームにとっても初のタイトルを獲得する。
その後、毎シーズンのように好パフォーマンスを披露。
チームの象徴として活躍するが、チームは過渡期に入り一時低迷する。
しかし、98/99シーズンにイウレタ監督が就任するとチームに再び勢いが戻る。
99/00シーズンには、マカーイ、ヂャウミーニャ、ナイベドなどの才能ががっちりかみ合い、ついに念願のリーグ優勝を果たし、フランは歓喜の涙を流した。
その後、毎シーズンのように上位に食い込みリーグ屈指の強豪となった。
CLでも素晴らしい成績を残し、ヨーロッパで猛威を振るい、フランの左足は多くの強豪チームを沈めた。
特にイタリア勢には抜群の強さを誇り、ユベントスはカモにしていた。
03/04シーズンにはベスト4という成績を残している。
このヨーロッパでの活躍もフランの活躍無しには考えられなかったものばかりである。
04/05シーズン、フランは29試合に出場し、相変わらずの安定した活躍を見せたが、チームは低迷した。
このシーズン終了後にイウレタ監督が去り、フランもチームが変革期に入ったことにより、現役引退を決意しユニフォームを脱いだ。
クラブでの活躍と相反して、16試合で2ゴールと代表ではそれほど成績を残していない。
W杯には出場したことはない。
00年の欧州選手権には出場し、気合の坊主で挑んだが、調子が悪く結果は残せなかった。
ミスター・ディポルティボと言えるのが、このフランです。
近年のサッカー界で、これほどのレベルの選手がほとんど一つのクラブでプレーし続けるということは稀な事です。
なで肩で、童顔、「とっちゃん坊や」って感じなんですけど、たまに凄いシュートを放ちます。
クライフは彼の才能を高く評価しておりが獲得を熱望していましたが、獲得は実現はしませんでした。

