
【 アルベルト フェレール 】 170/63 1970-6-6
DF
| シーズン | 所属チーム | リーグ | 試合 | ゴール |
| 89 / 90 | テネリフェ | Spa1 | 17 | 0 |
| 90 / 91 | FCバルセロナ | Spa1 | 26 | 0 |
| 91 / 92 | FCバルセロナ | Spa1 | 12 | 1 |
| 92 / 93 | FCバルセロナ | Spa1 | 31 | 0 |
| 93 / 94 | FCバルセロナ | Spa1 | 34 | 0 |
| 94 / 95 | FCバルセロナ | Spa1 | 31 | 0 |
| 95 / 96 | FCバルセロナ | Spa1 | 28 | 0 |
| 96 / 97 | FCバルセロナ | Spa1 | 18 | 0 |
| 97 / 98 | FCバルセロナ | Spa1 | 24 | 0 |
| 98 / 99 | チェルシー | Eng1 | 30 | 0 |
| 99 / 00 | チェルシー | Eng1 | 25 | 0 |
| 00 / 01 | チェルシー | Eng1 | 13 | 0 |
| 01 / 02 | チェルシー | Eng1 | 4 | 0 |
| 02 / 03 | チェルシー | Eng1 | 3 | 0 |
| 計 | 296 | 1 |
豊富な運動量と、確かな戦術眼で、長岐に渡りFCバルセロナの右サイドバックでプレーした。
左のセルジほど強烈な印象はないかもしれないが、絶妙のタイミングのオーバーラップで右サイドを後から支えた。
バルセロナで生まれで、バルセロナで育ったフェレールは、
当然のようにFCバルセロナの下部組織に入り技術を磨き、10代後半にはかなり有名な存在となっていた。
クライフ監督は経験を積ますために、友人であるアスカルゴルダが監督を務めるテネリフェにレンタル移籍させる。
89/90シーズンの後半にテネリフェでトップデビューを果たすと、すぐにレギュラーにー定着し、素晴らしいプレーを見せる。
シーズンが終了するとすぐにFCバルセロナに戻る。
バルセロナでデビューした90/91シーズンにいきなりレギュラーとして活躍し優勝を果たす。
翌シーズンもレギュラーとして活躍するが、試合中に相手選手と交錯、右足に大怪我を負ってしまう。
しかし、凄まじいリハビリを行い、このシーズンのチャンピオンズカップの決勝にはピッチに立っていた。
フェレールの活躍もあり、FCバルセロナは初のヨーロッパ制覇を果たす。
その後、ドリームチームの不動のメンバーとして活躍、黄金期を築く。
スターが揃っていた、当時のFCバルセロナの中では決して派手な存在ではなかったが、クライフから全幅の信頼を得る名右サイドバックとしてチームに君臨した。
95/96シーズンにはクライフがチームを去り、翌96/97シーズンにボビー・ロブソンが監督に就任すると、
より攻撃的なルイス・エンリケを右サイドバックに起用することが多く、出場機会が激減する。
97/98シーズンにはファン・ハールが監督に就任すると、ルイス・エンリケをMFとして起用したため、再びレギュラーとして活躍、リーグ優勝に貢献する。
しかし、98/99シーズン前にファン・ハール監督は多くのオランダ人を獲得。
これによって、自らの居場所がないと悟ったフェレールは、イングランドのチェルシーに移籍することを決意する。
98/99シーズン、チェルシーに移ったフェレールは、スペイン時代と同じく、右サイドバックとして素晴らしい活躍を見せる。
当時、スペイン人が海外のチームに移籍するということ多かったが、ほとんどが活躍できずに失敗に終わっている。
フェレールは成功した唯一の例かもしれない。
戦術や環境に柔軟に対応できる一流の選手であるということをプレーで証明した。
このシーズンを含め4シーズンチェルシーでプレーをし、02/03シーズンを最後に現役を引退した。
代表では39試合に出場している。
94年と98年のW杯に連続して出場している。
バルセロナを去ってからは代表に召集されなくなった。
チェルシーでの活躍が注目され、00年の欧州選手権の前には、復帰が噂されたが、結局召集されることはなかった。
小柄ですが、非常に精力的にピッチを駆け巡り、チームを支えました。
ベギリスタインなどの3トップの右の選手が自由に動けた影には、フェレールの存在がありました。
アモールと共に、黄金期を支えた功労者と呼べる存在と言えます。