【 ダニエル フォンセカ 】 183/77 1969-9-13  FW



シーズン 所属チーム リーグ 試合 ゴール
89 ナシオナル・モンデビデオ Uru1 2 1
90 ナシオナル・モンデビデオ Uru1 12 3
90 / 91 カリアリ Ita1 27 8
91 / 92 カリアリ Ita1 23 9
92 / 93 ナポリ Ita1 31 16
93 / 94 ナポリ Ita1 27 15
94 / 95 ASローマ Ita1 26 8
95 / 96 ASローマ Ita1 23 8
96 / 97 ASローマ Ita1 16 4
97 / 98 ユヴェントス Ita1 15 4
98 / 99 ユヴェントス Ita1 25 6
99 / 00 ユヴェントス Ita1 0 0
00 / 01 ユヴェントス Ita1 2 0
01 / 02 リーヴェル・プレート Arg1 0 0
02 ナシオナル・モンデビデオ Uru1 7 2
02 / 03 コモ Ita1 2 0
 計 238 84

「ウルグアイの怪人」というニックネームから想像できるように、身のこなしは独特で、プレースタイルは大胆かつ豪快。
さらに非常に正確な技術を兼ね備え、左足には絶対の自信を持っていた。
本来はストライカーであるが、チャンスメーカーとしても活躍した。

88年に名門ナシオナルでトップデビューを果たす。
2シーズンでリーグ戦で4ゴールしか挙げられなかったが、南米カップウイナーズ・カップの優勝に大きく貢献。
その才能を見抜いたイタリアのカリアリに引き抜かれることになる。

90/91シーズン、イタリアに活躍の場を移すと、ゴール量産とまではいかなかったが、その豪快なプレーで一気に注目を浴びる存在となる。

カリアリでのプレーが認められ、92/93シーズンにはナポリに移籍。
フォンセカの才能はナポリの地で一気に開花する。
そのシーズン、エースストライカーのカレカからポジションを奪うと、
ゾラと
2トップを組み16ゴールを挙げ、マラドーナが去り寂しくなっていたナポリを上位に押し上げる活躍を見せた。

93/94シーズン、ゾラはチームを去ったが、ディ・カーニオとの2トップで活躍。
リーグ戦では15ゴールを挙げる活躍を見せ、さらにUEFAカップではヴァレンシア相手に1人で5ゴールを挙げる離れ技を見せた。

94/95シーズンからは、強豪ASローマでプレー。
アルゼンチン人ストライカー、アベル・バルボとセリエA屈指の2トップを組む事になる。
シーズンが始まると、その2トップは爆発。
フォンセカ自身の得点は少なかったが、バルボのサポート役として、素晴らしいプレーを見せ、2トップはリーグを席巻。
ローマはシーズン3位という好成績を収めた。

95/96シーズンもいい動きを見せていたのだが、トッティやデルベッキオという若手の成長で、徐々に活躍の場か失われていく。
96/97シーズンには若き天才トッティにレギュラーポジションを奪われてしまう。

97/98シーズンにはユベントスに移籍。
当時世界最強との呼び声もあった、デルピエロとインザーギの2トップがレギュラーであったため控えとなるが、スーパーサブとして活躍。
重要な場面で投入されると、結果を残し、リーグ優勝に貢献した。

98/99シーズン、エースのデルピエロが故障のため長期離脱。
このため、多くの出場機会を得るが、あまり結果を残せず、チームも低迷した。
99/00からは怪我や他のFWの加入もあり、ほとんど活躍の場がないまま00/01シーズンを最後に退団。

その後、アルゼンチンのリーヴェルプレートや、古巣のナシオナルに籍を置くが活躍はできなかった。

02/03シーズンには、再びイタリアに戻ってくるが、監督から戦力外の扱いを受け、そのまま引退した。


代表としては、30試合で10ゴールを挙げている。
90年のW杯に出場し、決勝トーナメント進出に貢献。
95年の南米選手権では、フランチェスコリと共に活躍。
優勝の原動力となったが、準決勝にゴールを決め、喜びまわっている時に足を捻挫、決勝戦に出場はできなかった。

90年代前半のイタリアでの活躍は驚異的でしたが、選手としてのピークが短い選手でした。
記録よりも記憶に残る選手です。
ピッチでは「怪人」として暴れましたが、ピッチを降りると、全身ブランド品でビシっと決める、おしゃれな人だったそうです。